今年は、イリオモテヤマネコが学術上正式に命名されてから50周年という記念すべき年で……。
5月も半ばを過ぎたころ、ふと本棚に並ぶ古い雑誌を手にした。発行日が「昭和42年5月13日」とある。しまった、すっかり忘れていた。この雑誌は日本哺乳類学会の前身が発行していた『哺乳動物学雑誌』というもので、この号にはイリオモテヤマネコの記載論文が掲載されているのだ。今年は、イリオモテヤマネコが学術上正式に命名されてから50周年という記念すべき年で、その日を迎えた時には泡盛で乾杯しようと思っていたのに……。
イリオモテヤマネコの生息数は現在100個体程度といわれ、今なお交通事故などで死亡する個体があるのだという。ネコサイズの動物がわずか50年前まで発見されていなかったという事実にも驚かされるが、同じく絶滅危惧種のツシマヤマネコのほうは明治初年、すでに長崎県の対馬に生息することが知られていた。明治時代後半になると、八重山諸島へは標本を求める採集人が送られて動物調査が行われたが、それでも見つかっていなかったということらしい。西表島がいかに未開の地だったかということを物語っている。
イリオモテヤマネコは1965年にこの島を探検した動物文学作家・戸川幸夫氏が入手した毛皮によってその存在が示唆された。毛皮は前述の学会において紹介され、会長の黒田長礼によって国立科学博物館の今泉吉典先生に調査を一任することが指示された。戸川氏が追加で入手した西表島のヤマネコの標本を加えて、今泉先生はこのネコを世界中のヤマネコ類と比較する調査研究を行ったのである。その結果、イリオモテヤマネコはあらゆるヤマネコの中で最も祖先的特徴を持つとして、前述の論文で新属新種として記載された。それから50年の間に「新属にするのは過大評価である」という意見や、近年のDNAを用いた研究によって「大陸に分布するベンガルヤマネコの亜種として位置づけられる」ことが判明して、かなりランクは下がってしまった。しかしそれが、日本列島の南西端にある島にヤマネコが生息していることの価値を下げるものではない。
記載を行った今泉先生は、戦後の哺乳類学を牽引した人物である。また当時混沌としていた哺乳類コレクションを精力的に整理した方で、僕が管理する収蔵庫には、タイプ標本を含めて12点のイリオモテヤマネコの標本が大切に保管されている。うち2点は、1969年から1975年にかけて、研究部が上野地区にあったころ、屋上で飼育されていた雌雄である。当時世話をしていた今泉先生の助手・渡辺芳美さんは今でも筑波研究施設で標本作製の熟練補助係として働いており、当時の話を聞かせてくれる。雄の「リオ」は僕が生まれた1973年に死亡。この年に彼女が執筆した飼育記録が雑誌『どうぶつと動物園』に掲載されていることはあまり知られていない。雌の「モコ」は1975年の死後、本剥製標本として作製され、現在国立科学博物館の日本館2階に展示されている。すでに時を経てやや色褪せた剥製ではあるが、ベンガルヤマネコとは一風変わった背面の模様は、「分類と系統は別ものである」と考える僕に、独立種でよいのではないかと思わせるものだ。