大きなステージやフードブースもなければ、警備員もいない。エストニア南東部、ヴォル(Võru)で開かれている「アイグ・オム!(AIGU OM !)」は、村全体を舞台に、あちこちで「何か」が起こっている、ちょっと変わった音楽フェス。なぜ片田舎に人がやってくるのか、地元の人が自然に巻き込まれていくのか。エストニア流の、おおらかで柔軟な、楽しいフェスのつくり方を紹介します。
干草の匂いに包まれて、アンビエントを聴く
干草でできた、ふかふかとした席に座って、アンビエントミュージックに耳を澄ませる。幻想的なビジュアルアートが投影されるステージでは、エストニアの伝統楽器である「カンネル」を手にした、マリ・カルクンさんが歌っている。エレキギターとエレキチェロの都会的なサウンドとループするリズムに、マリさんの清らかで力強い歌声、そしてエストニアで受け継がれる神話的伝承歌の「ルノソング」が合わさって、不思議な世界観がつくりだされる。夢のなかにいるような時間はあっという間に過ぎて、拍手の音で目が覚めた。
マリ・カルクンさんは、名実ともにエストニアを代表するシンガーソングライターであり、「アイグ・オム!(以下、アイグ・オム)」の主催者のひとり。世界中をツアーで飛び回っているが、ヴォル出身、そして在住で、方言であるヴォル語を話す。
ライブ会場であるレンガ造りの大きな納屋は、マリさんの家族が先祖代々受け継いできた建物で、少なくとも19世紀の終わり頃からあった。農場の納屋として穀物や干草を保管していた時代、地元の人が通う食堂として賑わっていた時代を経て、ライブ会場になる日が来るとは、先祖もびっくりだろう。夏にこの地域で大量にできる干草を有効活用したいという思いから、観客席は干草でできている。ライブが終わったあとは、動物たちが干草を平らげる。
「干草の匂いはエストニア人にとっては『子ども時代の記憶』。夏休みに田舎で遊ぶとき、農場や納屋にはいつも干草があった。ノスタルジックな香りです」(マリさん)
アイグ・オムのもうひとりの主催者で、マリさんの夫であるターヴィ・タッツィさんは、ヴォルにある国営のネイチャーセンターで働いている。ターヴィさんは、このイベントには都市生活者にこそ来てほしいという。
「エストニアはサマーハウスの文化があって、夏の間は田舎にあるセカンドハウスで過ごす人が多い。ふだんは首都のタリンや第二都市のタルトゥに住んでいる人も、夏の間はヴォルにいたりする。エストニア人なら、子どもの頃の夏休みには、サマーハウスや田舎に住む親戚のもとを訪れたはず。そんな人たちに、エストニアの自然や田舎のよさにいま一度気づいてほしいんです」(ターヴィさん)
田舎に住む方が実は孤立する
マリさんとターヴィさんは、およそ10年前にヴォルのルーゲ(Rõuge)という村に移り住んだ。娘が一歳になったとき、マリさんのお父さんが亡くなって、130年間も家族が住み続けてきた家が空いた。「子どもに自然や土地の言語であるヴォル語とつながりを持った生活をしてほしい」(マリさん)という思いもあって、フィンランドのヘルシンキ、エストニアの首都タリン、第二都市タルトゥでの暮らしを経て、ついにヴォルに引っ越した。
いざ住んでみると、ターヴィさんは都会に住んでいた頃より人との交流が生まれにくいことに気づいた。「エストニアは人口が少なくて、タリンでも40万人、大学の町タルトゥでは9万人ほど。公共の乗り物や街中でばったり人と会うことは意外にあるんです。そこで立ち話をしたり。でも、ヴォルでは車ですれ違って手を振るくらい。田舎で暮らすにはそれなりの大変さがあるのに、それぞれの家が、それぞれの家で生きている感じ。実は田舎に住む方が孤立するのではないかと思ったんですよね」(ターヴィさん)
そんななかコロナ禍があり、世界中をツアーで飛び回って大忙しだったマリさんの仕事がストップした。「庭に座って、りんごの木が花を咲かせるのをただただぼーっと見ていたとき、こんなに時間があるのはいつぶりだろうと思って。そこでアイグ・オムのアイディアが浮かんだんです」。
