“市原のチベット”と呼ばれている千葉県市原市の月出地区。かつては約200世帯ありましたが、今では約50世帯に。そこで、2007年に廃校になった月出小学校に再び息が吹き込まれ、アートと地域が共振する場が生まれました。地域で紡いでいくアートが目指すものとは?
分野、世代を超えて生まれてくるもの。
グラデーションが美しいモザイクタイルの正門階段、地元のわらや象の糞を使った土壁が塗られた元・職員室のカフェスペース。学校の面影を残しながら、少しずつ手が加えられたこの場所は、2013年に旧・月出小学校から「月出工舎」として再出発したのが始まりだ。
「創ること 生きること」を掲げて、アーティストだけでなく、農学、社会学、生命研究など分野を超えて多世代が共振する場を目指し、「遊・学・匠・食」の4つのプロジェクトを展開する。こう説明すると小難しいと思われそうだが、3年に一度開催される「房総里山芸術祭 いちはらアートÅ×ミックス」で作品を展示することを中心に、アートを身近に感じられるイベントや舞台公演を随時開催している。「モザイク燻製たまごをつくろう」「つるぴか泥だんごづくりと土壁づくりのお手伝い」など、子どもから大人まで楽しめそうなワークショップも充実している。
「仮設ではなく常設に。リノベーションとともに、時間をかけて育てる場にしていきたい」と話すのは、「月出工舎」創設メンバーの岩間賢さん。使われなくなったプールで巨大な造形作品を制作し、舞踏の野外舞台の監督も務める芸術家である。ほかにも染織家の岡博美さんや、建築家、やきいも師、デザイナーなど幅広い顔ぶれのメンバーがこの場を一緒に手がけている。
ほかのアートプロジェクトと「月出工舎」が異なるのは、時間をかけて今の時代に本当に必要なアートの役割を見出そうとしている点だ。「作品として自分の頭に描くイメージがあっても、それが完成だとは決めつけない。地域やアーティストとの関係のなかで、顔を見て、できることは何かを考えます」と岩間さん。試行錯誤しながら築いてきた信頼が積み重なり、地域の人や地域外のサポーターが「月出工舎」で行う作品制作やイベントに参加するようになってきたという。
市原市芸術祭推進課の森山亮治さんは、「市原市南部は、過疎化、少子高齢化が進んでいますが、『月出工舎』をきっかけに、自分たちでも何かをやろうとする雰囲気が生まれています」と地域が変わり始めているのを感じている。現在は2020年3月から始まる「アートÅ×ミックス」に向けて準備が進められている。さまざまなドラマが生まれそうだ。
FACILITY INTRODUCTIONS 施設の全貌を紹介します。
1F カフェ・食の工房
元・職員室をわらと土、象の糞を使ったストローベイルの手法で改修したカフェ。これからは定期的にオープンしていく予定。
2F スタジオ
3つのスタジオがあり、アーティストは広い空間と静かな環境のなかで制作に没頭できる。ワークショップを開催することも。
3F レジデンスルーム
制作を行うアーティストらが宿泊できる。天井には岡博美さんの作品が。舞台を行う時は、施設全体で数十人が泊まることもあるそう。
体育館
次の芸術祭に向けて、サポーターらが可動式壁面を製作中。体育館の床の雰囲気を残した、ユニークな空間に生まれ変わる。
ARTISTS 「月出工舎」のアーティストのみなさん。
岡 博美さん
「月出工舎」発足時から関わるアーティストで、染織家。自身のアトリエは三重県にあり、月に1度、月出で1週間ほど過ごす。地域の天然素材を使って染色し、天然染料から絵の具を作る研究も行う。「ここで開催するワークショップを通じて、地元のお母さんと仲よくなりました。彼女の自由に染めるスタンスから刺激を受けています」。
『ヤマドリ珈琲』
小野剛さん・沙織さん夫妻によるユニット。本業は二人ともシステムエンジニアで、元々は「月出工舎」のサポーター。趣味で焙煎を行っていた剛さんが、焙煎機を購入したいと岩間さんから相談を受けているうちに『ヤマドリ珈琲』を始めることに。「焚火焙煎ワークショップなどを体験して楽しんでいただける場をつくれれば」。
地域をアートで表現する視点とは。
語ってくれた人 「月出工舎」統括ディレクター・岩間 賢さん
徹底的なローカルは、グローバルに通じる。
私が学生だった約20年前は、一芸術家が社会に与える影響を考える時代でした。しかしその後、市民と大学が協働で行うアートプロジェクトや大地の芸術祭への参加、舞台作品のチームでの制作を通じて、私自身のなかで美術の果たす役割が自然と拡大されていきました。時代の流れとともに、今では全国各地で芸術祭が開催されるようになりました。しかしながら、アーティストが消費されたり、無理に観光資源化したりする場所もあると耳にします。本来はそうあってはいけない。だからここは、無責任な一過性のイベントにはせず、10年をかけてつくっていく構想で始めました。
地域の方々が廃校後も大切に維持してきた小学校に出身者でもない私が入ってきて、最初は当然ながら距離がありました。月出町会長が「閉じるよりも開いていくことが大事なんじゃないか」と言ってくれ、2年ぐらい経つと地域の方々と一緒に木を切ったり、草を刈ったりするように。市原の芸術祭で月出に関わったアーティストのひとりは、地域の方と文通を行い関係を深めてきました。その蓄積で今があるのだと思います。
“市原のチベット”とも呼ばれる月出ですが、アーティストにとっては創作の源を再考し、持続的な作品づくりができる場所、創作に没頭できる場所です。地域に何かをもたらすのはもう少し先ですね。6年をかけて環境が整い、ようやく歩き出せるタイミングがきたと感じています。
地域との関わりを紡いでいく場には、地域の資源を生かすことが大事だと思っています。この土地で作品づくりをするアーティストにも、持ち込みではなく地域の物語や風土、素材を使うことを強調して伝えています。というのは、徹底的にローカルであることは世界に通ずるという持論があるからです。新潟県十日町市の坪野集落や5年間過ごした中国で、自分の暮らす地域から出たからこそ見えてきたことがありました。
それは、グローバルの麓は一個人やローカリズムにあるということ。一個人の上方はグローバルですが、足元には実はローカルという大海があり、その構造を逆にしたらローカルがトップになります。そこなくして、世界とはつながってないのです。現在の活動ではそのことにまだ認知と理解が及んでいませんが、この土地のもので作られた土壁に反応し、気づいて何かを始めてくれる人がいたらうれしいですね。