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連載 | デジタル地方創生記 くじラボ!

「いってこい」の精神でコロナの逆風に挑む若き酒蔵経営者 岐阜県・飛騨高山

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「デジタルx資本」で中小企業再建を手掛ける「くじらキャピタル」代表の竹内が日本全国の事業者を訪ね、地方創生や企業活動の最前線で奮闘されている方々の姿、再成長に向けた勇気ある挑戦、デジタル活用の実態などに迫ります。

3月以来、当連載も新型コロナ肺炎拡大阻止の観点から地方取材を中止していましたが、5月25日の首都圏緊急事態宣言の解除を受け、リモートでの取材活動を再開しました。

今回は連載再開第1弾として、岐阜県飛騨高山で酒造業を営む舩坂酒造店の有巣 弘城(ありす ひろき)社長にビデオ会議でお話を伺いました。

舩坂酒造店様は、「四ツ星」「深山菊」といった多くの受賞歴を誇る清酒だけではなく、町をあげた観光活性化の取り組みの中心的存在としても全国的に知られた酒蔵様です。上三之町(かみ・さんのまち)の伝統的建造物群保存地区に酒蔵と併設飲食店を構え、外国人観光客にも人気の高かった気鋭の酒蔵が、「アフターコロナ時代」に描く将来像に迫ります。

目次

高山のメインストリートで200年以上

インタビューの様子

竹内 まずは舩坂酒造店様の歴史についてお聞かせ頂けますでしょうか?

有巣社長 はい。我々も2009年から舩坂酒造店を引き継いだという経緯もあり、詳しいところまでお伝えするのはちょっと難しいのですが、元々「大文屋(だいぶんや)」という屋号で江戸末期に創業したようです。従って、200年から250年くらいの歴史はゆうにあるんだろうと思います。

飛騨高山は狭い地域ですが、お酒好きな人が多い土地柄なのか、元々酒蔵が56軒もあり、その流れに乗って成長をしてきたのだと思います。今は、酒蔵は7軒くらいしか残っていませんが、それでもこの地域にそれだけあるというのは、やはりお酒を好む地域なのでしょうね。

竹内 元々の屋号は「だいぶんや」と読むのですね。

有巣社長 「だいぶんや」なのか「だいもんや」なのか、古い文書が残っていないので正式には分からないんです。

地域に支えられ続いてきた酒蔵ですが、時代の変化と共にお酒の出荷量が徐々に減り始め、また後継者がいなかったという経緯から、2009年に私の実家であるアリスグループが経営を引き継ぎました。

アリスグループは、元々私の曽祖父が飛騨高山で営んでいた洋食屋さんに端を発します。当時の洋食ってハイカラなもので、普通の人がハレの日に食べるような食事です。「有巣」という変わった苗字も含めて、結構人気があったようです。

その後、元々会計士を志していた祖父が経営を引き継いで事業改善を進め、時代の流れで結婚式場を併設したら、それが大当たり。そこから色々な事業を手掛け、途中で旅館経営に乗り出し、それが「本陣平野屋・花兆庵」という旅館ですが、それも大きくなって売上規模としては旅館業が母体となるグループになりました。

そんな中、舩坂酒造店様が事業承継を考えている、という話を地域の人から頂いたのです。最初は「酒屋って不況業種じゃないのか?」と思い、調べ始めたのですが、最終的にお引き受けしようと思った理由が2つあって・・・。このまま話してしまっていいですか?

竹内 もちろんお願いします。

有巣社長 1つはこの舩坂酒造店が、高山のメインストリートである古い街並みに面していたという立地上の魅力です。上三之町というのは東京でいう銀座みたいなもので、旅館や観光に携わる身としては憧れの地。高山の人間であればいつかそこで勝負したいという一等地で商売ができるのが、まず1つ目。

岐阜県 飛騨高山にある舩坂酒造
岐阜県 飛騨高山にある舩坂酒造

2つ目は、我々の元々の母体が旅館という話をしましたけれど、旅館というのはやはり地域の魅力の集合体でしか勝負できない産業なんです。もちろん建物やサービスが素晴らしくて集客できることもあるのですけど、基本的にはその地域の食であったり、面白い観光スポットであったり、地域の魅力がないとお客様に来て頂けない。

