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サスティナビリティ

連載 | 未来型土着文化

平坦な故郷で僕らが生き延びること

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目次

故郷の欠落

 工場や家々から流れ出る汚水の臭いが立ち込める東京湾。埋め立て地に立ち並ぶコピーペーストされたような団地。国道を行き交うトラックの排気ガスが喘息持ちの僕の呼吸をゼーゼーと苦しくさせる……僕はそんな環境の中に生まれ育ちました。そのためか、山から流れ出る清流や、深い青色の空やそこに浮かぶ入道雲、茅葺き屋根の家をイメージさせる「故郷」という言葉に憧れを抱き、同時に自分には「故郷がない」という欠落感を持っていました。

 それが、山伏の文化に惹かれ、東北の山間部に残る生活技術を学ぶために山形県に移住したことの理由のひとつだったかもしれません。

 しかし山形県で暮らし始めてみると、集落が衰退していく様子を実感するようになりました。例えば僕が暮らしている西川町は、厚生労働省の将来推計人口を参考にすれば、2000年に約7400人いた人口が、2020年には5000人程度、2045年には2500人を切り、現在の半分以下の人口になることが予測されています。生産性の高い地域に人は集中する傾向がありますが、2020年の「西川町町勢要覧」によれば、生産人口2429人に対して高齢者人口が2314人と、町の全人口に対して生産を担える人口比率が全国的に見ても極端に少ないのが現状です。

 人が少なくなれば、その土地の文化や、僕が移住し学びたいと思った山間部の生活技術の継承が困難になっていきます。春に山菜採りをしていても、去年まで元気だったお爺ちゃんがもう動けなくなったとか、亡くなったとか、そんな話をよく耳にするようになりました。

 故郷が解体していくこと関して、見田宗介氏の『新しい望郷の歌』には、1960年代に出稼ぎ労働者が都市に定着して、戻るべき場所を失い、結果として人口が流出した村が解体し、秩序や共通の価値や道徳的基準を失っていく様子が考察されています。

 また評論家の小林秀雄氏は1933年の著作『故郷を失った文学』の中で、東京の神田生まれの自分が、地方出身者が抱くようには故郷への想いを実感することができず、伝統を失い不安や焦燥を感じるが、そのことで西洋から輸入された近代や文学というものから受けた影響が、もはや影響されたのだと判然としなくなるほど受容することができた、と述べています。

 見田宗介氏の述べる故郷喪失者は、「地方から都市へ移動することで故郷を失った存在」ですが、小林秀雄氏が述べるのは、近代を受け入れていくことと並行して、日本の都市が伝統と切り離されることで発生した「あらかじめ故郷を失った存在」といえるのではないでしょうか。

 アメリカの音楽を聴いて育った音楽家の細野晴臣さんが、日本に自分たちの居場所がないと思いながら、アメリカに行ってみたら、アメリカにも居場所は見つけられず、自分たちは「浮いた存在」であると感じて、バンドで『さよならアメリカ、さよならニッポン』という曲を作ったと著作『分福茶釜』で述べています。都市に近い千葉県の、伝統と切り離された住宅街で育ち、故郷を探して東北の山間部を訪れたものの、そこには崩壊しかかっている故郷しかなかったという、自分にとっても共感できる思いがします。

 日本が西洋を受け入れ、近代化することを推奨していた福沢諭吉は、1879年の著作の中では「我日本の学者論客が西洋を妄信する」ことを怪しむべきこととして、また後にも、人々が蒸気、電信、郵便、印刷といった新しい技術、「文明」に翻弄され、改革者を気取った者たちが日本の旧習を捨て、西洋の事物をありがたがることによって、人の心は空虚になり精神を病む者も現れてきているということを述べています。

 自分なりにこれらの人たちの考えを要約すると、日本は明治に入り西洋から近代的な文明を取り入れたけれど、そのことで伝統的な文化とのつながりが稀薄になり、戦争や高度成長期を経て、経済的優位性を求めた人の都市部への移動にともなって、地方の古い共同体は解体する方向に向かい、多くの故郷喪失者が生まれたと考えられます。1975年生まれの僕自身が、まさにあらかじめ故郷を失った存在だったように思われます。

近代と向かい合うこと

 山形県で暮らして10年弱になりました。そんな自分が、あるとき生まれ育った千葉県に戻ると、そこには日本中どこにでもあるような郊外の風景が広がっているのですが、何ともいえないような懐かしさを感じました。のっぺりとした、平坦な、表情の少ない土地ですが、やはり自分の故郷なのだと感じられたのです。

 ふと『故郷を失った文学』の最後の一節が思い浮かびました。「歴史はいつも否応なく伝統を壊す様に動く。個人はつねに否応なく伝統のほんとうの発見に近づくように成熟する」。

 故郷やそこに根付いた文化と向かい合うとき、近代とも向かい合わなければならない。そこに「ほんとうの発見」があるのではないだろうか。生まれ育った土地を前にして、僕はそう思ったのでした。

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