アイグ・オムは主にマリさんを中心にした音楽のパフォーマンスと、ターヴィさんが主導する森でのアクティビティ、そして地元やヴォルに関係のある人が自主的に立候補する食関連の出店やワークショップの3つの軸で構成される。準備を通して、地域の人がアイグ・オムのプロセスに巻き込まれていくことでお互いを知る機会になる。「住人同士が『ちょっとうちの牧草を刈ってくれない?』と小さな仕事をお願いし合うような場にもなっていて。今までは家に引っ込んでて見えなかった人が見える化した、コミュニティが見えてきたという感じです」(ターヴィさん)。
「キノコの菌床」のようなイベント
アイグ・オムではすべて合わせると、46の催し物(ワークショップ、ライブ、トーク、展示など)があり、1週間、何かしらのイベントが毎日そこかしこで行われる。村中がイベント会場になるわけだ。たとえば、ヴォル地方に古くから受け継がれているサウナである、スモークサウナの体験や、ハーブの活用法を学ぶワークショップ、地元のおかあさんやおとうさんが得意料理を販売するホーム・カフェ、湖で行われるヴォルの伝統漁の大会、発酵食品を手作りするワークショップなど。基本的には、地元の人やヴォルと関わりのある人が企画を「提案」して、マリさんやターヴィさんが詳細を聞いて判断する。
「アイグ・オムは『キノコの菌床』みたいなものです。どのプログラムも、キノコが森の中で自然に育つように『オーガニックに』発生する。だから、去年は生えてたけど、今年は生えてこないということもある。毎年違う場所で、違う人がやりたいことをやっている。毎年同じ人が、無理に何かをやる必要はないんです」(ターヴィさん)
マリさんのライブや海外のドキュメンタリー作家による上映会、展示など「アート系のイベントは地元の人にとってはハードルが高い」とターヴィさんは言う。だからこそ、27年前から続いている伝統漁や、地元の人によるホーム・カフェなどがあることは重要なのだろう。
なるべく多くの人がアイグ・オムに関われるよう工夫していても、難しいことはあるようだ。特に巻き込むのが難しいのは「地元のおっちゃんたち」だとマリさんは言う。
「ヴォルの夏は、地元の人にとって繁忙期。干草をつくったり穀物を収穫する時期であり、毎日朝から晩まで働かなくてはいけない。そんななかアイグ・オムに来てくださいと声をかけたら『アイグ・オム(エストニア語、ヴォル地方の方言で「時間がある=ゆっくりいこう」の意味)ね……』とニヤリとされました(笑)」(マリさん)
そんな地域の人たちも実はアイグ・オムのことを気にかけていて、当日は来られなくても準備のときには会場に現れて、干草の座席をこさえては颯爽と去っていったという。「言葉はあまりないけど、行動で示す。それがヴォルの男」とターヴィさんは笑う。
「日本人」という外からの目線
ライブに並ぶメインイベント「森の日」では、森歩きや、森のなかでの瞑想やトーク、映画上映会、ナイトウォーキングなど、朝から夜まで自然に関するイベントが続いた。そこにゲストとして招かれたのは、山伏でアーティストの坂本大三郎さんと、「森の案内人」の三浦豊さん。ターヴィさんはふたりに「日本とエストニアの自然観や自然信仰の知られざる繋がりを見つけてほしい」という思いで今年のアイグ・オムに招いた。「文化人類学じゃないですけど、相手への理解を深めたら、自分のことまでわかってくる、ということがあると思うんですよね」とターヴィさんは言う。
ターヴィさんは坂本さんと三浦さんとのやりとりのなかで、印象的だったエピソードを話してくれた。坂本さんは瞑想と山伏の芸能、三浦さんは日本の森についてのトークと森歩きを行った。本来は森の奥まで60名で入っていく予定だったが、三浦さんと坂本さんは大勢で森のなかを歩くことに反対した。「ヴォルの森は、土がとても柔らかくて、ふかふかしている。これは、土のなかに菌類や動物など多くの生き物がいて、呼吸をしているからです」と三浦さん。坂本さんは「エストニアの森は手つかずであり、日本ではよほど探さなくてはいけない美しい光景がエストニアにはすぐそこにある」と話した。ターヴィさんは自分たちが「普通の森」と思っていたことに考えを改めたという。