自分たちの地域の歴史とか文化資産が目減りしていくのは、結果として自分たちの旅館の価値が下がっていくのと同じだろうと。であれば、我々の手で酒蔵を残し、魅力を高め発展させていけば、その地域に存在する我々の宿の魅力も上がっていくだろうと考え、引き継がせて頂くことになったのです。

企業再生コンサルティングから酒造業へ

写真右 有巣弘城代表、写真左 舩坂酒造店杜氏 平岡誠治さん
写真右 有巣弘城代表、写真左 舩坂酒造店杜氏 平岡誠治さん

竹内 なるほど。実際に資本参加・事業承継された時、舩坂酒造店様はどのような状態だったのでしょうか?

有巣社長 従業員のほとんどが50代以上で高齢化が進んで頂けでなく、事業承継という経緯もあったせいか、負け癖というか、「どうせ私たちは」みたいな気持ちが見受けられたのは事実です。

竹内 資本参加当初は、有巣さんはまだ社長ではなかったのですよね?

有巣社長 はい、2009年当初の社長は私の祖父でした。アリスグループでは、旅館は私の父と母がやっていて、飲食の方は叔母がやっていたのですが、一応最初の計画では私も承継当初から入る予定であったものの、前職の引継ぎが遅れた関係から、最初は祖父と叔母が運営に回ってくれました。

私が社長になったのは2015年です。

竹内 前職という話が出ましたが、現社長である有巣さんのご経歴についても教えて下さい。元々、コンサルタントだったんですよね?

有巣社長 はい、言うのも恥ずかしいくらいの話ですけれど、コンサルでした。今はもう名前が変わりましたけれど、山田ビジネスコンサルティング(以下、YBC ※現:山田コンサルティンググループ)という企業再生のコンサル会社(※現:総合コンサルティングファーム)です。

就職したのが2008年で、リーマン・ショックの直後ですごく大変な時期だったんですけど、YBCに就職し、最初は企業再生や組織再編。1年後には誘われて部署を移り、税務面からの事業承継支援をしていました。最初の1年は経営状況が本当に厳しい会社を見る仕事で、その後の1年はハッピーな会社のために、事業承継として税法上の株価評価等をどうしていくかを検討し対策をうつみたいな仕事。全く正反対でした。トータルで2年半しかいませんでしたが、良い企業、悪い企業の差をよく観察することができたと思います。

竹内 その後、ご実家のアリスグループに戻られたんですね。ご実家に戻られた後、またご祖父様の後を継いで舩坂酒造店の社長になった際に、YBCでのご経験は役立ったという実感はありましたか?

くじらキャピタルオフィスにて(取材はオンラインにて行われた)
くじらキャピタルオフィスにて(取材はオンラインにて行われた)

有巣社長 個人的には役に立ったと思っています。前職の皆さまには「全然足りないよ」と言われてしまうと思いますが。でも今も先輩方との御縁があって、本当ありがたいです。

実家に戻り、すぐに舩坂酒造店に入社しましたが、その時私はまだ25歳だったんですよね。25歳の若造が、それこそ50代のスタッフと話をするのは普通だったらビビったりすると思うのですが、YBC時代に企業再生の現場で社長さん、部長さんと話す経験は沢山ありましたし、年上であってもロジックをもって話を通すという経験は役に立ちました。

あとは管理面・財務面ですね。舩坂酒造店もある意味再生でしたから、決算書が読めなかったら無理だっただろうなとは思います。

竹内 舩坂酒造店の事業承継後、ひょっとするとご祖父様がやられたのかも知れませんが、最初に認識した一番大きな課題はどのようなことで、それをどう解決されたのでしょうか?

