「みかん愛」と「田村愛」の強さで関係人口を増やす。
2020.08.02 UP

「みかん愛」と「田村愛」の強さで関係人口を増やす。

FOOD

※本記事は雑誌ソトコト2017年11月号の内容を掲載しています。記載されている内容は発刊当時の情報です。本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

1年で延べ100名を超える大学生が足を運ぶ場所となったブランド「田村みかん」の産地、和歌山県・湯浅町田地区。その裏には、みかんの全国消費量減に危機感を覚えた樫原正都さんと仲間のみかん農家の活躍がありました。

世帯の半数がみかん農家。田村はブランドみかんの里。

「田村はおいしいみかんの生育に絶好のロケーションなんです」と笑顔で畑を指差す樫原正都さん。温暖な気候に強く吹き付ける潮風、ストレスがかかるほど果実は甘くなるそうだ。恵まれた土壌で育った「田村みかん」のブランドは、一般流通の5倍近くの価格で取引されることもある。人口約1000人、250世帯の有田郡湯浅町田地区(以下、「田村」)。約半数の120軒がみかん農家だ。「幸美農園5代目園主」の肩書で母親と共にみかんづくりに携わる樫原さん。おいしいみかんづくりは母親に任せ、今力を入れているのは農業へのハードルを下げ、田村に関わる人を増やすことだ。

「『田村みかん』のブランドを売るための営業はしていないんです。むしろ生産が追いつかないくらい需要があって。一度、みかんや田村を外から見た僕だからこそ、遊軍となってできることがあると思うんです」

段々畑
みかん特有の段々畑。
みかん畑にて
畑に向かう樫原さんと井上さん。

みかんでつながった、活動を支える心強いパートナー。

2016年9月、樫原さんは新卒から勤めていた映像制作会社を辞め、東京から地元・田村に戻ってきた。「同世代よりも高い給料をもらい管理職に就き、このままじゃ自分が腐っていくんじゃないかと、ふと不安になったんです。一度恵まれた立場を失おうと思い、新しい経験ができる場所はどこだろうかと考えた末、思い浮かんだのが高校卒業と共に出た田村のことでした」と樫原さんはUターンのきっかけを振り返る。

当初、実家の経営を見直し、3か月ほどで田村を出ようと計画していたそうだが、みかんについての知識を持っていなかった樫原さん。たまたまテレビ出演をしていたみかん好きの大学生が集まるサークル『東大みかん愛好会』のメンバーに興味を持ち、連絡をとるように。メンバーと話す中で、みかんの全国消費量が20年前と比較して大幅にダウンしている事実を知った。「みかんの消費量激減は大きな衝撃でした。『田村みかん』は人気のあるブランドですが、10年後にその人気が約束されているわけではありません。9割近くが専業農家の田村がこのまま衰退していったら……と想像すると恐ろしくて。僕、田村が大好きなんです。好きだから何かしなきゃって」。みかんが売れなくなったら地元が衰退していく。今自分がやるべきことは、実家の経営よりもみかん業界全体を底上げすることだと気づいた瞬間だった。

幼馴染みの井上信太郎さんは、樫原さんをよく知る協力者だ。実家のみかん農園『善兵衛農園』を継いだのは、樫原さんが地元に戻る半年前。和歌山大学でグリーンツーリズムを学んだ後、2年間農業コーディネーターとしてのノウハウを積んだ井上さん。就農当初から、みかんづくりに励みながら、県外の大学生をターゲットに田村で農業体験の機会を設けていた。2016年10月、井上さんは『東大みかん愛好会』のメンバーから樫原さんが田村に戻ってきたことを知らされた。間もなくやり取りを始め、二人は再会。田村でやりたいことを語った。幼馴染みとはいえ、中学校を卒業してから話すことがなかった二人が打ち解けたのは、「田村を観光地で終わらせたくない」という共通の思いを持っていたから。「信太郎は僕と比べて人当たりがいいからほんま助かります」と樫原さん。田村を担う遊軍に、参謀役・井上さんの存在は不可欠なのだ。

みかん箱
『田村出荷組合』はブランドを守るために欠かせない、田村独自の仕組みだ。「組合内では、各農家のみかんの価値が一目でわかり、評価がダイレクトに伝わる。プレッシャーでもあり、高め合いにもなる」と樫原さん。

photographs by Hiroshi Takaoka
text by Hitomi Nakano

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