写真だからこそ、伝えられることがある。それぞれの写真家にとって、大切に撮り続けている日本のとある地域を、写真と文章で紹介していく連載です。
海があり、人がいた
ニッポンは四方を海に囲まれた島国。大陸との交易、漁をはじめとした生業、そして暮らし。多くが海から始まりました。その海との関わりを、色濃く感じられる宗像には、なぜか心惹かれます。それは母方の曽祖父が網元の棟梁だったからか、故郷の海にも海女さんがいたからか──。
ご縁をいただき、当地に通わせていただくこと20年以上。実は宗像市鐘崎という漁師町は日本海側の海女さんの発祥地。遠くは能登にまで漁へ出向き、定住した者もあったといいます。数年前、当地の現役最高齢海女(取材時75歳)・北川千里さんの漁に同行させていただく機会を得ました。まず度肝を抜かれたのはその作業時間。「今日は3時間潜りっぱなし。昔は、30〜40分やったら上(船)で休んでいた。今は、ウェットスーツになったから(身体が冷えないから潜れる)。昔は、いっぱい採れたから、ひと月に100万くらいになった。だんだん資源が少なくなって。私は主人がおらんことなったけん、沖ノ島にはいかん。前は9月に沖ノ島に潜りに行きよんしゃあ。キレイですよ、沖ノ島の海は。透明度がものすごい。7、8メートル先のサザエが見えよーと」。
その驚愕の作業時間はさておき、千里さんの話に出てくる沖ノ島とは、古来、宗像大社の神域であり、近年では2017年に『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』としてユネスコに登録された世界遺産のある場所として知られるようになりました。
沖ノ島で見聞きしたものを他言してはならないという“不言さま”の禁忌をはじめ、「およそ8万点の国宝が出土した」など、キャッチーなトピックや情報が独り歩きしがちではありますが、でも、実際に現地に行ってみれば、そんなものは物事の表面に過ぎないとわかります。
絶海の孤島は、信仰によって守られた聖なる島。古代、大和王権にとっても特別なところで、大陸への安全な渡航を祈願するため、危険を冒して海を渡り、無数の宝物を奉納し、それが後世になり、国宝として認定されました。他方、そこには海と人の関わりにあふれていました。宗像市の沖合にある筑前大島の漁師にとって、昔から「沖ノ島さま」と親しみと畏怖を持って呼ばれ、神職以外の渡島は禁じられていましたが、実は周辺の漁民のみ、歴史的に一部上陸が認められていました。とりわけ、彼らにとっては大切な場所であり、航海と漁の技術に長け、かつ人柄を認められた者のみが「沖ノ島仲間」と呼ばれる組に属し、島の周辺海域での漁を許可されてきたのです。
宗像に通ううちに、漁師の方々とも自然と懇意になりました。そして、この漁師のつくる注連縄が、僕はとても好きなのです。なぜ好きかと言うと、そこに暮らしを感じとることができるからです。藁を束ね撚った太い2本の縄状のもので構成され、その太い縄状のものは、両端が細く中央にかけて太くなっているのがわかるのですが(一説には魚の腹の部分を模したカタチとも)、特徴的なのは成形のために太いテグスが巻き付けられていること。ちなみにこのテグスですが、ナイロン製の60号のもので、普段は引き縄の一本釣りなどで使用される強度の高いものだそうです。漁師が綯うこの注連縄こそ、宗像大社の注連縄です。
太古より、「宗像海人族」と呼ばれる海の民によって祀られてきたという、“海の神社”ならではだと感じます。