「魬」、これなんて魚?
魚へんに反と書いてなんて読む?
お寿司のネタとしても人気がありますよね
この魚の名前は・・・!?
答え:はまち
答えは「はまち」です!魬はスズキ目アジ科に属する魚で、大きさによって名前が変わる出世魚のひとつです。関西では40~60cm、南四国では30~40cmほどの大きさのものを魬と呼んでいるのだそう。関東では35~60cmほどのものはイナダと呼ぶそうですよ。
魬の由来
魬という漢字が当てられたのは、丸々とした張りのある姿から、魚へんに「反」という漢字が当てられたのだとか(諸説あり)。ちなみに魬と呼ばれるようになったのも、張りがある姿が由来になっているのだそう。
魬養殖の発祥地である香川県
魬は全国各地で養殖が行われていますが、実は魬養殖の発祥は香川県。昭和3年に野網和三郎という方によって香川県にある引田村の安戸池で魬養殖が成功しました。またこの魬養殖が日本ではじめての海面魚類養殖の成功事例でもあったのだとか。平成19、20年には香川県と香川県漁業協同組合連合会などが主催したハマチ養殖80周年記念事業も行われました。
養殖業の始まり
引田漁業協同組合における魚類養殖の歴史は、1928年(昭和3年)に野網和三郎(ワーサン:和三郎の愛称)が 安戸池(東かがわ市引田)でハマチ養殖に成功したときから始まります。
地元引田の網元の3男であった和三郎は、当時の漁師の厳しい生活とその将来について、強い危機感を持っていました。
当時、瀬戸内海の漁業は、昔ながらの漁法でタイやサワラを獲っていましたが、大きく漁獲が伸びることはなく、頭打ちの状況でした。 そのため、香川県から海外への出漁が盛んになりつつありましたが、厳しい気象条件などによる遭難や不漁が多く、事業の失敗により 網元から雇われ漁民に転落する人が増え、下層漁民が増加しているような時勢でした。
和三郎は、このような状況を肌で感じて育ち、漁民の窮状を何とかしたいという思いから水産学校に学び、当時の先端の学問を修めました。 卒業後は、引田に戻り、早速学んだことを生かすため、安戸池を使った魚類養殖試験を開始。父、佐吉の全面的な協力のもと、 試験開始後、わずか2年目にして、養殖に成功しました。
これが、日本における海面での魚類養殖の最初の成功事例となったのです。引用元:引田漁業協同組合
今回は、魬をご紹介しました。 香川県では野網和三郎さんは「魬養殖の父」として知られ、安戸池には野網和三郎の銅像が建っているそうですよ。