2001年のオープン以来、全国的な人気を誇る『道の駅萩しーまーと』。当初、掲げたテーマ「地産地消」の変化にも対応しながら、民設民営の道の駅として、商売としても成功を!
目利きが選んで競り落とす。とにかく魚が新鮮です!
新鮮でおいしい萩の魚を目掛けて萩市民はもちろん、市外・県外からも多くのお客が訪れる『道の駅萩しーまーと』。誕生したのは、2001年4月のことだ。
「地産地消」を掲げた、民設民営の道の駅。
当初は萩市が設立し、民間に運営を委託する第3セクター方式で計画されたが、全国的に成功例が少ないために方針を転換。民設民営の道の駅を設けることになった。
そこで、萩市は運営責任者を全国から公募。市が始まって以来のことで、約100人もの応募があったなか、大手情報出版社に勤めていた中澤さかなさんが選ばれた。さらに、萩市内の事業者に出店を募ると、13社の事業者が手を挙げ、出資。『ふるさと萩食品協同組合』を設立し、建物を建て、営業を開始したのだ。
『道の駅萩しーまーと』は当時、注目され始めていた「地産地消」をキーワードに、萩市民の台所となる萩産の食材を販売する道の駅を目指した。さらに、萩は歴史だけでなく漁業のまちでもあることを全国的にアピールしようと、萩の魚のブランド化に着手。「萩の真ふぐ」を始め、「萩のあまだい」「萩の瀬つきあじ」「萩のケンサキイカ」「萩の金太郎」など萩の海の幸の新たな価値を掘り起こし、知名度を上げていった。
ブランド化に成功したことで低迷していた魚価は上がり、『道の駅萩しーまーと』の売り上げも伸びた。年間約8億円から約10億円の売り上げを維持する道の駅は全国でも指折りの優秀な道の駅に挙げられるだろう。利用者数も年間約110万人から約140万人と人気は衰えない。今や『道の駅萩しーまーと』は、生産者にも、市民にも、観光客にもなくてはならない存在なのだ。ただ、全国的に有名になったことで、2011年は萩市内が5割強、市外・県外が5割弱だった利用者の居住エリアが、18年には萩市内が3割強、市外・県外が7割弱と、地元よりも遠方の利用者の割合が増えた。
「地産地消」を掲げてスタートし、「地産」は変わることなく萩の魚や農産物を積極的に販売しているが、一方で「地消」の層は確実に変わってきた。地元市民よりも観光客が萩の魚や農産物を消費する割合が高くなっているのだ。
そんな変化が進むなかで、初代の駅長から新たな駅長に引き継ぎが行われることになった。それが、山口さんだった。
商売としても成功する、萩のための「地産地消」を。
あるとき、こんな出来事が。観光協会職員としてパンフレットをつくるために市内の飲食店を訪れたとき、社長から「費用対効果は?」「お金を出すのはうちだから」と指摘された。山口さんは、「ビジネスの意識を高めなければ萩のために働いているとは言えない」と反省。数字を理解して萩市の発展に貢献したいと、『ふるさと萩食品協同組合』へ転職した。
2年後の2017年、山口さんは2代目の駅長に就任した。「『道の駅萩しーまーと』は民設民営。建物が傷んでも市からの補填はなく自分たちで直し、赤字も自分たちでカバーします。事業者13社は常に費用対効果を意識し、本気で商売を行っています」と言う山口さん。最初は魚を知ることから始め、深夜の0時半に起きて市場へ赴き、2時から行われる競りを見学。魚種やその特徴を仲買人や漁師に尋ね、萩の魚や海について学んだ。その知識を『萩の浜新聞』にまとめ、萩市内で配達される新聞に折込広告として入れ、地元向けの広報活動を実践している。
また、都道府県が策定する広域的な防災計画に位置づけられている道の駅から選ばれる「防災道の駅」への認定や、1981年から続く川場村と東京・世田谷区との縁組協定による交流など、さまざまな役割も果たしている。「これからも、ここを訪れたすべての人が笑顔になるよう取り組んでいきます」と場内を見渡し、目を細める永井さん。『道の駅川場田園プラザ』は今日も進化を続けている。