山と生きてきた土地
そんな土地で、商品化や新しい事業の開発を目指し、自分たちの持っている技術や知恵を生かしたモノづくりをする講座「里らぼ」の成果発表会の評者として呼んでいただいたのが2月のこと。その後、6月からは、木曽町、上松町、南木曽町、木祖村、王滝村、大桑村からなる木曽広域連合の移住促進プロジェクトで木曽地域と関わらせてもらいました。
こうした木曽地域でのプロジェクトに僕を呼んでくれた中心人物が坂下佳奈さんでした。坂下さんは「里らぼ」を主催する木曽町のコワーキングスペース『ふらっと木曽』の運営メンバーをしています。この『ふらっと木曽』では、木曽の伝統的保存食「すんき」づくりや、木曽地域に伝わる独特な防寒具「ねこ」をつくるワークショップなどが行われており、移住者や木曽地域の伝統文化に関心がある人たちが集える場となっています。
今回、木曽地域の移住促進プロジェクトに携わるにあたって、坂下さんと木曽地域在住のデザイナー・蒲沼明さんと僕の3人で、木曽地域の魅力を探すべくフィールドワークを行いました。72キロの木曽路を熱中症気味になりながら歩き、農家のお婆ちゃんに話を聞きにいって、たくわんをたらふくご馳走になったり、御嶽山に登り、帰りのロープウェイの時間に遅れそうになったため、山を駆け下りてひどい筋肉痛になるなど、なかなかハードな珍道中でした。フィールドワーク中に驚いたことは、各所を巡っていると、その地域ごとに坂下さんの姿を見つけるとにこやかに挨拶してくる人が大勢いたことです。まるで売れっ子芸能人のような人気者っぷりでした。
流動性と土着性
その話を聞いて、僕は思想家のアーネスト・ゲルナーが述べたことを思い出しました。近代以降に推し進められた産業化は、流動的で文化的に同質な社会を生じさせ、農耕社会のように土地に縛られなくなった流動性を持った人々は、教育機関によって産業社会のなかで「何者か」になるスキルを学んだ。ゲルナーはそのようなスキルを「高文化」と呼び、高文化を身につけた人々は「相互に互換可能」な存在になったのだ、と述べました。
ゲルナーの述べたことを、僕たちに引き寄せて考えてみると、地方より都会のほうが仕事も多く、給料も高いし、刺激的なことも多いので、人はどんどん都会に出て行ってしまう傾向があり、都会でいい暮らしをするためにはいい大学を出ることが有利になる。ただ、そのようなスキルを持っているのは自分だけではないので、歳をとったり、病気や怪我をしてしまえば、自分のポジションは誰かにとって代わられてしまうかもしれない。そんな話になるかと思います。
坂下さんが、「都会暮らしで自分に何か蓄積しているものはあるんだろうか」という疑問を抱いて木曽に移住してきた話も、流動性のある互換可能なものではない、確かなものをつかみたいという思いだったのではないかと僕は感じました。そういう僕自身も、自然の中で生きる技術や知恵を学びたくて山形県の山間部に移住した人間です。
今回は移住促進プロジェクトの一環として、バスのラッピングをするという仕事で木曽地域に関わりました。フィールドワークを行い、その土地の人たちの話を聞いていく中で、僕は都会になくて自然豊かな木曽地域や山形県などにあるものを、流動性のあるスキルではなく、土地に根ざした「自然の中で生きるための基礎的な技術と知恵」ではないかと考えました。そこに「木曽」をかけて「イキルキソ」というワードをつくり、バスに描くビジュアルを作成したのでした。
山間部に移住した僕ですが、都会が嫌いになったわけではありません。都会で遊ぶのも大好きです。しかし、内閣府の調査によれば年々地方への移住を望む人が増えている一方で、現実には都会に人がどんどんと吸い寄せられてしまう状況は変わらず、僕は地方から文化を担う人が減っていくことに不安を感じてしまいます。現代社会を生きるには高文化を身につけることも大切ですが、自然や土地や先人たちが紡いできた時間とのつながりを実感することも、充実した人生を過ごそうと考えたときには見落としてはならないものだと考えています。
とはいえ、坂下さんや蒲沼さんのように土地に根差した活動をしている人を見ると勇気づけられます。木曽はいいところなので、これからも足を運びたいです。お呼びでない、といわれないようにしないと。