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特集 | 地方のデザイン集

宮城妙さんの軽やかな『ハミングデザイン』。

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山形県のサクランボ農家にUターンし、デザインの仕事を続ける宮城妙さん。地域と関わる仕事を行う喜びや、やりがいを実感する毎日を過ごしています。デザイナーとしてどのようにして地域に根を張り、実を結ばせたのかを尋ねました。

目次

東京のデザイン会社を辞め、夫と共に故郷へUターン。

 山形県鶴岡市のサクランボ農家に生まれ育った宮城妙さん。子どもの頃は家の近くの山や川で遊んだことや、小学校ではアウトドアでの課外活動が、特に楽しかったと話す。「今思えば、郷土愛やアイデンティティは地元の自然からもらった気がします」。ただ、思春期になると都会に憧れるように。「住んでいた地域は商店が1軒もないようなところ。そんな田舎から飛び出したくて、『オラこんな村いやだ』という気持ちで東京へ出ました」。

 
山々に囲まれた豊かな自然が残る鶴岡市。

 武蔵野美術大学で家具のデザインを学び、卒業後は都内のインテリアデザイン事務所に就職。数年後には海外メーカーの家具をデザインし、日本での展示会をサポートするなどデザイナーとして活躍した。28歳のとき、大学時代に知り合った宮城良太さんと結婚し、幸せな毎日を過ごしていた。

 ところが、仕事の忙しさが増していくなかで、深夜まで残業する働き方に違和感を感じるようになってきた。「自分の才能の足りなさを、時間で補う日々の状況が辛くなりました」と話す宮城さん。やがて、心身ともに不調に陥ってしまい、離職することを選択した。

 宮城さんはサクランボ農家の長女だ。祖父母から、『お婿さんはいつ来るの?』と促されると、「私が家業を継ぐのが自然なのかな」と思うこともあったそう。そんなとき、東日本大震災が東北地方を襲った。宮城県・南三陸町にあった良太さんの実家は津波に流され、「家族の近くで暮らしたい気持ちが強くなりました」と妙さん。良太さんとともにサクランボ農家を継ぐ決意をして、翌年33歳のときに鶴岡市にUターン。良太さんは農業大学校に通い、妙さんの父親からサクランボ栽培を学んだ。

 
自宅兼事務所の『ハミングデザイン』。インテリアデザイナーの良太さんがデザインし、壁や天井はDIY。

 今、良太さんは『鈴木さくらんぼ園』と『ハミングデザイン』の代表として仕事を両立させている。妙さんもUターン当初は農作業とデザインの仕事の両方をやる気満々でいたが、15年に長女を、18年に長男を出産。「子育てが忙しく、農園には出られませんでした」と苦笑い。繁忙期のサクランボ狩りの受付や加工品のデザイン、プロモーション業務を担っている。

地域に役立つ仕事に、喜びとやりがいを見出す。

『ハミングデザイン』のデザイナーとして多様な仕事に携わっている宮城さん。Uターンして間もない頃は仕事の受注は少なかったが、「地元の友人に誘われて、鶴岡市が主宰する『鶴岡まちづくり塾』に塾生として参加したことなどでコミュニティの輪が広がり、その後、徐々に仕事を受けるようになりました」と振り返る。

「鶴岡まちづくり塾」とは、鶴岡市を6つの地区に分けた各グループがまちづくりの活動を行うもので、宮城さんが所属した櫛引グループは「くしびきこしゃってプロジェクト」を立ち上げ、プロジェクトの一つとして、「こしゃってマルシェ」という「農・食・手しごと」をキーワードにした手づくり市を実施している。「こしゃって」とは、「つくって」という意味の庄内弁だ。「季節ごとに年4回、開催しています。毎回、30店舗以上の農家さんや手仕事の作家さん、飲食店が出店し、つながりが生まれるイベントに発展してきました」と話す宮城さんも、企画や情報発信、デザイン関連を担当するなかで地域と関わり、ユニークな人とつながるおもしろさを実感している。

つくり手と使い手がコミュニケーションを取りながら買い物や出会い、つながりを楽しむ「こしゃってマルシェ」。

 例えば、「こしゃってマルシェ」をスタッフとして手伝っていた鶴岡市の地域おこし協力隊隊員の小玉恵美子さんと知り合ったことが縁で、宮城さんは宝谷地区で商品開発中だった「そばこのおやつ」のイラストとデザインを依頼された。「小玉さんとの打ち合わせが終わりかけた頃、『何か伝え残したことはないですか?』と念を押したら、頭のなかに『そばこちゃん』という名前の女の子がいる、と。『鶴岡市宝谷生まれの素朴な感じの女の子で、そばかすがあって、そば粉でつくったおやつが好きで……』と楽しげに話されたので、瞬時にパッケージのイメージが浮かびました」。

 そうして誕生したのが、「そばこのおやつ」のパッケージ。農業体験宿泊施設『ふるさとむら宝谷』などで販売され、同様の絵柄の顔はめパネルもつくられた。「顔はめパネルで撮った写真をSNSに投稿したら、そばこちゃんの缶バッジがもらえます。子どもさんに人気です」と宮城さん。「パッケージをそばこちゃんに変えてからよく売れるようになった」と宝谷地区の人たちにも好評だ。「これまで、ご縁とタイミングで取り組ませていただいたお仕事ですが、そのどれもが地域にとって大切なもの。重なれば、地域が少しずつ変化していくと実感しています」と、地域に役立つ仕事に関わることに喜びややりがいを見出している。

 
宝谷そばの「そばこのおやつ」シリーズのパッケージをデザイン。塩そばかりんとうは、宝谷そばの二番粉を活用している。

地域の未来をつくる、デザインの力を信じて。

 地域をテーマにしたデザインの仕事に励んでいる宮城さん。仕事や生活を通して、奥深い地域の魅力を知り、ますます地域が好きになっているそうだ。「鶴岡に戻ってきたとき、知り合った友人たちが鶴岡や庄内地方の自然やまちを舞台にクリエイティブな暮らしを楽しんでいるのを見て、とても魅力的に感じました。私もそんな地域の魅力にふれたいと思うようになり、山登りやキャンプ、キノコ狩りなどを積極的に楽しんで土地の豊かさを味わったり、旬のものをいただいたりしています」。

 
『ふるさとむら宝谷』組合長の本間与一さん(中央)をはじめ、組合員の皆さんと。

 思えば、何もない田舎がいやで上京したはずなのに、今は、「何十年後かの地域の未来を見てみたい」と目を輝かせる宮城さん。「子どもたちが大きくなったときに、地域の魅力を誇れるようになってくれたら。いったん都会へ出ていくかもしれませんが、いつかは帰ってきて、地域のプレーヤーになってほしいですね」。

 宮城さん自身も、もっと地域と関わりたいと思っている。「地域の人から愛されるパン屋さんや花屋さんがあるように、地域に根ざしたデザイン事務所でありたいです。地域のことを自分事ととらえられると、地域に向かって自分を開きたくなります。自分を開けば、多様な考えや暮らし方を共有し、互いを認め合い、課題の解決につながるような気がします。大げさかもしれませんが、そんな地域の未来をつくる力がデザインにはあると信じています」と宮城さんは少しはにかみながら、でも力強くそう語った。数十年後、櫛引地区、あるいは庄内エリアはどう変わっているだろう。楽しみだ。

 
宮城さんがデザインしたローカルな紙媒体の数々。

 

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