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特集 | 続・ウェルビーイング入門

「僕、美容院で髪が切れたよ!」。親子でうれしい「スマイルカット」。

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美容院に行けない子どもがいて、親子で困っている──。それを知った美容師の赤松隆滋さんが始めた取り組みが評判を呼び、全国に広まっています。

目次

美容院で髪を切る、 社会経験を積ませたい。

「どんな髪形にしようかなぁ。髪切るの、大好きなんだ!」。11歳の男の子の弾んだ声が、美容院に響く。ここは京都市伏見区にある美容院『PeaceofHair』。男の子の前でハサミを握るのは、店長の赤松隆滋さんだ。
 
髪形が決まり、ヘアカットが始まった。チョキチョキというハサミの音とともに、男の子の伸びた髪がパラパラと床へ落ちていく。それを見て「これが僕の髪? 触らせて! こんだけあるんやなぁ」と、男の子は興味津々。鏡に映る自分と赤松さんの慣れた手つきを見つめている。「バリカン使っていい?」と赤松さんが尋ねると、「うん」。赤松さんは、彼の襟足やもみあげをきれいに整えた。
赤松さんが鏡を使って新しい髪形を見せると「おぉ!もう一回見たい!いい感じ!」と、うれしそうな男の子。仕上げのシャンプー中には「いいにおいのシャンプー!はぁ〜リラックスー。気持ちいい」と声をあげた。髪を乾かしたら、完成。終始、男の子は笑顔でご機嫌だった。

この様子を微笑んで見守っていたのは、男の子の母親の理恵さんだ。実は、男の子は発達障害の一つである「自閉スペクトラム症」で、彼はその特性のためにじっと座っていることが苦手だった。理恵さんは彼が3歳半の頃、格安の理容チェーン店に連れて行ったことがあったが、5分と座っていられず、理容師から「もう切れません」と言い渡されたのだという。「ハサミという刃物を扱うお仕事ですから、お客が動くと危ないというのは分かるんです。でも、その言い方がとても冷たくて、大きなショックを受けました」。

大切な我が子を拒否されてしまった、悲しみ。どんどん伸びていく、息子の髪──。理恵さんは「あのときは落ち込みました」と話す。それ以来、男の子は自宅で父親に髪を切ってもらうようになった。「それでも外で髪を切る社会経験を積んだほうがいいのではないか、という気持ちはずっとありました」と理恵さんは言う。
 
2020年、理恵さんがSNSを通じて知ったのが、発達障害などで髪を切るのが苦手な子どもを対象にした赤松さんの活動「スマイルカット」だった。親子で訪れると、赤松さんはかがんで男の子と目線を合わせて話し、イラストのカードを活用してヘアカットの手順を分かりやすく伝えた。発達障害のある人は、あらかじめ手順が分かると見通しが立ち安心しやすいという。彼はあの日から初めて美容院で髪を切ることができ、通うようになったのだ。「ここの存在が支えになっています」と理恵さんは話す。

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赤松さんは子どもが落ち着ける環境をつくり、本人の気持ちを尊重して寄り添う。まずは世間話。
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髪形が決まったらケープを巻く。男の子は赤松さんのヘアカットに通い始めて3年目に。
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ヘアカットの間、男の子はじっとしていた。

発達障害のある人の ヘアカットを研究。

ところで赤松さんは、なぜこの活動をしているのだろう。

「10代の頃は、愛情深い先生に出会えた影響で小学校の先生になりたかったんです。でも大学卒業後、『この人のもとで働きたい』と憧れた情熱的な人がいて、弟子入りしました。その人が、美容院の経営者でした」
 
美容師となった赤松さんは師匠のもとでがむしゃらに働き、30歳で独立した。「師匠は『人を大事にせぇ、人に尽くせ』『儲けたお金をどう使うかがお前の器やぞ』とよく言っていましたね」。

