縁(へり)のまち豊岡
「どんなものでも、縁(へり)が面白いんだよ」
ブラタモリでタモリさんがよく言っていた言葉です。
確かに、縁(へり)には中心にない面白さがありますし、地方都市も同じように縁の面白さがあります。僕が暮らす兵庫県の豊岡市もそんな縁の面白さが残るまちです。

豊岡市は兵庫県の北部に位置する但馬地域の中心地です。まず但馬(たじま)って地域がどんな所かを話しますね。但馬地域のほとんどは山です!平地があまりありません。写真のように海岸線まで山々が迫っていて、猫の額のような小さな平地に漁村が点在しています。もちろん、一定程度の平地にはしっかりとした町(まち)があります。産業としては全国ブランドとして有名な但馬牛や冬の味覚の王者といえる松葉ガニなど豊かな自然を生かした農林水産業が盛んです。山が多くて平地が少ない、自然を生かした産業はあるものの、第二次、第三次産業といった生産性の高い産業が少ない地域と言えます。

神戸や尼崎など大都市を持つ兵庫県の中で但馬はどんな地域かというと、面積は全体の25%も占めますが、人口はたったの2%という状態です。何となくわかってもらえました?
あっ、凄く大事なことを言い忘れていました。
但馬には渋滞がありません!
もう、これだけで但馬って場所(トコロ)をわかってもらえると思います(笑)。
自然が豊かでのんびりした地域の但馬の中心地として豊岡市は近代から発展してきました。明治の廃藩置県で近畿地方の北部である但馬、丹波、丹後地域は一つにまとまり豊岡県となりました。その名の通り豊岡県の県庁所在地は豊岡です。しかし、阪神間からそれほど遠くなかった豊岡県は明治政府の意向により解体され神戸を中心とした兵庫県の一部として再編成され、兵庫の地方都市のひとつになりました。現状を見ると地方の田舎まちだけど、昔は地域の中心として文化交流が盛んだった縁のまち「豊岡」を何となくわかっていただけたかと思います。
小さいながら但馬の文化が集積する町として栄えてきたので、まちなかには飲食店がたくさんあります。縁(へり)である地方都市は大手資本の参入が少なく、都会でよく見かける居酒屋チェーンは豊岡では駅前に一店舗あるくらいです。
実は1年前、大手資本の参入状況によって豊岡が一瞬ざわつきました。駅前のSUTAYAにスターバックスが併設されたのです。近年、豊岡では文化や観光を中心とした施策が非常に進んでおり、市内に「芸術文化専門職大学」が設立されました。それによって若い人が多く住むようになり、豊岡のまちなかも少しづつ新しい資本が入るようになってきています。

1927年に建てられた旧豊岡市役所を改装して使われています。
縁(へり)に息づく中華そば
そんな古さと新しさの縁真っただ中の豊岡で僕が注目しているのはラーメン店です。
ラーメンといえば家系、二郎系といった○○系で語られることが多いですが、縁のまち豊岡では中華そば然としたラーメンが健在です。あえて言うなら「中華そば系」でしょうか。
豊岡に住んでまだ1年ほどなのであまり詳しくはありませんが、ネットなどで調べると市内に評判のお店が何店舗かありますが、その多くは中華そば屋さんです。今回は僕が食べた「ザ・中華そば」を何店舗か紹介したいと思います。
まず紹介したいのは蕎麦屋さんが作るラーメンです。お店の看板には「生そば」と書いてありますが、メニューにはなんと蕎麦がありません。メニューにはうどん・ラーメンと書いてあり、ほとんどの人は人気のラーメンを頼んでいます。僕はラーメンが有名な蕎麦屋さんでうどんをおかずにラーメンを食べました。


ラーメンをおかずにうどんをすする?
二軒目は昔ながらの食堂です。こちらは蕎麦・うどん・ラーメンの麺三兄弟がそろい踏みしています。ここは丼物などのご飯系もあり、きつねうどんとミニ玉丼やラーメンとミニ焼き飯があります。また、セットメニューには変化球があり、「ラーメン+ミニ玉丼」や「きつねうどん+ミニ焼き飯」など「一人異種格闘技戦」が楽しめます。

安定のメニューの中に何やら変な組み合わせが……。
あと、「にゅうめん」を「ニューメン」と書くところに新しさを感じます。

三軒目は大正から続くうどん屋さんでいただく中華そばです。この店も昔ながらの食堂然としたお店で、蕎麦・うどん・ラーメンの麺三兄弟が楽しめます。二件目のような変化球はありませんが、「小うどん」あり、「うどんをおかずにラーメンをすする」ってのがもっとライトに楽しめます。

大正時代にラーメンはあったのか?

他にもまちなかにはたくさんラーメン屋さんがあります。お店の看板はうどん屋さんですが、「冷やし中華始めました」みたいに「ラーメン有ります」という貼り紙をわざわざしているお店もあります。そんなにラーメン需要高いのでしょうか?

いずれにしても、昔ながらのあっさり醤油にしっかりチャーシューとシコシコ麺の中華そばといえるラーメンが食べられるお店が多くある豊岡ですが、そんなお店たちも、ある「通り」に固まっています。その通りというのが「元町通り」という名前の通りです。カバンストリートという鞄のまち豊岡を代表する通りも元町通りとつながっています。
元町通りは江戸時代に城下町だった豊岡の北側につながる街道として整備されており、古くからまちの背骨として栄えた通りです。そのため、通りに面する建物はレトロな建物が数多く残っており、その一角にラーメン屋さんが何件か残っています。
元町通りを歩いているとまちの歴史を高低差から感じることが出来ます。豊岡駅を中心とした豊岡のまちはその昔、湿地帯でした。そして、湿地帯を避けるように神武山(じんむさん)という山にお城を構え、その周辺の高台に城下町が整備されていました。なので、旧街道である元町通りもその名残を受けて、周囲より少し高い位置にあります。


日本の縁と言える地方都市の豊岡に絶滅危惧種のように残っている中華そばたちは今日も元気に豊岡市民の胃袋を満たしてくれます。そして、そのお店の大部分は昔の街道に位置するというのは、なかなかに興味深いなと思います。
豊岡の中華そばたちに出会ったとき、ぼくの中である言葉が浮かんできました。
「中華そばの地政学」
中華そばを食べ歩いていたら、なんだか豊岡のことが少しわかるようになってきました。
日本の縁にある地方都市で何軒か中華そばのお店に出会ったら、中華そばからまちの地政学を探ってみてはいかがでしょうか。
