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多様性

連載 | 福岡伸一の生命浮遊

コロニーを転写したフィルターを作る

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 これまでの回で、細胞で発現している遺伝子群、つまりメッセンジャーRNA(mRNA)をそのままDNAに写し取る方法、すなわちcDNAライブラリーを作る原理について細かいことをいろいろ説明してきた。ここから先は、いかにしてそのライブラリー(図書館)から、目的の書物を探し出すかについて考えてみよう。

細胞から作ったcDNAライブラリーと、大量の大腸菌を混ぜ合わせ、塩溶液の中で短い時間熱ショックを与える。すると個々のcDNAは、いずれかの大腸菌の中に取り込まれることになる。ちょうど図書館の蔵書を、一冊ずつ、ランダムに生徒に配るようなイメージを想起していただきたい(生徒を大腸菌にたとえてごめんね)。cDNAの分子数(総冊数)よりも、大腸菌の菌体数(生徒数)を多くしてあるので、図書館の本はいずれも誰かの手に渡る。本がもらえない生徒(cDNAを受け取れなかった大腸菌)も存在する。でも、こうしておかないと図書館の蔵書を分散させることができない。ここが大事なポイントで、cDNAを1分子ずつばらけさせることが重要で、しかも生徒ひとりが2冊以上本を持たないようにする。

円形のシャーレに寒天でできた栄養培地を作り、その表面にcDNAを受け取った大腸菌を薄く塗り広げる。cDNAを受け取った大腸菌は、菌体内でせっせとcDNAのコピーを作る。同時に、大腸菌はおよそ1時間に1回の割合で細胞分裂をして増殖する。その都度、cDNAのコピーも受け渡され、増産される。大腸菌は自分では動くことができない。だからシャーレの上に分散された複数(たとえば100匹)の大腸菌がばらまかれたとすると、その100匹はその場所で増殖していく。大腸菌1匹は体長1マイクロメートルくらいなので、もちろん肉眼では見えない(詳細は省略するが、cDNAにちょっとした仕掛けがしてあって、cDNAを受け取った大腸菌だけがシャーレの上で増殖できるようになっている)。

大腸菌はシャーレの上で、2倍、4倍、8倍、16倍と分裂していく。すると一晩もすると膨大な菌体数になる。それは肉眼で見える。白い粒のように見える。その粒がシャーレの上に散らばっている。これを大腸菌のコロニーと呼ぶ。コロニーはまるで夜空に散らばる星々のようだ。実際、だんだん大腸菌が増えてきて、コロニーが見えだすとそれは光って見える。実験がうまくいっている証拠だ。これは実験に携わった者でないと感じることができない気持ちなのだが、こうして書いていても、わくわくしてくる。

シャーレの上に広がるコロニー一粒一粒に、別々のcDNAが含まれていてしかも増産されている。1分子のcDNAではあまりに少なすぎても、こうして大腸菌の力を借りて、ばらしてしかも増やすことができるのだ。

このシャーレの上に、そっとナイロン製の円形フィルターを重ねる。それは直径10センチメートルほどの白い円形をしている。濾紙のように見えるがナイロン製なので丈夫だ。

しばらくしてからそっとこのフィルターを剥がす。するとフィルターの上には大腸菌のコロニーが鏡のように写し取られることになる。もちろんシャーレのほうにも大腸菌のコロニーはまだ残っている。あとでここから大腸菌を採取しなければならないので、シャーレは冷蔵庫の中に保管される。大腸菌は冷蔵されると細胞分裂を止めるが死ぬことはない。

私たちはコロニーが転写されたフィルターのほうを使って実験を進めることになる。この中から目的とする遺伝子のcDNAを保持したコロニー──つまり宝物のありか──を探し出すことになる。大腸菌はフィルターの上に貼りついたままその場所に固定される。大腸菌の菌体内にあったcDNAもフィルターの特別な場所(シャーレ上のコロニーがあった場所)に固定される。フィルターを水につけても温度をかけてももう剥がれ落ちることはない。

細胞内に存在するmRNAの量が少ない遺伝子、つまり細胞内での発現頻度が低い遺伝子(それは必ずしも重要な遺伝子でないという意味にはならない。わずかな量だけで効く遺伝子であるということ)の場合、それだけcDNAライブラリーに含まれる量も少ないということになる。つまり稀きこうぼん覯本というわけだ。このような遺伝子を探し出すためには、それだけたくさんのコロニーを探索しなければならない。だからcDNAライブラリーを本棚ごとに分割し、それぞれ大腸菌に託し、それをシャーレに撒き、フィルターを作ることになる。つまりコロニーを写し取ったフィルターは何枚、何十枚になることもあるのだ。根気のいる宝探しが始まることになる。

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