10代の頃の夢と、師匠の言葉が赤松さんの心にあったのだろう。2009年、赤松さんは地域貢献として児童館で「子ども前髪カット講座」をするボランティアを始めた。すると、見学に来ていた二人から思わぬ相談を受ける。「当時小学2年生の発達障害で聴覚過敏のあるYくんともう一人のお母さまでした。『将来独り立ちするために、ヘアカットが受けられるようにしたいので、練習につき合ってもらえませんか』と。僕はそのとき美容院に行けない子どもがいると初めて知ったんです」。

彼らが通う児童館で練習を始めることにし、赤松さんは前向きに「障害があってもなくても、同じ子どもだ」と考えていたという。

「当日、Yくんはずっと下を向いていました。ケープを巻いても嫌がらず、切り始めても動じない。今思えば、極度の緊張状態だったんですよね。5分ほどで髪がきれいになったので、僕は『完璧な仕事がしたい』と調子にのったんです。大きな音は苦手な特性だと聞いていたのに、『ここだけバリカン入れるね』とスイッチを付けてしまいました」

バリカン音が鳴ると、Yくんは急変した。一瞬でパニック状態になって泣き叫び、部屋中を走り回ったのだ。現場は騒然とした。見守っていた母親が慌ててYくんを追いかけ、強く抱き寄せた。「大丈夫よ、大丈夫よ……」。赤松さんは立ち尽くし、それを見ていることしかできなかったという。

「ショックでその夜は眠れませんでした。恥ずかしながら初めて発達障害について調べたんです。翌日Yくんのお母さんに電話したら、僕に文句を言いたかったかもしれませんが、こうおっしゃったんです。『この子の髪、これからもお願いしていいですか』って……。僕はこのことを教訓にしよう、と胸に刻みました」

赤松さんは二人がどうすればヘアカットを最後まで頑張れるのか、独学で調べた。発達障害のヘアカットの専門書はなく、試行錯誤の末に「ABA(応用行動分析)」などを取り入れるようになる。当初は二人のことだけを考えていたが、赤松さんのヘアカットは評判になり、障害のある子どもをもつ保護者のネットワークを通じて全国から次々に依頼が舞い込んだ。

「困っている方がたくさんいらっしゃるんだと痛感しました。同時に、彼らの特性を知らずにヘアカットを断ったり、羽交い締めにして切ったりしている美容業界の現状も知りました」

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赤松さんは、よりよい方法を求めて多くの専門書を読んだそう。「発達障害のある子には、最初のアプローチの仕方が重要です。フレンドリーに接して、怖くないんだと分かってもらうようにしています」。
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15分ほどでヘアカットは完了。男の子はさっぱりとした新しい髪形に大喜び。

ヘアカットは、本人も 保護者もうれしくなる。

赤松さんは14年、発達障害のある人がヘアカットを受けられる環境を目指しNPO法人『そらいろプロジェクト京都』を設立。全国の美容師に講習でノウハウを共有し始めた。現在「スマイルカット」実施店は60店以上、同法人が一定の経験を積んだと認めた認定店は5店になっている。さらに赤松さんは、美容師を目指す学生が使う教科書に発達障害の人への配慮を入れたいと願い、さまざまな活動をしている。22年春からは、美容コースのある大阪樟蔭女子大学の非常勤講師にもなった。

「『絶対に切らへんからな!』と拒んでいた子が、なんとかヘアカットを終えたところ、髪形を周囲から褒められて『次はこんな髪形にして』と言ってくれたことがあります」と赤松さん。身だしなみが整えば、人はうれしい。冒頭の理恵さんのように、保護者だってうれしい。それはつまり、親子のウェルビーイングなのだ。
 
赤松さんはもっと先も見つめている。「いつか『スマイルカット』が当たり前になって、みんなで喜んで解散することが目標です」。

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「発達障害の子どもは『困った子どもでなく、困っている子ども』。大人が笑顔で手を差し伸べたいですよね。貴重な経験をさせてもらい、『切らせてくれてありがとう』と感謝しています」と赤松さんは話す。
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赤松さんの著作絵本『ピースマンのまほうのハサミ』(電気書院刊)と『ピースマンのチョキチョキなんてこわくない!』(久美刊)。
photographs by Mao Yamamoto text by Yoshino Kokubo

記事は雑誌ソトコト2022年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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