自分のなかに、何か一つテーマとなる問いを持ち続けること。さまざまなインプットやアウトプットを通じて、その問いのかたちを変えていくこと。それが自身の学び方だ、と安斎さんは話します。
【学び方の3つのPOINT】
解決されずに変わっていく問いもある。問いを、必ず解決しなくてはならないとは考えない。
問いが変わることを恐れない。問いとともに自分も違う何者かになっていくものです。
教育やコミュニケーションの分野において「人が学ぶとは何か」に対する答えは、まだ出ていません。かつては行動主義という「刺激を与えることで行動が変化すること」を学びだとしていましたが、現在では「コミュニティへの参加と、成長を通じて周囲に認められることで得られる心のありようの変化」が学びだと認識されるようになりました。例えば、落語家一門のような徒弟制度のコミュニティにおいて、入門したばかりの弟子は、まだ何者でもありません。与えられる仕事も小間使いや掃除ですが、少しずつ噺を覚え、高座に上がり、一人前になっていくとともに、何者でもない状態から弟子として、落語家としての自覚が芽生え、また周囲からもそう認められることで心のありようが変化する――この過程が学びだととらえられつつあるのです。
このような心のありようの変化は、「今の自分は何者か」という問いに、「答えが出た」現象になっているのではないかと私は考えています。
私の場合、大学院を卒業後、ファシリテーターとして企業の要請を受け、さまざまなワークショップを開催していました。当時の自分には「どうすればもっとファシリテーションが上手になれるか」という問いがあり、それに答えを出すべく数多くのワークショップを手がけていました。そのうちに「若手社員のモチベーションを上げたい」「自社からイノベーションが起きないのはなぜか」などワークショップでは解決できない問題や、むしろ参加者にとって逆効果なのではないかと感じてしまう依頼が増えていったのです。今から思えば無茶振りに近い依頼を受けるなかで、私の問いは「ワークショップで取り組むべき課題、そうでない課題とは何が違うのか」になり、そこから「なぜ人は間違った課題を設定してしまうのか」へと転じていきました。この時点で問いそのものは解決されていませんが、問いのかたちが変わっていったことで、私は無茶な依頼に対して、ただ引き受けるでも断るでもなく「課題を再設定しませんか」と提案する人になっていきました。これを続けるうちに自身と周囲の認識が「研究者でファシリテーター」から「課題を設定し、対話の場を共創する“伴走者”」へと変化していったように感じています。
自分のなかに一つ問いを持ち続け、その一つの問いのかたちが変わっていく。この過程で「自分が何者なのか」を探っていくこと。振り返ると、これが私の学び方です。これからも学びを深めていきたいと思います。