写真だからこそ、伝えられることがある。それぞれの写真家にとって、大切に撮り続けている日本のとある地域を、写真と文章で紹介していく連載です。
私は高知県で生まれ育ち、この土地を拠点に写真を撮り続けている。13歳から写真を撮り始め、自然や人、日常の風景などから感じる美しさをテーマに作品の制作を行っている。その一つに小さなきっかけでつながった、依岡みどりさんがいる。彼女は、四国の南西端に位置する高知県宿毛市に住んでいて、絵を描いている人だ。
2017年の夏に彼女と出会ってから、宿毛市に通い続けて撮影をしている。日の光は眩しく降り注ぎ、宿毛湾には穏やかに波が寄せる。はるか昔、この地は遠浅の海岸で、満潮時には海水が押し寄せ、葦が生い茂っていた。古代の人たちは枯れた葦を「すくも」と和歌に詠んでいるが、それが地名の起源になったとも考えられている。風のない日に漁港の岸壁に立てば、足元の海に魚の姿が見えるほど、水は澄みきっている。
依岡さんのアトリエには描きかけの絵がたくさん並べられていて、薄明かりの中でぼんやりと光を放っていた。絵の中に浮かび上がる形。たくさんの黒いアゲハチョウが、依岡さんの手によって少しずつ繊細な羽を生やしていく。彼女の絵には、庭に咲く花や訪れる蝶、鳥がよく描かれている。静かな部屋でシャッターを切りながら、私は彼女を形づくるものの輪郭を探していた。
私たちは撮影の合間に喫茶店で食事をした。彼女と話をしながら、ある歌を教えてもらった。
「さくらばな陽に泡立つを見守りゐるこの冥き遊星に人と生れて」
依岡さんがこの歌を知ったのは2011年。茨城県の大学で美術を学んでいた彼女は、東日本大震災のあった3月11日の後、2週間ほど実家のある宿毛市に帰っていたという。4月に大学へ戻ったら、街には人の姿がなかった。変わってしまった街の様子に戸惑う彼女が数日後に目にしたのは、満開の桜の木の下に集まる人たち。今日を逃したら散ってしまうという時、人々は公園でお花見をしていたのだった。その翌月、新聞に掲載されていた、山中智恵子さんのこの歌が目に留まったと言う。
「なぜかは分からないけれど、地上には目だけあって、遠く宇宙にいる実体の私がそれを眺めているような時がある」と彼女は言う。受け入れがたいことがあっても、自分が健康であり続ける限りは生きるし、生かされる。すべてが私を置いて遠ざかっていくような感覚。透明人間のような所在のなさを私も感じたことがある。山中さんもそうだったのかもしれない。
歌は流れ、彼女の声を通して、いま空気を震わせている。その様子は日常の何げない風景に必然性を感じさせた。
食事のあと、彼女が普段散歩する海津見神社の森や、夏に泳ぎに行くという伊与野川などを案内してもらった。伊与野川の淵の水は、驚くほどに透き通っている。小さな魚たちが泳ぐ様子や、川底の石の形まではっきりと見えた。彼女の家に戻る途中、山に続く道を抜けて海のそばに出た。「この場所を通る時、海に光る朝日が見えると泣きそうになる」、そう言った彼女が見た風景が、私の中で映画のワンシーンのようにイメージされた。すぐ側にある「美しさ」を彼女は新鮮さをもって受け入れている。きっと、そういう人にしか描けない世界があるのだと、私は思う。
2019年の春、宿毛湾に浮かぶ大島には、たくさんの背の高いソメイヨシノが風に揺れていた。気候が温暖な宿毛市は、全国でもいち早く開花を迎える。桜が散る前に、彼女とこの場所に来たいと思っていた。「杉本さんに写真を撮られていると、『あなたはここにいますよ』って、肩を叩かれているような感じがする」、彼女はそう教えてくれた。
私が子どもの頃に祖父のフィルムカメラで撮った桜。出来上がった一枚の写真の美しさに感動した体験が、私の原点だ。彼女と出会い、導かれた土地で目にした風景は、私が写真を始めた頃の気持ちを思い出させてくれる。ぬくもりを感じる、美しい光に包まれていた。依岡さんが見ている日々の景色や、それを感じて描く色、そしてあらゆる命が少しずつ形を変えながら呼吸している様子を、私はもっと見たいと思う。それがこの土地で撮り続ける理由だ。まだ知らない風景に出合いたい。私がそう思う限り、写真は新しい世界を見せてくれる。