<前回までのお話>映画をまちおこしに活かそうと結成した「つぎの民話」は、地域で今起こっていることを短編ドキュメンタリー映画にし、現場のご近所さんたち見てもらう映画の地産地消のプロジェクトを実践するチームです。今回は映画を売り込みに行った町でいよいよ撮影スタート(全3回)
依頼主を探して福島県西会津へ
2023年の5月、僕は福島県の西会津町にいました。福島県の西側、新潟県との県境に位置する人口5,000人ほどの町です。ここにある廃校を使った芸術家の滞在アトリエ施設「西会津国際芸術村」に、映画『つぎの民話』の企画を売り込みに行くためでした。
前回、映画監督の松井至さんと一緒に映画のコンセプトまでは決めたものの、別に資金があるわけでも、撮ってほしいクライアントがいるわけでもありません。僕への依頼主は松井監督であるものの、結局のところはどこかで映画をつくらないと支払いも無いわけなので、次なる僕の仕事は「お金は出すから私たちの活動を撮ってくれないか」と言ってくれる活動団体を探すことでした。条件としては、次の3点
① なにか地域振興の活動を頑張っていて、それを地域住民に知ってほしいと思っている。
② 制作の資金を捻出できる(または助成金などが獲得できる)。
③ 僕らが滞在制作できる施設がある。
いくつかピックアップした候補の中で一番にピンときたのが西会津町。ここに地域づくりのキーマンである『一般社団法人boot』の矢部佳宏さんがいるからでした。
矢部さんとは、僕がまだ地域おこし協力隊の隊員だった時代(2012年)にイベント出展中にたまたま隣同士のブースで知り合いました。廃校をアーティストの拠点にしながら、地域住民と作家の交流を生み出す活動や、その先に見ている里山のビジョンに感銘して、時々連絡をとる間柄でした。
矢部さんのお住まいのエリアは町内でも特に人口が少ない奥川と呼ばれる地区(複数の集落の集合体)です。
2023年はそこの区長さん達とともに、有志で奥川エリアの集落維持と未来のために資源活用を考える団体「奥川地域づくり協議会」を3年かけて立ち上げたばかりのタイミングでした。この協議会活動が『つぎの民話』の題材に最適と確信して、監督に作ってもらったサンプル映像と企画書を持ってさっそく営業へと向かいました。
「現場で頑張る人たちだけでは伝えにくい地域活動なので、僕らに映画で伝える役をやらせてもらえませんか?」
とドキュメンタリー映画のコンセプトをプレゼンしたのは町内の肉屋さん兼食堂の「同気食堂」です。説明し終わるあたりで、見た目のわんぱくさが邪魔をして美味しさがなかなか伝わりにくい名物メニュー「とんかつ味噌ラーメン」がテーブルに届きました。
とんかつと麺と野菜をバランスよく食べながらこの大盛りメニューを攻略しきる頃、矢部さんの頭の中で構想が整ったようで、「こういうのは自分達でできないことだよね、やってみよう!」と返事をいただけました。
地域の未来、集落の維持、資源活用の大切さを話し合うような協議会は、とても大切なことを住民への思いやりを持って話しています。しかし地域住民は、決定事項や実行するプロジェクトの様子を知ることはあっても、会議の場で何を話しているか(何を思って決定がなされているのか)を知ることはまずありません。
映画『つぎの民話』では、まさにその部分をドキュメンタリーにし、地域住民に観て知ってもらうことを目指した地産地消の映画プロジェクトなのです。
今起こっていることを撮って作るスピード感
6月に矢部さんと松井監督の顔合わせを行い、町の案内、映画に関わってくれるメンバーの交流を経て、どんな映画を撮るかといった企画提案書を僕の方でまとめました。矢部さんは、東北の地域活動向け助成金を見事に獲得、制作費の問題はクリアできました。
そこからは本当に怒涛のスピード感でした。みんなで今知ってほしいテーマをあげ「米(継業・耕作放棄地)」「結(地域の共同体・関係人口)」「授産所(障がい・インクルーシブ)」で3本の映画を作ろうということに。初めてのプロジェクトでもあったので、ここから1本に絞ることはせず、年内に3本を制作という決断をしました。