有巣社長 どれも祖父と一緒に取り組んだことですが、まずは施設としての魅力アップをしなければいけないよね、と。

我々は元々サービス業が母体なので、その目線で酒造業のやり方を見ると旧舩坂酒造店は「売ってやってる」という感覚が結構あるように見えました。そうではなく、まずはお客様に来て頂き、お酒の価値を知ってもらおうということで、売店を拡張したり、中庭を作ったり、お客さんに楽しんで頂くスポットとして施設を形成していきました。そこから出たお客様の声をきっちり拾い、改善していくというやり方です。

舩坂酒造 中庭の様子
舩坂酒造 中庭の様子

その後、我々が元々サービス業で得意技だったレストランを入れることでキャッシュフローの改善にも繋げました。元々の酒造業だと、取引先からは盆暮れ正月くらいにしか入金がないみたいな世界だったと聴いたので、レストランや売店を入れることで、早いサイクルでキャッシュを手にできるようになりました。

竹内 資本参加当初は、当然ながら継ぐためのおカネとランニングの赤字もあったのではないかと思いますが、その中で最初からそれだけの設備投資をするのは、なかなか思い切ったご判断ですね!

有巣社長 ぶっ飛んでいますよね、本当に。祖父が豪快な人なのでそういう路線になりましたが、家族としても、最高の立地なのに活かしきれていないのはもったいないと思っていたので、赤字であろうともリスクを取って建物に資本投下した感じですね。

「マーケットイン」思想で酒蔵に新風

仕込みの様子
仕込みの様子

有巣社長 それ以外の部分でいうと、まず作り方というところでは、我々は酒の素人だったのであまり自分たちが口出しても仕方ないだろうということで、事業承継後も残ってくれた杜氏に、どうすべきか聞きました。

うちに今もいる杜氏ですけれど、実力はあるのですが、それまで経営状態が良くなかったので、あまりチャレンジをさせて貰えなかったようでした。他の蔵元の若い杜氏さんに色々とアドバイスを求められるような実力者ではあるものの、教えた若い杜氏さんの方が逆に新しいことに挑戦できて全国のコンクールで金賞を取ったり華々しく活躍する一方、自分はどうせ・・・という感じだったので、本人に「どういうお酒を造ったら売れるか?」というところから相談しました。

すると、それまで思うところもあったのか、「高く評価される大吟醸を作りたい」と。そこで作ったのが、「大吟醸 四ツ星(よつぼし)」です。

数々の賞を受賞する杜氏渾身の1本「大吟醸四ッ星」
数々の賞を受賞する杜氏渾身の1本「大吟醸四ッ星」

これが評価されて少しずつ販売単価も上がっていき、また販売側でも自信をもってお薦めできる商品ができたことで大きな効果があったと思います。

また、ある冬、その杜氏が「ちょっと蔵に来て下さい」というので蔵に行き、私はそれまでほとんど日本酒を飲めなかったのですが、「そんなこと言わずに、せっかく絞った一発目のお酒なんでこれ飲んで下さいよ」とコップに入れて渡されたお酒がありました。

飲んだ瞬間、電撃が走りました。これはすごい、絶対に売れる、と。

火入れをしていない生酒って日本酒のビギナーにもすごく飲みやすいし、これをもっと推し進めていけば我々の業績だって改善すると思いました。それまでも生酒は造っていましたが、これを機にラインナップをがーっと増やしました。

また、いきなり日本酒を買ってくださいといってもなかなか買って頂けないので、日本酒ベースの柚子のリキュールや梅酒を作り、若い人たちへのアピールを高めました。美味しい!これ日本酒がベースなんだ!という形で知ってもらいたいので。

また、普段アルコールを飲まない人であっても、酒粕を使ったお菓子やケーキ、あとは化粧品などの商品開発も進め、舩坂酒造店としてのブランド認知度を高める取り組みもやってきたつもりです。

竹内 よく「プロダクトアウト」の対義語として「マーケットイン」と言いますけれど、設備投資や商品構成について、舩坂酒造店様は全てマーケット側からの考えで統一されている印象を受けます。これは酒蔵様としては珍しいことですが、やはりご実家のDNAということでしょうか?

