医療機器メーカーにて、心臓手術に使われる医療機器を開発している、橋本さん。医療機器業界に飛び込んだ背景には、突然の祖父との別れがありました。医療機器の開発者として、橋本さんが目指す世界とは。お話を伺いました。
はしもと ともあき|テルモ株式会社
1987年徳島県生まれ。徳島大学大学院システム創生工学修士課程修了。2012年テルモ株式会社に入社。体外式膜型人工肺(ECMO)に使われる遠心ポンプコントローラー、またコントローラーに付随するモニタリングシステムの開発に携わる。現在、同社のITソリューションセンターにて、医療機器連携や遠心ポンプコントローラーを中心とした医療機器のソフトウェア開発に従事。社内有志団体「MAGICAREE」の代表も務めている。
突然の祖父との別れ
ものをつくったり、分解するのも好きでした。筆箱の中に精密ドライバーを入れていたこともあります。友達の電卓を勝手に分解して、ディスプレイを反転させたりして、いたずらしていました。機械の中身がどうなっていて、どうやってその機械ができているのか、興味があったんです。また、一からものをつくることにも惹かれました。一枚の木から家具ができるように、形がないところから、ものができていくのを面白いと思っていました。
小さい頃から母方の祖父母と同居していて、二人にはよく可愛がってもらいました。おじいちゃん、おばあちゃん子だったんです。ところが、小学一年生のある日、祖父が旅行先で急性心筋梗塞になり、帰らぬ人となりました。
すごく元気な様子で出かけたのに、亡くなった状態で帰宅することになってしまった。身近な家族の死を、突然経験したんです。その喪失感と悲しみは、とても大きなものでした。
医療機器をつくりたい
また、祖父が亡くなったときの状況を改めて聞くと、最初に搬送された病院に、心臓を専門とする医師がいなかったため、断られていたことが分かりました。もしかしたら、助かるはずだった命を、助けられなかったのかもしれない。話を聞くうちに、そんな思いが強くなっていきました。
高校生のとき、医師が主役のある漫画と出会いました。その漫画には、医師はもちろん、看護師や臨床工学技士など、医療現場で働く人たちのこと、最新の医療機器のことが詳しく描かれていました。そこで初めて、世の中にはこんなにたくさんの医療機器があるんだと知ったんです。
印象に残っているのは、手術のシミュレーションができるという、未来の医療機器システムが登場するシーンです。人間の形をホログラムで立体的に写し、メスを入れるとその感覚も術者に伝わる、というもの。こんなシステムが開発できたらかっこいいし、日本の医療もどんどんレベルアップできるな、と思いました。
医師がメインの漫画なのに、私が関心を持ったのは医療機器システムの方でした。もともと血や傷を見るのが苦手で、人が痛がっている場面にストレスを感じるせいもあるかもしれません。医療現場で働くというよりは、医療現場で活躍するシステムをつくることに、惹かれたんです。
本当は助かっていたかもしれない祖父への思い、医療機器システムへの関心。あのときの祖父の命を助けられるような医療機器をつくることが、私の目標になりました。
思い続けてきた夢が形に
研究室では、人のいびきを解析し、睡眠時無呼吸症候群かどうかを見極める、といった研究に従事。開発者になるなら、大学院にも行っておいた方がいいだろうと、そのまま院に進学しました。
いざ就職活動をするときにも、医療機器業界しか見ていませんでした。そして、心臓手術に関する製品を扱っている、医療機器メーカーへの就職を決めたんです。祖父が心筋梗塞で亡くなっていたので、心臓に関わるものへの思い入れがありました。志望理由の欄にも「心臓手術に関する製品をつくりたい」と書いて提出しました。
会社では、ちょうど「遠心ポンプコントローラー」という、緊急時に心臓の働きを代用する機器の新製品を開発中で、そのプロジェクトに加わることに。機器のソフトウェアを開発するチームに配属されたのです。
それはまさに、私がやりたいと願っていた仕事でした。まだまだ未熟だったので、チームの中で活躍できる力を付けようと、とにかくがむしゃらに頑張りましたね。
大学でも、ずっとソフトウェアのプログラムに携わってきましたが、商品化するための品質へのこだわり方は、もちろん学生時代と全く違います。プログラムがきちんと動かなければ、人が死んでしまうかもしれない。その責任感をすごく感じました。ただ、そのプレッシャーよりも、この製品を市場に出せたら、現場で助かる命があるかもしれない、という思いの方が強かったです。
プロジェクト開始から計5年。無事に新製品のリリースにたどり着きました。納品先での症例の報告を聞くこともあり、自分たちのつくったものが世に出たという、達成感はすごくありました。ずっと持ち続けてきた目標を、叶えられたんです。
