那覇市小禄にある『字小禄ハワイ会館』。“ハワイ” と名付けられているのを不思議に思う方もいるかと思います。住宅街に佇むこの建物は戦後、ハワイ在住の小禄字人会(旧小禄村小禄、田原出身者ら)から贈られた1万ドルの義援金で建てられたものなのです。その義援金で小禄小学校には図書館(ハワイ記念会館)も建てられました。
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沖縄戦後の何も無い時代に届いた物資と1万ドル
戦前、字小禄から多くの人がハワイへと移り住んでいました。
1945年(昭和20)の沖縄戦後、焦土と化し生活に苦しむ故郷の復興のためにと、1949年(昭和24)にハワイ小禄字人会から学用品、運動用具、ミシン、英語辞典などが小禄小学校に贈られました。
『小禄小学校創立50周年記念誌』によると、英語辞典やノート・鉛筆などの学用品、野球用具の他、ミシンと大量の生地もあり、野球・バレーボールのユニホームを作ることができたそうです。
1952年(昭和27)には1万ドルの義援金が贈られ、それを基に1953年(昭和28)に小禄小学校の図書館(ハワイ記念会館)が建てられました。
図書館をよく利用していた、仲本さんが当時の様子を話してくださいました。(仲本さんは現在60代。仲本さんが図書館を利用していたのは図書館が建設されてから恐らく10数年後と思われます)
「確か運動場の端に図書館があって、本を読んでいると運動場で遊んでいる声がよく聞こえていました。建物の前には花壇があって草木の緑を窓越しに見ながら本を読んでいたように思います。”ハワイ記念会館” という名前は意識したことがなかったですが、言われてみれば、校長先生が朝礼で話していたような…気がします。自分の中では、たくさん本があっていい図書館だったなぁという思い出です。」(仲本さん)
そして、1955年(昭和30)に小禄公民館(現字小禄ハワイ会館)と田原公民館が建設されました。
ハワイ字人会の故郷への思いが、戦後の地域復興の大きな力に
戦後、不足していた学用品や運動用具、図書館の建設は、何も無かった当時の子どもたちにとって、未来への希望となったに違いありません。
図書館も公民館も”コンクリート建て”。
沖縄県内でも早い時期のコンクリート建ては、当時としては貴重で立派なものでした。
そして、他地域に先駆けて公民館が出来たことは、地域の自治会活動がいち早くスムーズに出来、住民の集まりや行事などが行え、地域復興の大きな力となったといえます。
小禄公民館は、新しい小禄自治会館が建設された後は老朽化のために使われていませんでしたが、ハワイの小禄字人会への感謝の気持ちを残すため、建物の改修を行い、『字小禄ハワイ会館』と改称されました。
今も残る感謝の気持ち
現在『字小禄ハワイ会館』は、字小禄の青年部が旗頭の修理・保管する場所として利用しており、変わらず地域に親しまれています。
図書館(ハワイ記念会館)はその後取り壊されましたが、感謝の気持ちを忘れないようにと小禄小学校に記念碑が建てられました。
字小禄・田原地域とハワイ字人会は、その後も互いに親善訪問を続けており、今年3月に開催されたハワイ小禄字人会発足100周年記念式典にも沖縄から尋ねるなど、交流を続けながら、故郷・沖縄の伝統文化を共有し次世代へと繋いでいます。
【字小禄ハワイ会館】
那覇市小禄164
動画でもぜひご覧ください。