有巣社長 それは本当に思います。やっぱりサービス業って、お客さんに喜んで頂いてナンボのもんですけど、形ある商品でない分難しいんです。一方、有形の商品があるとお客さんに喜んで頂けるのがすぐ分かります。マーケットインの発想というのは、我々の母体であるサービス業から引き継いだ最大の特長ではないかと思います。

竹内 ここまでお聞きすると、順風満帆で打つ手が全部当たったように聞こえるんですけれど、その中でこれはちょっと予想と違ったな、ということはありましたか?

有巣社長 1番ヒヤッとしたのは、柚子のリキュールを造った時のことです。製造部門は経験豊富ですし、酒の瓶詰め含めてそれまでのノウハウでなんでも出来るんですけれど、リキュールはやったことがなかったので、どこに危険なポイントがあるのか理解していなかった。

製造部門にこれを造って欲しいとお願いし、その通り造ってくれたのですが、柚子の匂いが機械に移ってしまったのです。

ある時酒屋さんから急に電話がかかってきて、「お前のところの酒、どうなっているんだ!柚子の匂いがするぞ!」と言われました。うちで造ったリキュールでない方の日本酒が、機械の影響で柚子の香りのする日本酒になってしまったんです。青くなって商品は全部回収し、匂い移りの原因も直しましたが、あの時は下手すると潰れるかと思いました。

観光活性化ファンド、そしてポストコロナ時代の展望

舩坂酒造
舩坂酒造

竹内 飛騨高山、特に上三之町の街並みは観光地として高く評価されていますが、2015年に日本政策投資銀行さんやリサ・パートナーズさん、地域経済活性化支援機構(REVIC)さんなどが組成した「観光活性化ファンド」の出資を受けられましたよね。2018年3月にはイグジット(償還)のプレスリリースもありましたが、一連の背景について教えて頂けますか?ファンドの人間として非常に関心があります。

有巣社長 自分がYBCにいたこともあり、ファンドについて苦手意識は元々ありませんでした。自分が東京から高山に戻ってきて一番まずいと思ったことは、都市部の情報が入ってこなくなったことなんです。舩坂酒造店入社後は細かい仕事も自分でやっており、孤軍奮闘で時間が取れませんでした。なかなか東京に出ていくこともできないし、消費者としてのトレンド調査やPRもできない。

何かそういう手段がないのかなと悩んでいた時に、たまたまリサ・パートナーズさんとのご縁を頂戴し、こういうファンドを作ろうと思っていますと聞かされたのがきっかけです。元々、飛騨信用組合という、日本で初めて「さるぼぼコイン」という電子地域通貨を作ったような尖った信組があるのですが、そのご縁でつながりができました。

取材はオンラインで行われた
取材はオンラインで行われた

お金のことは、メインバンクの十六銀行という地銀さんに大変お力添えをいただいているからあまり心配はないのですが、都心の金融関係者は色々な情報を仕入れているし、ネットワークも広いので、いわば販促費と考えて出資を受け入れようと決めました。本当はファンドの1号案件になりたかったのですが、別の案件が1号になってしまったのでそこは自分の想定と違いましたが(笑)。

結構、金融業界では話題になったようですし、リリースを見た方が多く視察に来られたりしたので、正直利息は高かったですが利息以上に効果のある販促で、本当にありがたかったです。一方で、次の展開を考えると販促費としてはもういいかなという考えもあったので、2018年にイグジットし、イグジットとしての1号案件になることはできました。

竹内 確かに業界でも話題になっていました。今般の新型コロナの影響はいかがでしょう?

有巣社長 非常に大変な状況です。最初の予兆を感じたのは1月24日でした。なぜ日付を覚えているかというと、その日、中部国際空港セントレア内にオープンした日本酒専門免税店のお披露目イベントがあり、我々も岐阜県代表としてPB酒を納めさせていただくことになったので、そこに参加していたからです。春節で日本酒がめちゃくちゃ売れるぞと期待していたら、コロナの影響でその日から、中国からのフライトが全部止められてしまい、これはまずいぞ、と。

中部国際空港セントレアに誕生した、日本のお酒専門免税店 「空乃酒蔵(そらのさかぐら)」
中部国際空港セントレアに誕生した、日本のお酒専門免税店 「空乃酒蔵(そらのさかぐら)」

中国人観光客がいなくなり、国内でも小学校の休校が発表されるとさらに売上が落ち、緊急事態宣言で出て完全にストップという感じです。実際、4月の売上は前年比で95%ダウンになりました。

竹内 95%ダウン!

