広島県尾道市・因島に移住し、レモン農家の見習いをしながら、レモンの加工品を製造販売している齋藤明美さん。東京で16年間、世界的ジュエリーブランドで勤務した後、東日本大震災を機に食の世界へ飛び込みました。おむすび屋での修業、オーガニックレストランの経営を経て、2020秋に瀬戸内海の島・因島に移住します。感性に従って行動し、道を開いてきたという明美さんに、その原動力は何なのかを伺います。
東日本大震災を機に自分の働き方を見直す
宝石商としての起業を夢見て、宝石鑑定士の資格を取得した明美さん。世界的なジュエリーブランドであるTiffany&co に入社し、店舗立ち上げや運営に携わっていました。
明美さん「ジュエリーショップで働く前は、OA機器の製造販売を行う会社で、営業として働いていました。扱っていた法人向けのOA機器は、どうしても価格競争になりがち。商品自体に愛着が持てないでいたんですよね。でも、お客さんと接する仕事はずっと続けたいと思っていて。
どうせ売るなら、お客さんの『これが欲しい』という強い思いがあって、一生手元に置いて大事にされるようなものを売りたい。それに当てはまるのが宝石だと思いました。宝石は、もともと地球から生まれた鉱物であり、人の手が加わって初めてあの美しさが生まれます。ティファニーが好きで、気づいたら16年も働いていましたね(笑)」
その後、2011年の東日本大震災がきっかけで、自らの働き方を見直すようになります。会社員として働いていた明美さんは「何かしたい、けれど何もできない」というジレンマを感じるようになったそうです。
明美さん「まず自分にできることをしようと考えた結果、自身が会社員であるために縛られていることが多いと気づき、会社員を辞めると決めました。」
そのときの明美さんには、不安はあまりなかったようです。
明美さん「辞めたくても辞められない人の理由の多くは収入だと思います。収入が減って生活レベルを落としたくない、とか、実際収入が減っては生活に困る、とか。けれど私の場合、都会でのキラキラした生活を楽しみ切っていて物欲も無くなっていました。持っていたものを友達にあげていっていましたね。
あと、マンションのローンは完済していましたし、貯金もある程度ありました。今すぐお金が無くなって生活できなくなることはない。いざとなったら、何かアルバイトを探せばいいや、くらいの気持ちで辞めることを決めました」
生きるために必要なことをしたい
また、自身が仕事の中で扱っている「宝石」についても見つめ直したそうです。
明美さん「宝石は、非日常の世界にこそ存在できるものだと思いました。災害時のように生きるか死ぬかのときには、宝石は役に立ちません。被災地で必要とされていたのは、水や食料といった、生きるために必要なものだったんです」
いつどこで何があるか分からない世の中で、食の世界にいれば、自分もいつかは役に立つことができるかもしれない。明美さんは食の世界に飛び込むことを決意しました。それまで会社員として忙しく働いていたこともあり、料理はほとんどできず、完全な未経験からの挑戦でした。
まず何をしようか、と考えていた明美さん。カフェを開きたいと思いつつも、稼げるようになるには時間がかかりそう。それで思いついたのが、小さくても始められる、おむすび屋でした。また、ちょうどその頃、家庭の食料品への支出額でパンがお米を上回ります。「日本人ならお米を食べないと」と思ったことも、おむすび屋を志したきっかけになったそうです。
明美さん「東京のおむすび屋で1年半ほど修業をしました。朝6時からおむすびを毎日握っていましたね。
そのあとは、自分でケータリングをしたり、イベントに出店したりしていました。車がないので、おむすびを載せた台車を引っ張りながら電車に乗って移動していましたね。そうしているうちに、東京での生活に疲れてしまって」
子どもたちが安心して暮らせるように
東京での生活に見切りをつけ、2017年のとき、鎌倉に移住します。
明美さん「鎌倉に行った途端に元気になったんですよね(笑)。鎌倉にお礼をしたい、鎌倉に住んでいる人たちに喜んでもらいたいと思い、お店を開くことにしました。
おむすび屋をやっている中で様々な人との出会いがあり、食について改めて考えていて。身体に入る食べ物だから、人にも地球にも負担の少ないものを提供したい、食材を作っている人の思いや込められたストーリーまでも届けていきたい、と思っていたんです」
2018年のとき、オーガニックレストランを開きます。
明美さん「お母さんたちがほっとできるようなお店を作りたい、と思いました。