「日本人がたくさんのインスピレーションを与えてくれました。たとえば、南エストニアの『十字の木』の風習と日本の山形の庄内地域の『モリ供養』といった森(モリ・杜)に関する土着信仰の類似点。また、エストニアでは『森』と『林』を言葉として区別せず、『Mets(メッツ)』と呼びますが、日本語では区別することなど。そして、坂本さんが自然とつながった暮らしをしている南エストニアの人びとと山伏が似ているとおっしゃっていて、とても興味をもちました」(ターヴィさん)
エストニアの森と日本の森の共通点や違いについて、真剣に聞き入るエストニアの人たち。途切れることのない質問の数々から、エストニアの人たちの真剣さが伝わってきた。
「外国人であるふたりがヴォルの自然に感動して、褒めてくれたことで、地元の人たちの自尊心が高まった」とターヴィさんは言う。マリさんやターヴィさんは、ほかの場所で暮らしていた時期が長く、海外に行くことも多いため、ヴォルの素朴で『磨かれていない』からこそのよさを知っている。ずっとヴォルにいると、そのよさがわからなくなることがあるかもしれない。外の人から指摘されて、初めて気づくこともきっとあるだろう。
「アイグ・オム」する、正しい時間をわかっていること
「アイグ・オム」という言葉は、「時間(=Aigu)がある(=Om)」という意味。エストニア語の、さらにヴォル地方の方言であり、「ゆっくりいこう」という意味も込められている。ヴォルの人たちが口癖のように言う言葉であり、生活の一部に溶け込んでいる言葉だ。ヴォル発信で、エストニア全土にもモットーのような形で知れ渡っている。
「ヴォルはタリンから250kmほど南下した、ラトビアやロシアと国境を接する辺境の地。ゆっくりなペースやマインドセットで暮らしを営む人が多い地域です。それを象徴する言葉がアイグ・オムだなと思います」とマリさんは言う。
三浦さんや坂本さんが驚いたことは、「アイグ・オム」のイベントの進め方がとても大らかで、柔軟だったことだ。たとえば、トークイベントが長引いてお昼の時間にさしかかったとき、一旦休憩を挟むことに。誰が「何時から」と決めることもなく、みんなが昼ごはんを食べ終わった頃合いに、ゆるりとまたトークが再会した。
これはエストニア人が時間にルーズだということではない。「イベントの名前が『アイグ・オム(時間がある)』で、ゆっくりいこうというメッセージもあるけれど、エストニア人は時間にきっちりしており、基本的に働き者。手短に、鋭く進めなくてはいけないときが日常のなかでは多くあるけど、『時間をかけるのが正しい』ときは、時間をちゃんとかけるべきでは」とターヴィさんは言う。
日本人の参加者が、こう言った。アイグ・オムはダラダラしているというわけではなく、実際はやることがたくさんあって、毎日忙しかった。でも、「心は疲れなかった」。
イベントは、当日なにが起こるかわからない。たとえ入念に準備をしていても、時間通りに進まなかったり、トラブルが発生したり。アイグ・オムのチームを見ていると、ほどよく準備して、あとはその場のなりゆきに任せて、瞬発力と工夫で対応していく。その場でやれることをやっていく、というスタイルなのだ。段取りに時間をかけすぎることなく、柔軟さと発想力で運営者自身もイベントを楽しむ。そんな「気負い」のないエストニア流のフェスのつくり方には、学ぶところがあるかもしれない。
多忙なマリさんやターヴィさんが、アイグ・オムを続けるのは、「時間をかけるべきことは何か」という問いに答えをもっているからなのだろう。南東エストニアは、国内でも平均所得が低く、またガソリン代、教育費、介護費などの費用負担が大きく「都市に引っ越してしまう人が多い」(ターヴィさん)という。
マリさんは言う。「私の音楽は、ヴォルの伝統音楽や言語、風景、自然、そして人びとにインスパイアされている。だから、この祭りを通して地域社会に何かを還元したい」。ヴォルという辺境の地の、豊かな自然や文化を受け継ぎ、住人や外の人をゆるやかに巻き込みながら、かたつむりのようにゆっくりと、でも着実に前進している。地域を明るくしたいと思って行動している人は、日本だけでなく、ここエストニアにもいる。
AIGU OM!:https://aiguom.ee
Aigu Om Japan:https://www.aiguom-jp.com
文:橋本安奈