目標を達成した後の、喪失感
しかし、「祖父を助けられるような装置をつくる」という、ずっと掲げてきた大きな目標を達成したことで、自分の中にはある喪失感が生まれていました。次に目指すべき目標を見失ってしまったんです。漠然と、心臓手術に関わる仕事をしたいという思いはありましたが、「これだ」と具体的に定め、必死に進んできた道からは、すとんと落ちてしまったような感覚でした。
自分は本当は何をやりたいのだろう。このまま商品の開発を続けて、なんとなく生きていていいのだろうかと、ずっと考え続けていました。目の前の仕事はちゃんとやるけれど、熱いモチベーションは持てなかったんです。心臓に関する仕事はできているから、まぁいいのかな、という程度でした。
そんな状態が2年ほど続いた頃、社内の有志団体が開催する、キャリアを考えるための勉強会に参加しました。そこに、大企業の若手中堅社員の実践コミュニティ「ONE JAPAN」の方が来て、講演をしたんです。
その人は、会社でモチベーションを持てないときに、その状況を変えるために自ら動き、社内や社外でネットワークをつくって、最終的には有志団体も立ち上げたという話をしてくれました。
その話を聞いたとき、自分はずっと受け身だったと気づかされたんです。待っているだけでは、人とのつながりも絶対に生まれない。自分もこうやって積極的に動いてみようと思いました。
やりたいことを、やれているんだ
外の人と話して気づいたのは、自身の視野の狭さです。それまで私は、医療機器業界しか見ていませんでした。だから、世の中の企業がどんなことをやっているかなど、世間で常識とされていることすら知らなかったんです。
以前は「普通そうでしょ」という言い方をよくしていましたが、自分の「普通」は世間の「普通」じゃない、と実感したのは、外の人と話して得た気づきでした。
社外の人と話すことは、自分自身がやっていることを、見つめ直すきっかけにもなりました。世の中には、営業や自動車整備士、エステティシャンなど、いろいろな職業の人がいます。さまざまな仕事があることが分かった上で、自分がやりたいことは何かを改めて考えてみると、やっぱり「医療機器をつくりたい」と思った、あの高校生の頃の気持ちが、一番強いんだと気づきました。
自分が今いる場所。ここは、本当にやりたいと思ったことが、やれている場なんだ。それを実感して、日々の業務への向き合い方も変わりました。本当にやりたいことなのだから、もっと積極的に意見を言ってもいい。医療の現場を変えるんだという思いを、仕事に乗せられるようになったんです。
地方の医療を変えたい
直接現場の声を聞くことは少ないですが、学会で「助かった」という報告を聞くと、自分たちのつくった機械が、医療の現場で使われていて、患者さんを助ける一助になったのだと実感できて、やりがいを感じます。
仕事以外では、社内有志団体の代表も務めています。この団体でやっているのは、みんなでキャリアを考える勉強会。いろんな人に、自分のキャリアについて語ってもらい、みんなに講師になってもらうんです。話を聞いた人たちが、自身のキャリアのヒントを得られればと思っています。
私自身、仕事に慣れてきた頃に悩みが出てきたので、キャリアについて考え、ヒントをもらえる場があったらと思いました。仕事を辞める選択肢もあるかもしれませんが、医療機器をつくる道に、この先のキャリアを見出してもらえたらいいな、というのが個人的な思いです。人の話を聞くことで、自分自身を見つめ直すきっかけにもなりますし、聞いた話を糧に、動いてみることもできるのではないかと思っています。
今の目標は、地方における医療の差をなくし、都市部と同様の医療を受けられるようにすること。遠心ポンプコントローラーのような緊急の装置は、地方の病院では使う回数が少なく、設備が整っていなかったり、現場で使い方が分からなかったりするんです。
その状況を改善するためには、もっと管理が簡単で、誰でも使いやすい医療機器を開発する必要があると思っています。AEDも、基本的には同じ目的で開発されたものですが、AEDでは助けられない命もあります。だから、どんどん新しいものを開発して、世の中に出していきたいです。
私自身が地方で育っているので、地方の医療現場を変えていくために、できることはやりたいというのが、今の思いです。医療に興味のある学生に向けて、現場で使われる医療機器の情報や、医療機器メーカーの仕事についても発信したいと思っています。医療機器業界は狭く、外から目に止まりにくいので、この業界の存在自体をもっと広めていきたいです。
私がずっと携わってきたのは、もし祖父が亡くなる前に適用されていたら、助かっていたかもしれない、そういう機械です。治療がちゃんと確立されず、助かるのに助けられない命が、今もある。医療機器をつくる立場から、そんな状況をなくすことができたら、と思っています。