愛知県から岐阜県郡上市の山間部、石徹白(いとしろ)集落に引越しをしたのは4月の頭。今まで住んでいた家との二拠点での生活になる。何を持っていくのか、何を残すのかを考える前に手当たり次第にダンボールに詰めた結果、「あれも無い、これも必要だった」ということになってしまった。きっと客観的に考えることができなかったからだろう。
モノには居場所のようなものがあるのだと思う。今まで暮らしていた家には既に彼らの居場所があって、私はその空間を日々眺めるのが好きだった。次に帰った時にはやっぱりその場所にあってほしいと思ってしまう。二拠点生活でなければこんな気持ちにはならなかったのかもしれない。気持ちを半分愛知に置いてきたまま、そうやって私たち家族の石徹白での暮らしは始まった。
何十年ぶりかの大雪で石徹白は4月に入っても田畑には雪がしっかり積もっていた。2階建ての屋根の高さまで積もったこともあったそうだ。まだ雪がちらつく日もあり、雪雲が浮かぶ空を見上げては白と黒が混じり合った山々をぼんやりと眺める日々がつづいた。寒かった。本当に。たまに青空が広がり暖かい太陽の日差しが差し込む日がある。
「あぁ、お天道様ありがとうございます」と。
そう思ったのは、とても自然な成り行きのようなものだった。突然湧いてきた感情に戸惑いながら、何かに感謝するということは、頭で考えることではなく身体の内側からこみ上げてくるものなのかもしれない。そんな感覚を味わっていた。ここに来て私はやっとそのことを実感したのだ。

石徹白は白山の山岳信仰と関係が深い集落で1年を通して様々な神事がある。5月、白山中居神社に「五段の神楽」というふたりの巫女舞の奉納、神輿渡御が行われる神迎えのお祭りに出掛けた。神々への感謝と五穀豊穣を祈願し、春の訪れを祝う千年以上続く伝統神事なのだそう。巫女を務めるのは地元石徹白小学校の高学年のふたり。笛や太鼓のお囃子には集落に住む移住者の方々も多くみえた。集落全体でこの神事を大切に守り続けていることが伝わってくる。
「昔は限られた家の子どもだけが巫女に選ばれたのよ」
前日に聞いた言葉が頭に浮かぶ。お囃子も誰もができるわけではなかったのだろう。毎日登下校の時に挨拶するあの子も、移住後に何かと気にかけて声をかけてくれるあの人も、いつもとは違う特別な何かを纏っているかのよう。舞が始まると同時に笛や太鼓の音色が力強く響き合い、ピンっと張り詰めた空気がその場を包み込む。私もその音の中に溶け込んで一つになったような不思議な美しさだった。

石徹白の日常、非日常に触れることでこの土地との特別な関係性が生まれていくのだろう。ここで生きて暮らす人たちが大切に守り、この先の世代へと受け継がれていくであろう豊かさや幸せをこれから綴っていきたいと思っている。