謎多き写真家が写した、妻の出勤風景。
なぜなら深瀬が洋子を写した作品といえば、黒いマントに身を包み、食肉処理場で解体される家畜と共に撮影した作品『屠、芝浦』や、洋子だけ上半身裸で深瀬の家族と実家の写真館で写した記念写真「家族」など、狂気とユーモアがないまぜになった作品を真っ先に思い浮かべるからだ。
『無題(窓から)』は1973年の秋、二人が暮らす団地の4階から、勤め先の画廊に出勤する洋子を深瀬が毎朝望遠レンズで撮影したシリーズ。洋子は深瀬を見上げ、手を水平に広げてポーズを取ったり、大きく笑ったり、舌を出して怪訝な表情を見せたり、ストレートな感情表現をする。花柄のワンピースや着物、パンツスタイルと毎日変わる服装はどれもファッショナブルだ。手に抱える日傘やバッグや本などの組み合わせも楽しい。演出された作品だけではわからなかった洋子の日常の魅力と深瀬の愛情が、あふれ出ている写真のように思えた。
1976年、「写真を撮るために一緒にいるようなパラドックス」が生じ、二人は離別する。写真から二人の心の奥底を窺い知ることはできない。でも50年前、窓から撮影していた二人の様子を想像すると、少しほっと、幸せな気持ちになれるのだ。