まず、未来の日本をつくるのは子どもたち。だから子どもたちには、化学的なものに頼らず自然の力で育った素材や、伝統的な工法で時間と手間をかけて作られたものを食べてもらいたい。もちろん、子育てをしているお母さんたちは、自分の子どもの口に入るものには気を遣いたいと思っています。けれど忙しくてそこまで手をかけられない、経済的な問題もあって選べない、といったことだってあるんです。だから私のお店に来たら、オーガニックのものを手軽な価格で食べることができるようにしたいと思いました。
あと、お母さんって、お店に入る前にすごく気を遣って遠慮しているんですよね。子どもがいることで周りに迷惑をかけないかな、とか。お母さんが笑顔になれて、ほっとできる場所をつくれば、子どもも幸せになれると思いました」
明美さんの、子どもたちへの思いは、東日本大震災での出来事がきっかけにあると言います。福島第一原子力発電所の事故以降、全国各地の原発稼働がストップしてしまったことがありました。そのときに福島の女子生徒がスピーチをしている様子を見て「大人がしっかりと考えて、未来をつくる子どもたちに責任を持つべきである」と心が動いたそうです。
農的暮らしとの出会いと、尾道への移住
2020年、ある映画との出会いから、生活の一部に「農」を取り入れる「農的暮らし」を理想とするようになります。
明美さん「『ビッグ・リトル・ファーム』というドキュメンタリー映画を見て、農的暮らしをしたいと思うようになりました。
映画は、自然を愛する夫婦が、植物や動物とともに、8年かけて広大な荒地から農場を作りあげる物語。崩壊してしまった生態系を、元通りの完全な生態系に戻していきます。自然は、放っておけば100年200年かけて元通りになるかもしれない。けれど人の手を加えることで、とても短い期間で完全な生態系を取り戻すことができるんです。夫婦のストーリーがとても美しく、涙が止まりませんでした。自分でもやってみたい、と強く思いました」
4月、新型コロナウイルス感染拡大で緊急事態宣言が出されます。明美さんのオーガニックレストランもその影響を受け、休業を強いられます。そんなときにも自ら行動することをやめなかった明美さん。知人が代表を務める、The CAMPusが主催するオンライン講座「コンパクト農ライフ塾」の受講を始めます。
明美さん「農的暮らしに憧れるものの、生業を持たなければいけないな、と思っていたんですよね。あと、講座のキャッチコピー『目指せ!0.5haで年商1000万』にも惹かれ、もしそれが実現できるならと思い、受講を決めました」
9回の講座を受けたあと、受講生それぞれが描く理想の生活を発表する機会がありました。しかし明美さんは、受講後何をするか具体的には決まっておらず、理想の世界だけがぼんやりあったそう。そして発表後の個別面談で、どこでやりたいか、何を作りたいか、といった質問に答えていくうちに、「尾道でレモンを作り、生業としてレモンの加工品を販売する」という結論にたどり着きます。
明美さん「暖かいところでレモンを作りたい、と答えたんですよね。すると、『それだったら瀬戸内だ』って紹介されて。その方の知り合いを訪ねて、8月に尾道にやってきました」
農的暮らしの実現に向けて
移住を決めてすぐ、運よく仮住まいを見つけます。その後、レモンを栽培する農場や、加工品を作るための加工所を建てる場所を探していました。
あるとき、二人の友人と話していて、三人ともが自分の夢を実現する場所を探していたことに気づきます。一人は、ししガールの長光祥子さん。大阪から因島の隣の生口島に移住し、狩猟活動をベースに、自然との共生を模索しています。もう一人は、因島のパティシエの原山奈美さん。農家さんからたびたび、出荷できない柑橘を何かに使えないか、と相談をもらっていて、島に搾汁工場を作りたいと考えていたそう。
それで思いついたのが、長光さんが以前働いていて、今は何にも使われていない場所でした。その場所は、牛を150頭ほど飼っていたけれど3年前に廃業した農場。三人で見に行った際、話がかなり盛り上がり、契約までとんとん拍子で進んでいったそう。
明美さん「足を踏み入れる場所もないくらい草はぼうぼうでした。でも、三人とも『何でもできるじゃん!』って盛り上がって。私はそこで農場を作りレモンを育て、鶏を飼って卵を採り、レモンの加工品を素材から作れるようにしたいと思いました」
2021年3月末、場所が見つかって2ヶ月ほどで契約まで済ませ、仲間と一緒に活動を始めます。そして将来は農場を再生して「皆が集える場所にしたい」と言います。
