20代後半で退職。さまざまな経験を経て見つけた、自分らしい働き方とは?

20代後半で退職。さまざまな経験を経て見つけた、自分らしい働き方とは?

2021.12.19

福岡市のジュエリーショップでノベルティカレンダーの打合せをしているのは、制作を担当するアーティスト・hyanahyu(ヒャナヒュー)こと、彌永裕子(やながゆうこ)さん。彌永さんは他にも、店舗経営など複数の仕事を持つパラレルワーカーだ。約5年前に大学職員を辞め、地域おこし協力隊を経て現在の働き方にたどりついた彌永さん。20代後半で退職という思い切った決断をすることに、迷いや不安はなかったのだろうか。彼女の経験から、働き方や生き方に迷う世代にとって、選択のヒントが得られるかもしれない。写真提供:yuko yanaga

彌永裕子さん
●彌永裕子(やながゆうこ)さん/1989年福岡県筑後市生まれ。筑陽学園高校のデザイン科を卒業後、九州産業大学芸術学部美術学科で染織工芸を専攻。大学在学中から服飾雑貨などの制作、展示や販売を行う。卒業後、同大学の職員として就職。アーティスト活動も続けながら、ファッションデザインの学校やグラフィックデザインの学校にも通学。2016年に大学職員を退職。2017年より福岡県八女郡広川町の地域おこし協力隊に参加し、同町のものづくりスペース「kibiru(キビル)」の設立などに関わる。2020年3月の任期終了後、同町にアートプロジェクト兼店舗「ショップ編集」を開業。現在に至る。写真提供:yuko yanaga

32歳、4つの仕事で都市部と地方を行き来する現在

彌永さんの2021年現在の仕事は以下の4つ。

●アーティスト hyanahyu(ヒャナヒュー)
グラフィック・服飾デザイン、イラスト、染色など。企業や店舗、自治体などから受注するほか、自身の制作活動も行う。
●大学の非常勤講師(週1回)
福岡市の九州産業大学、香蘭女子短期大学で染色や服飾デザイン・テキスタイルなどの授業を担当
●店舗経営(土日)
福岡県八女郡広川町で地元の魅力を発信するアートプロジェクト兼店舗「SHOP編集」を経営
●書店アルバイト(平日週2回)
書籍のことを学ぶため福岡県八女市の書店でアルバイト

福岡県の都市部と地方を行き来する多忙な日々。アクティブなライフスタイルだが、取材で会った彼女の印象は、優しく柔らかで、話していると自然にこちらも笑顔になれるような女性だ。パラレルな働き方をする現在を含め、さまざまな経験をしてきた彼女の、これまでの人生を聞いた。

SHOP編集
福岡県八女郡広川町で運営する、アートプロジェクト兼店舗「SHOP編集」。写真提供:yuko yanaga

ものづくりの原点は幼少期に作った箸置き

福岡県筑後市に生まれた彌永さん。物心ついた頃から絵を描くことやものづくりが好きで、幼稚園時代には陶器の箸置きを作ったことがあるという。

彌永さん「いま100歳の祖父が昔美術の先生をしていて、陶芸用の窯も持っていたんです。祖父の家に遊びにいったら絵を描いたり土をこねたりして遊んでいました。私が陶器の箸置きを作ったときに家族がすごく喜んだのが、『ものづくり楽しい!』の最初の記憶ですね。実家も自営業をしていたから、なんとなく将来は私も店を持って、自分で作ったもので人が嬉しくなるような、そういう仕事がしたいと思っていました」

中学卒業後はデザイン科のある高校へ進学し、これまで独学だった絵やデザインを専門的に学んだ。かなり早い段階で、しっかりと将来のビジョンを持っていた彌永さん。

彌永さん「しっかりした将来のビジョンというよりも、好きなものがただ早い段階で自分の中にたくさんあってこんなことをやってみたいなというイメージが広がって・・・という感じですかね。興味ないことはぜんぜんできない性格というのもあって。自分でいつかお店をするなら自分で何か作れたらいいなと思ったのがあって、表現したり何かを作ることができる学校を選んでいました」

hyanahyu
hyanahyuとしてアーティスト活動をしている作品の一つ。コロナ禍の中で短かな植物からインスピレーションを受けて制作した絵。「plants」2020年。写真提供:yuko yanaga

仕事+アーティスト活動+デザイン学校通いの日々

高校卒業後、実家を出て福岡市の九州産業大学芸術学部へ入学。専攻は染色工芸で、4年間みっちり染色や織物の技法を学び、アートに昇華する活動を行った。また在学中から、自身が制作した服飾雑貨を、市内の雑貨店などで販売。自分の作ったものが誰かの暮らしを彩る喜びを実感し、卒業後もよりスキルを高めたいと考えていた。

彌永さん「働きながら創作活動を続けるにはどうしたら良いかとゼミの先生に相談したら、『じゃあうちで職員として働いたら?』とアドバイスを頂いたんです」

そこで同大学の職員採用試験を受け見事合格、卒業後から正式に働き始めた。

彌永さん「当時の九産大は女子学生が2割と少なかったので、女子が興味を持って取り組めるような新しいプロジェクトを企画したり、学生と先生の間に入って、過ごしやすい環境づくりをしたりしていました」

卒業生である彌永さんのことをよく理解している学校であり、学生たちにも年齢の近い彼女だからこそ、その能力を活かした仕事ができた。加えて就業後には学内の工房を使わせてもらい、創作活動も続けられたという。

さらに彌永さんは、創作活動のスキルアップを目指して、ファッションデザインの学校やグラフィックデザインの学校にも通った。

彌永さん「大学で芸術や染織を学んで、もっと人に寄り添うテキスタイルとしての服に興味が出てきて。ファッションデザイナーの山縣良和さんが福岡で開講していたファッションを学ぶ場『ここのがっこう』の福岡版『COCOA(ココア)』に通いました。ファッションって何か?から考え、自分で生地から服を作ってデザインコンペに出したり、展示などをしたり、自分なりにファッションを形にしようとしていました。世界的なコンペのファイナリストに選ばれる人もいて、場所は関係なく世界に通用するクリエーションが生まれるんだと、とても刺激を受けましたね」

やりたいこと・好きなことを続けるために、たとえば時間の融通がきくアルバイトで生計を立てるという方法もある。しかし彌永さんは、フルタイムで通勤しながら、創作活動とスキルアップも平行するという働き方を見つけた。理想的な日々を送っていた彌永さんだが、27歳の時、大きな決断をする。

彌永裕子さん
ファッションを学んでいるときに、初めて作った作品。自分で作ったテキスタイルなどを用いて新しい女の子像をイメージした服を作った。2014年。写真提供:yuko yanaga
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