期間としては非常に短い納期でしたが、そこにはテレビディレクターとして番組制作経験も豊富な松井監督の技術があるという信頼があったからこそ、できる確信はありました。
7月から10月初旬まで、延べ滞在日数は20日程度。西会津国際芸術村のレジデンス施設(作家滞在ハウス)を拠点に撮影は進んでいきました。台本はもちろん無いので、テーマに沿って矢部さんから紹介していただいた方のインタビューを皮切りに、様々な人の声と活動の様子を撮っていきました。
・山奥の生活用水の水源を整備するために年に1回集まって、仲間達とバックフォーを動かすおじいちゃんは、あと何年この活動ができるだろうかと呟く。
・仕出し弁当を作るおばあちゃんは、人が少なくなっては来たけどお話できる人たちがいる「今がとっても幸せ」と言いながら唐揚げを揚げている。
・水害にやられても山奥の田んぼの管理を投げ出さなかった若手農家は、この稲穂の風景を観たら自分の子どもがいいなって思うんじゃないなかと、照れながらはにかむ。
「限界集落」という言葉で一括りにせず、「消滅可能性地域」って言葉で危機感を煽るのではなく、そこに暮らす人たちの意思や思いや歴史と向き合っていくことで、台本は無いのだけど、出会いが確かなシナリオになっていく体験を、僕たちはこの西会津でしてきました。
こんな関係人口のあり方、未来型「結」
ロケの終盤、僕たちは東京大学で映画のロケを行いました。西会津に田植えや稲刈りに来てくれる学生さんとその先生のゼミの様子を撮影するためです。
地域住民にとって、時々来てくれて、観光ではなく田んぼや整備のの仕事を手伝ってくれる他所の人たち。ありがたいのだけど、なんでこの地域にわざわざ来てくれるのかちょっと不可解な存在。最近だと関係人口ともいわれるそんな人たちが、ふだんはどんなことをしているのか。何を考えて西会津に来ているのかを撮るためのロケでした。
大学の先生は、ゼミで自分が西会津に関わることになったキーマン達を紹介しながら「血のつながりはない親戚のような関係」を作ることで、助け合いながら安心感を生み出すことの大切さを説いていました。受け入れ先の農家民泊のおじいさんも、そんな外の人たちとの関係を「擬似家族」と呼んで、孫を迎え入れるかのように接していました。
地域内でひとり(家族)だけではできないことを、地域総出で協力して成し遂げることを「結」と呼ぶのですが、鈴木教授はこのこの親戚のように関わる関係人口を「未来型 結」と呼んでいたので、映画のタイトルのひとつは『奥川・未来の結』にしました。
こうして、あっという間に10月には無事クランクアップを迎えました。最後のシーンは夕陽の中で風に揺れるいい感じの稲穂を撮りたいと、2日粘って撮影をしました。
そして、絶対にやらない危険な作業へ突入
編集期間を経て11月、関係者試写会を行うことになりました。「つぎの民話」では撮った作品を映画に出ていただいた方たちに一度見てもらって、修正点がないかを確認するということをあえて行っています。地域の人たちに見てもらった時に、出演者たちへのあらぬ誤解を招くことを防ぐためです。
時に誇張表現が、時には意図しない切り抜きが、地域で頑張っている方の本来の姿と違う受け取られ方をしてしまうなんてことが、メディアに出ると時々起こってしまいます。ありがたいことに、好きな尺で映画をつくり、好きに組み替える権利を作家である我々が持っています。ゆえに映画に出てくれた人に本当にこれを放映していいかを見て判断してもらうという、ここでストップがかかったら企画そのものが終わりかねないという、テレビ番組などでは絶対やらない危険な作業へ「つぎの民話」は突入するのでした。
次回は、そんな『つぎの民話』の上映会の様子と、その後の変化などをまとめて、地域おこしのための映画の話は完結にしたいと思います。
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