那覇市小禄の県道62号線から森口公園方面へ上がる途中に、細い石畳道があります。この石畳道は、ノロが祭祀を行う際に御嶽(ウタキ)に登るための道で『神通(カミミチ)』と呼ばれています。
琉球王国から続く、小禄ノロが使う神聖な道
ノロは正式には「のろくもい」と記されるが、通常「ノロ」または「ヌル」・「ヌール」と呼ばれ、管轄する1 ~ 3の村落のウマチー(稲や麦の祭)など農耕儀礼をはじめとする村落祭祀の中心的役割を担った。
15 ~ 16世紀にかけて「聞得大君(きこえおおきみ)」を頂点とする神女組織が整備されると、沖縄本島をはじめ奄美大島から八重山諸島にいたるまで、村落ごとに王府からノロ(宮古・八重山ではツカサと呼ぶ)が任命された。小禄間切には小禄・儀間(ぎま)・赤嶺(あかみね)・大嶺(おおみね)・具志(ぐし)の各村(むら)にノロが置かれ、管轄する村や隣接する村落の祭祀に関わった。
小禄ノロ殿内(ウルクヌンドゥンチ)
琉球王国時代、首里王府より任命された小禄間切(おろくまぎり)小禄村(むら)のノロの屋敷跡。ノロは正式には「のろくもい」と記されるが、通常「ノロ」または「ヌル」・「ヌール」と呼ばれ、管轄する1〜31の村落のウマチー(稲や麦の祭)など農耕儀礼をはじめとする村落祭祀の中心的役割を担った。照屋家は屋号を「ノロ殿内(ヌンドゥンチ)」といい、小禄ノロは代々照屋家の女性から任命された。1879年(明治12)の沖縄県設置により王府の任命によるノロ制度は崩壊したが、小禄ノロ殿内のようにノロが現在でも引き継がれ、村落の祭祀に携わっている地域もある。
戦火を逃れ、琉球の歴史が今な
お息づく道
この道の少し先には小禄ノ嶽(クシヌウタキ・カニマンウタキ)があり、小禄ノロがこの石畳を登り、御嶽へ向かっていく光景を想像するととても神秘的に感じます。
また、小禄ノロは今も引き継がれており、地域にとって大切な存在であり続けています。
【神通(カミミチ)】ノロが御嶽へ向かうための石畳道|那覇市小禄_うるくローカルプレス
沖縄県那覇市の最南端に位置する「小禄(おろく、沖縄方言:うるく)」地域。「うるくんちゅ」と呼ばれる地元民、歴史・伝統文化が残り ”沖縄の今と昔”が程よく共存している”うるく地域”のあれこれをご紹介します。
うるくローカルプレス