2軒の醤油蔵がある秋田県湯沢市岩崎地区。明治時代に建てられたお屋敷が、一棟貸しの宿泊施設に生まれ変わりました。暮らしてみないと分からないこのまちのよさ。それを伝えるにはどうしたらよいか、認めてきた思いを沓澤優子さんは形にしました。
こだわりが詰まった一棟貸しの宿。
入った瞬間、あまりの美しさに息を呑んでしまった。天井は低く、長押の上にある樹と鳥の彫刻を施した欄間や、部屋と庭の間にある長い土間の廊下から年月の積み重ねを感じるが、洗練されたアイランドキッチンや家具が違和感なく備わっている。
伝統とモダンがこれほどまでに調和したこの建物は、秋田県湯沢市岩崎地区にある『草木ももとせ』。道を挟んだ反対側に『ヤマモ味噌醤油醸造元』が、歩いて数分の距離に味噌・醤油の『石孫本店』がある”発酵のまち“に、今年4月にオープンしたばかりだ。
1階にはリビング、キッチン、ダイニング、お風呂などが、そして2階には寝室が配されている。1階は所々に元の屋敷の面影を残しながら、断熱材を入れるなどして現代的な住宅の機能を回復させた。地元でかつて採掘されていた院内石を埋め込んだキッチン奥にある壁が、部屋のアクセントになっている。また、寒さの厳しい秋田県の冬を快適に過ごせる薪ストーブも設置され、揺らぐ炎を眺めながら長い夜を過ごす楽しみもある。家具、照明、キッチン道具などのありとあらゆるものも、この『草木ももとせ』のオーナーである沓澤優子さんが選び抜いたものだ。「ソファの張り地以外はすべて国内メーカーのもの。誠意のあるものづくりをしているメーカーに出合うと全国どこでも訪ね歩き、現場を見せてもらっています」。
1階のモダンな空間とは対照的に、2階はそのままの造りをなるべく残した。廊下の向こうにある木製の手摺りが印象的だ。その間を仕切る障子をよく見ると、桟が細くて繊細なつくり。新品に取り替えるのではなく、文化財の補修を手がける地元の製材所に修理を依頼して使い続ける選択をした。天然素材を用いたベッドに京都のこだわりの寝具、そしてこの空間を上質に押し上げる畳は宮城県石巻市の『草新舎』が良質な自然素材で作り上げたものだ。古き良きものを引き継ぎながらも冬を快適に過ごせるよう、1階のストーブの熱を2階にも循環させたり、障子にはナイロンを漉いた和紙を貼って熱を逃がさない構造にしたりと工夫を凝らした。
沓澤さんは、秋田県内の住宅を紹介する雑誌『住まいの提案、秋田』の編集長であり、『石孫本店』の隣にある黒漆喰の蔵を改修して2014年にオープンした『Interior Shop & Cafe momotose』(以下、momotose)のオーナーでもある。隣の横手市出身だが、小さい頃からこの岩崎地区に足を運んでまちの人が庭木の手入れをしている様子を見かけることがあり、この古い町並みや暮らしに強い憧れを持っていたのだという。
暮らすように過ごし、湯沢の魅力を知る。
約6年前に『momotose』を開いたのは、立派な内蔵付きの建物を残したい思いからだった。沓澤さんは、進学と就職で関東地方に10年ほど暮らしていたが、アレルギーに悩まされて食べるものにこだわるようになり、気づけば料理好きに。また、住宅雑誌に携わっていたことから家具や生活雑貨に精通し、日本全国のメーカーとつながりがあった。「古い建物を所有すると修繕費などの維持費がかかるため、自分にできることの”合わせ技“で利益を最大にできることを考えたところ、カフェとインテリアショップに行き着きました。地元には質の高い食材があり、豊かな自然があるのに、地元の人の自己評価が低い。飲食なら誰にも楽しんでもらえるので、地域の外から人が来れば、ここを再評価してもらえるかもしれないという気持ちも強まりました」。
沓澤さんはこの『momotose』ができた時から、宿泊施設を造ることを心に決めていた。湯沢市は、観光をするよりもここでの暮らしを知るほうがこの地のよさが分かり、それには滞在することが必要だと思ったからだ。それに人が住まない建物はどんどん傷む。宿泊施設として使い続けることが古い建物の活用法になり、取り壊しを防げたらという思いもあった。
この屋敷の存在は、カフェの構想を持ったときから知っていたという沓澤さん。一人暮らしをしていた高齢の家主が息子夫婦のもとへと引っ越したため、残された屋敷を譲ってもらったが、すでに空き家になって数年が経過していた。沓澤さんがここを宿泊施設でも一棟貸しにしたのには理由があった。通常の宿泊施設を運営するとなると建築基準法や防火法に則って建物に防火処理を施す必要があり、それは明治時代から続くこの屋敷の建築様式に合わないものを備えることになる。また、ここを管理する人が住む必要が出てくるという課題もあった。「以前、徳島でキッチン付きの一棟貸しに泊まり、地元の食材を買って地元の人と同じ目線で調理した体験がとても楽しかった。こういう暮らすように旅する需要があると思ったし、家主不在型の民泊であれば、稼働日数が年間180日以下であることも現実的な運営を考えるとかえって都合がよかったんです」。
自身のことを”たんぱら“(「せっかち」の意味)という沓澤さんは、思いつくとすぐに行動し、やってから考えることを積み重ねて、イメージをどんどん固めていった。暮らすような時間を滞在中に過ごせるよう、建物だけではなく庭や畑にも気持ちが及んだ。庭にはイチジクやナツメを、歩いて数分のところにある畑には二十日大根、ピクルスきゅうり、枝豆などを植えて、自分で採って楽しむ機会を提供することにした。「庭のクロモジを切り落としてそれを肉に刺して焼いたり、庭の花を花器に生けたり。また、地元で新鮮な野菜が手に入るので、手に入らないものを植えることにしました。あと金継ぎや裁縫もできるように道具をそろえています」と沓澤さんの暮らしの楽しみはとどまるところを知らない。
宿を整えた沓澤さんは、今度は里と山をつなぐ活動に目を向けている。「荒廃した里山を整備して大豆を栽培し、それを用いた豆腐などの加工品づくりや、放牧酪農をしながら木を伐採してボイラーのための薪を確保することなど、山の手入れをして自然の恵みを分けてもらうことを考えています。ここを訪れる人のためのコンテンツを増やしていきたい。循環の効率を最大化して、地域の暮らしがより豊かになればと思っています」。沓澤さんは走り抜けていく。