先日、ちょっとした用事があり久しぶりに上京した。用事を済ませた後時間があったので、睡蓮の絵で有名な画家の展覧会に足を運んだ。絵画の知識はないが、大学の卒業旅行で行ったヨーロッパの美術館で「睡蓮」を見た記憶があり、行ってみる気になったのだ。
冷たい雨のしのつく平日の夕方。閉館まで1時間しかないのに、チケット売り場には短い行列ができていた。この展覧会の人気を実感しつつ、慌ただしく会場に入る。入り口の解説文に見入って団子状態になっている人たちの後ろを素通りすると、大きなカンバスに描かれた「睡蓮」とタイトルされた絵が並ぶ。白地が目立つ中に、言われて初めて分かる睡蓮が描かれている。睡蓮を描き始めた初期の頃の作品らしく、カンバス毎に様々な色で睡蓮を表している。巨匠といわれる画家も、試行錯誤を重ねて自分の作風を創り上げて行ったんだな、なんて分かった風なことを思いながら歩を進め、巨大な展示室に足を踏み入れる。この展覧会でも特に有名な作品が集まっている区画だ。
「日本の橋」という作品がある。どこが日本風なのか、そもそもこれは橋なのか、と近づいたり遠ざかったりして訝しく眺める。他の「睡蓮」などは言われればそんな気がするが、流石に「これは分からないな~」と思う一方、何か心に引っかかるものを感じながらも先を急いだ。そしてその展示室の最後に飾られている、ひときわ大きなカンバスの睡蓮の池を通り過ぎ、入口近くを振り返って見たとき、はっとした。
そこには、夕陽を反射して黄金色に輝く睡蓮の池と、池に架かる小さな橋があった。そこに絵がある、というのではなく、薄暮の中キラキラと輝く睡蓮の池の空間が、まさにそこに実在している、という印象だ。「そうか、これか、これなのか。画家が創り出そうとしたのは」。わたしは画家が出した謎を解いたような気になった。
こんな大きな絵は家のリビングに飾れないから、見る人は巨大なホールのような場所で一定の距離から見る。制作中の画家は、鑑賞者同様に十分離れたところから、何度もなんども見返しながら納得のいく印象が得られるまで色を重ねて行ったに違いない。ところが、アトリエはホールのように大きくはない。画家が出来栄えを確認する場所は、アトリエを飛び出して廊下か隣の部屋からドア越し、あるいは庭から窓越しということになるだろう。斜めから見たものが画家の視点かも知れないのだ。
「日本の橋」については斜め30度位、10メートルほど離れて観るのがベストポジションだった。このことに気づいたわたしは急いで展覧会場の入り口まで戻り、それぞれの絵についてベストポジションを探して歩く。絵を通り過ぎて振り返ってみたり、監視員のポジションを横取りしたりして。ここだ、という場所を見つけてはニヤニヤするわたしは、さぞかし奇異な客だったことだろう。
もちろん、わたしが「これだ」と思ったポジションが、最高のものだとオーソライズされているとは思わない。ベストポジションなら、会場の設営もそうなっているだろうし、解説でも触れているだろう。そもそも絵画の鑑賞にベストポジションがあるのか分からない。だが、わたしには「これだ」と思えるポジションがあった。そのことをとても嬉しく、誇らしく感じ、閉館時間を迎えた美術館を後に羽田空港に向かった。
出雲空港行最終便の搭乗アナウンスを待ちながら、ぼんやりと考えた。絵画を見るのに自分のベストポジションがあるのなら、会社などの所属する組織や家族、友人、住んでいる地域など社会との関係でも、そういう立ち位置があってもいいよな、と。
わたしの住む町では、令和7年に町長選挙、町議会議員選挙が行われ、大規模な建設事業となる町営宿泊施設の統合計画も持ち上がっている。選挙に立候補するとかではなく、住民の一人として関わり方があるのではないだろうか。この町に対するわたしのベストポジション。そんなものを模索してみても良いのではないだろうか、そんな気がしてきた。有るのか無いのかは分からない。だが、探さなければ決して見つからないベストポジションが。
—------
この原稿を書いた後、気になって画家のアトリエについて確認した。晩年に移り住んで睡蓮の池などを描いたアトリエは当初普通の大きさだったが、カンバスを巨大にするにつれアトリエを広大なものにして行ったそうだ。ただし、左右にだけ増築して行ったので、横幅は40メートルもありながら、奥行きは5メートルのままだった。ということは、画家の視点が斜め遠くから、というわたしの素人推理は、あながち間違っているとも言い切れないのではないだろうか。