有巣社長 今まで売上がよかった分、反動が余計に大きいです。これまでレストランも団体客の予約が多く入っていましたが、今は全く入ってこず、非常に苦戦しています。5月以降も前年同月比90%ダウンくらいで来ている感じですが、金融機関からの信頼もだいぶ積み重ねてきたつもりですし、コロナ対策としての借りやすさもあるので、とにかく1年間は踏ん張れるように構造を変えている最中です。

補助金も多いので、ここで力を貯め、今まで忙しくてできなかったデジタル化の投資などにも踏み込もうと思います。全然お客様がいないこの機会をとらえて店舗改装をし、デジタルを使った入店率計測の仕組みなども導入できないかと考えています。

竹内 デジタル投資はまさに待ったなしですよね。御社はコロナ禍以前から飛騨高山の観光活性化に向けて取り組まれていましたが、このような状況下における高山への思いを改めてお聞かせ頂けますか? 

有巣社長 私は高山で生まれ育ち、大学で初めて東京に行った訳ですが、やっぱり高校生までは全然楽しくない町なんですよね。田舎で。だけど外に行った後に改めて見てみると、食も美味しいし人も温かいし、すごく素朴で心温まる町なんです。

そういう意味でも高山が盛り上がることをして、それを次世代に引き継ぎたいという思いはあります。舩坂酒造店としては日本酒の海外輸出も積極的に行っていましたが、うちのビジネスモデルとしてあちこちでよく話すのは、「いってこい」というキーワードです。

竹内 会計の現場などで使う言葉ですね。入れたお金が、ぐるっと循環して戻ってくるような。

有巣社長 自分たちが旅館を営んできた一族なので特に思うのですが、旅館って外に持っていけないですよね。自慢の土地に来て頂かないといけない。それに比べて酒屋というかメーカーってすごいなと思ったのは、自分たちの足で商品を外に持っていき、消費して頂くことができることなんです。それは本当に夢があるなと思っていて。

舩坂酒造
舩坂酒造

最初は2012年頃、シンガポールで岐阜県の飛騨牛を売るみたいなイベントにご一緒したのが海外営業のスタートなんですが、そこで日本酒のブースを構えていると外国人から「どこから来たの?」と聞かれる。「高山です」と答えると、「知っているよ」とか「この前行ってきた、いい町だね」と言われて、あ、なんだ、高山って結構知られているんだなと感じたんです。

自分たちの昔からの日本酒は「深山菊(みやまぎく)」というブランドなんですが、それを推しても「ふーん、そうなんだ」という程度の反応なんですが、高山というブランドを推すと結構すんなりと「じゃあ飲んでみるよ」という会話が成立する。

あ、そういうことか、と。これまでは旅館と酒蔵で切り分けて考えていたけど、実は一緒のところがあって、「地域」を売っていった方が結果として日本酒も売れることに気付いたのです。「高山」というキーワードを通じ、これまでご縁がなかった人に日本酒に触れてもらえれば、その人たちが今度はインバウンドとして高山に来てくれるかも知れない。

さっきの「いってこい」に話を戻すと、うちの日本酒をアウトバウンドで輸出してファンになってもらい、そのファンになってくれた人がインバウンドで高山に来てくれる。なんなら酒が目的になれば宿泊もどんどん生まれ、地域消費が伸びる。この長い時間をかけたエンゲージメントのサイクルが作れれば、地域もうちも発展していけると思っています。

こんな田舎の、人口がどんどん減っていく地域ですけれど、まだまだやり方はあると思っていますし、これからも製品と観光を結び付けた事業を強めていこうと考えています。

竹内 コロナで苦しい中でも夢が広がりますね。今日はありがとうございました!

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