えん

連載 | こといづ | 92 えん

 ゴトゴトゴト、ガタンガタン、「おはよ〜」。久しぶりに大工のスエさんが我が家の修繕工事に来てくれた。ここに越してきてから数年間、あっちも直して、こっちも直してと、きっとこんな無茶な注文はほかの工務店だと嫌がられていたと思う。どこもみまくっている古家を、ああでもない、こうでもないと工夫しながら直してくれて、すっかり住みやすい家になった。それでも、毎年、またどこかが傷んで、ここがこうやったらもっと住みやすくなるなあと願望が絶えない。「スエさん、このままやと、いつまでも仕事が終わらへんなあ」、「かっかっか、ほんまにぃ」。


 映画監督の細田守さんがうちに来られた時も「ここは、大工のスエさんがあっての暮らしですね。どこを見てもそう感じます」とった。僕も毎日そう思う。スエさんは、家の大工仕事だけでなく、川から水を引いたり、クヌギの木を切り出して椎茸を育てたり、石を運んできて石垣を造ったり。災害など困ったことになっても、スエさん一人いれば多くの人が助かるのではと思う。山に住んでいることを、そのまま楽しむこと。スエさんといると、そんなシンプルなことを学べる。


 手元にトンカチがない時は、自分の握りこぶしで釘を打ってしまう屈強なスエさんだけれど、休みなく仕事を続けているうちに腰を悪くして、座っているだけで痛そうだ。「もう歳やで、大工の仕事も引退や」と腰をかばいながら、ぎこちなく歩くスエさんを見る度に、ああ、お願い事をし過ぎたのかもしれないと、早くよくならへんかなあ、「腰痛に効く」という情報を目にする度にメモを取ったり、勉強してみたり。まずは自分でも躰の悪いところに試してみようと、いつの間にか、僕自身が健康的になっていったり。


 それでも、なかなか腰は治らないまま、1年が過ぎ、2年が過ぎ、家にいることが多くなったスエさん。会う度に腰が痛そうな姿を見ていると、ああ、ほんとうにもう大工仕事は頼めへんのやなあと寂しい心でいっぱいになる。うちの家は家で、蔵の床が抜け、奥の部屋の天井が落ち、修繕をしていない箇所はやっぱりどんどん傷み続けていく。困ったなあ、ほかの工務店に頼もうともしてみたけれど、なんだか気が乗らなくて、スエさんを諦めきれない。「悩んでるんやったら頼んでみたら」と妻が言うので、えい、思い切って、「スエさん、最後にもう一回だけ、ここだけ仕事をお願いできひんかな」と頼んでみると、「ほな、明日からいくわ」と、まるでこの2年の空白がなかったかのように、また今日もトントントントン、心地よい音が谷に響き渡っている。「この天井をどうやったろかいなと思案しとるんや」と目をキラキラさせながら、せいっと足場に上る。なぜだか、子どもの頃の遊びの続きがまた始まったみたいだと思った。それで、僕の止まっていた歯車も回り始めた。


 今まさに、今年に入って2本目の映画音楽に取り掛かっている。映画音楽というと、大層なことをせねばと少し身構えてしまうけれど、スエさんのお陰か、ここ数年使っていなかった心がふたたび動き始めたみたいで、気楽になってきた。あっ、10年前につくったメロディを今ようやく使えてる、あっ、これは20年前に思いついてたけど放ったらかしにしてた音楽や、と作業を進めれば進めるほど、懐かしい喜びに出合えて、嬉しい。


 今、興味があること。純粋なこと。生きている純粋さ。子どもの心。子どもの心の続き。

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