明美さん「たくさんの人に『農』に触れてほしい。生業としての『農業』ではなく、自分に必要なものを作るだけいいんです。土に触れるようになれば、生活が豊かになると思うんですよね。
自然を相手にしていると、何もしなくても育つものは育つことが分かります。育てるというよりも、育つのを見守るという感じ。何かあればお手伝いしますよ、くらいの感覚です。そうやって植物が育つのを見ていると、余計なことを考えなくなるんです。
芽が出てる、とか、虫がいる、とか。生きていると実感できるだけで小さな喜びを感じられるんです」
120%のこだわりで挑む新たな挑戦
レモン農家になるべく修業をしながら、2021年にAKEMILEMONを創業。現在、「レモンカード」の製造販売をしています。レモンカードとは、イギリスでアフタヌーンティーを楽しむときに愛用されている伝統的なスプレッドのことです。
明美さん「120%のこだわりで作っています。生産者さんも、使っている素材も、すべて自分で納得できるものを見極めて選んできました。レモンカードは、自分がおいしいと思えたところが完成。レモンの果汁や香りの感じは、季節や品種によって変わるんです。分量通りに作ってもおいしくなりません。おいしいと思えるところまでとにかく調整していきます。
AKEMILEMONは、私にとって新たな挑戦。これまで取り組んできたおむすび屋もオーガニックレストランも、目の届く範囲のお客さんに食べてもらっていました。でも、加工品は、どんな人がどのように保管していて、どんなタイミングで食べているかも分からないんですよね。だからどうやったら最後までおいしく食べてもらえるか、本気で考えています。ビンに詰めて発送するまでの扱い方一つで味が変わってしまうので、とにかく勉強しています」
ウェブサイトでは、レモンカードを使ったレシピが載せられています。しかし「本当はそのまま食べてほしい」と明美さんは言います。加工品ではあるけれど、それだけで成立するものを120%のこだわりで作っているからです。
やって後悔することはないし、やらない後悔はしたくない
会社員を辞めたことを機に、自分の直感に従って様々なことに挑戦してきた明美さん。はたからみると、変化を恐れず、常に前のめりにチャレンジを続けてきたように見えます。しかし明美さんは、「決して無理はしていない」と言います。
明美さん「『やって後悔することはないし、やらない後悔はしたくない』というのが私の信念。これに従って、やるやらないを決めてきただけなんです。無理して何かを探したり人脈を広げたりしてきたわけではありません。ただ、やりたいことを突き詰めていくと同じ思いを持った仲間ができて、こうやって新しいことに挑戦できています。
あとは、生きている中で食事の回数は限られています。だからおいしいものしか食べたくない。これも大事な私の信念です(笑)」
移住に対する不安は何か。突き詰めると案外それは小さなことなのかもしれません。人はどうしても「やって後悔することは何か」ばかりを気にしてしまいます。しかし目の前には見えていない「やらない後悔」のほうがきっと大きくて、いつも置いてけぼりにしてしまいがち。無理して一歩踏み出す必要はないけれど、自分の中の理想はいつも追い求めていたい。自分の信念に従って、行動を続ければ、いつかきっと手にすることができると思います。
齋藤明美さん(尾道市因島/レモン農家見習い):学生から社会人になった頃、宝石商としての起業を夢見て宝石鑑定士の資格を取得。まずはその道の権威で学ぶということでTiffany&co に入社。様々な店舗の立ち上げと運営と成長とに携わり、気がつくと16年もの長きにわたり在籍する。2013年退職。今度は宝石商ではなく、食と健康に興味を抱き、おむすび屋として起業。その分野に幅広く知識と人脈を構築していく。その頃、東京での暮らしに見切りをつけ、鎌倉へ移住。2018年にオーガニックレストランを開業する。しかし、2020年のコロナ騒動に突入し、食と健康の探求はますます加速。根本にある「農」の面白さに目覚める。同年8月にレストランを閉店し、子供の頃の夢だったレモンの農家になるべく、瀬戸内海の島に移住して修行中。2021年AKEMILEMON創業。
株式会社アケミ檸檬
AKEMILEMON:瀬戸内海の島に移住したレモン農家見習いのアケミが立ち上げたレモンカード専門のクラフトブランド。
住所:広島県尾道市瀬戸田町中野534
連絡先:contact@akemilemon.com
HP:https://www.akemilemon.com/