※本記事は雑誌ソトコト2017年11月号の内容を掲載しています。記載されている内容は発刊当時の情報です。本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
東京ではフリーのアートディレクター・デザイナーとして活躍し、地元・鳥取では仲間と一緒に地域を楽しくする仕掛けをつくる。古田琢也さんが2拠点の往復生活を始めて、はや4年。関係人口のど真ん中へと至った、その軌跡を追ってみよう。
きっかけは、「鳥取はつまらん」の一言。
鳥取県の空の玄関口、「鳥取コナン空港」から車で約30分。なだらかな国道を進むと、次第に田園風景へと変わっていく。ここは八頭町のにある・を中心とする隼地域。オシャレなカフェや宿泊施設なんて一軒もない……というのは、数年前までの話となり、「楽しいことは、つくればいい」をモットーに活動する『トリクミ』の古田琢也さんと仲間たちとの出会いをきっかけに、この地域と町は今、すこぶる元気だ。八頭町出身の古田さんは、東京を拠点にフリーランスのアートディレクター・デザイナーとして活動してきた。「その頃の夢は有名デザイナーになること。週末も休まず働きまくっていた」という努力が実を結び、原宿のシェアオフィスのデザインワークや、メンズコスメのブランディングなど、クリエイティブの最前線で活躍。ただ、モヤモヤも感じていた。「どんなに大きな仕事をしても、一番嬉しいのは地元の仲間から『あのデザインいいね』と言ってもらえたとき。だったら、身近な人を笑顔にする仕事がしたいなって」。当時の楽しみは、帰省して小・中学校の同級生と遊ぶこと。特に野球部時代の仲間は、「親が心配するぐらい(笑)」仲がよかった。みんなと繋がる鳥取が大好きだった。それが、「あるとき、仲間のひとりに『鳥取なんて全然つまらん』と言われてショックを受けたんです」。この一言が、関係人口・古田琢也さんの出発点になる。仲間と一緒に盛り上がりながら、鳥取のためになる楽しいことをしよう。普段の仕事のサイド・プロジェクトとして、もっと言えば遊びの延長で。古田さんは2012年、25歳のときに任意団体『トリクミ』を立ち上げた。
『HOME8823』が、ターニングポイント。
初期の主な活動は、東京で行う鳥取の食イベント。「鳥取市内で働く仲間が地元の農家さんや食材を探し、東京のメンバーはイベント会場を手配。鳥取は水がいいから、野菜も米もうまいんです」と古田さん。手探りの日々で失敗もいろいろあったが、それでもやればやるほど地元への気持ちは高まっていった。そんな『トリクミ』の活動を知り、「地域の空き施設をどうにかできませんか?」と持ち掛けた人がいる。定年まで役場で勤めた、農家の東口善一さんだ。勧められたのは、町の中心である若桜鉄道「駅」の正面に長年たたずむ建物。ここが生まれ変われば、町はきっと元気になる。熱心な相談を受けて、現地の視察へ。古田さんは「地域活性化と言いながら、楽しんでいるのは東京の自分たちばかり。地場に根を張った活動をしたいと考えていたんです」と話す。だが、10年以上前からコンビニの1軒もない状況を目の当たりにして、「さすがに無理だ」と思った。ただ、鳥取市内で働いていた『トリクミ』のメンバー・北村直人さんは違った。「みんなが帰ってきたくなるような場所を、八頭町につくりたい」と、脱サラを決意。さらに、同じく『トリクミ』のメンバーで、京都で料理人修業をしていた竹内和明さんを誘い、その場所でカフェをつくるという。友達の人生が変わってしまう。ならばもう、逃げている場合じゃない。第2の転機も、きっかけは仲間。古田さんは、東京と鳥取の2拠点を行き来する決意をした。
北村さんや竹内さんと打ち合わせを重ねて考えたのが、「ちいきの台所」というコンセプトだ。「昔はこの地域だけで経済が回っていた。それを再構築できれば経営は成り立つ。地域の人から食材を買い、おいしいごはんをつくり、地元の人が喜ぶ場所をつくろうと」。東口さんにパイプ役になってもらい、地元住民への説明会をていねいに行いながら、改装費用は地元銀行の融資やクラウドファンディングなどで調達。2014年4月、地産地消のカフェレストラン『HOME8823』がオープンした。
次の挑戦に向けて、住所も鳥取に。
開店から3年、『HOME8823』は長靴を履いた農家のお父さんから子連れの若いファミリーや学生カップルまで、さまざまな笑顔が集まる地域の人気店となった。この間に、古田さんは任意団体だった『トリクミ』を法人化した。「八頭町は会社自体が少ないのですが、腹をくくってこの場所で稼ぎ、雇用を生んだり、町に再投資していくためにも会社にしました。僕らみたいなやつらでも、ちゃんと稼げるんだ! 田舎でも夢を叶えれるんだって、下の世代に伝えたかったんです」。
東口さん曰く、「鳥取の県民性は『煮えたら食わあ』。鍋が煮えても、最初は誰も手をつけないけども、ひとり食べ始めるとみんなが続く。最初は古田君たちのことをいぶかしんでいた人も、『若者の頑張りを応援しよう』に変わっていった」そうだ。地元の信頼や協力を得て、次に取り組んだのが県外からの集客。実は隼駅は、大型バイク「隼」に乗るライダーたちの”聖地“だという。そこで”巡礼“に来たライダーが気持ちよく過ごせる空間をつくろうと築50年の古民家をリノベーション。2016年4月、バイク専用ガレージを完備したゲストハウス『BASE8823』をオープンした。日々多くのライダーが訪れ、地元の人たちもBBQ会場に利用するなど人気は上々だ。「僕たちだけでなく、次
に続くチャレンジがどんどん生まれるような仕掛けをつくり、町を加速させます」。さらにもう一手、古田さんの挑戦は続く。民間7社が出資する新会社『シーセブンハヤブサ』の社長を兼務し、旧・隼小学校を再活用した公民連携複合施設『隼Lab.』を2017年12月に新設。インキュベーションオフィスやコワーキングスペースを設け、地域の人も利用できるカフェやイベントスペースも用意した。「過疎地域の課題である訪問看護の中継施設も併設するほか、官民協同の実証実験なども行う予定です」。
気づけば、東京よりも鳥取で過ごす時間が増えた。2拠点暮らしは続いているが、鳥取に住所も移した。今の楽しみは、仲間の笑顔に加えて、地域の人たちの笑顔を見ることだ。「地方創生が盛り上がる一方で、意識が高くないとダメとか本気じゃないとダメ! といった変なハードルの高さも感じますね。でも、『楽しいからやる』とか『ちょっと興味があるからやってみる』くらいからスタートしてもいいと思うんです。強要ではなく、それぞれの人に合った関わり方ができるほうが町としておもしろいし、可能性が広がると思います。いろんな人が関われる余白のある町っていいじゃないですか」。