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サスティナビリティ

連載 | こといづ

あらた

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 んん~っと、春めいた陽射しに伸びをしていると、ひょこりひょこり、小川を下から登ってくる人影が見えた。ハマちゃんだ。「お~い、ハマちゃ~ん。朝から何しとるの?」「あんなっ、枝やら石やらをな、こうやって、ほれっとっ!どかしていっとるんや。大雨が来たら、つっかえて、そっこらへん水が溢れ返りよるで」。そうだそうだ。ふた月もすると、春の滝のような大雨がやってきて、何もかも流してしまうくらいの急流が押し寄せてくるのだった。雪の重みに耐え切れずに折れ落ちた枝が、小川のあちこちに突き刺さっている。大きな力でも、ぴやっと流れ去ってくれる分には大丈夫だけれど、枝やら何やらで詰まって堰き止めてしまったら、水が一気に溢れ返って大変なことになってしまう。川は滞りなく海につながっていないといかん。

そういえば、数日前にも、これまたハマちゃんが、こんもりと草が覆い茂った鎌ん坂の手つかずの丘に、手鎌でぎゃいぎゃいと草を刈り刈り、あらたに道をこしらえながら登ってきた。「昔はな、ここに道があったんや。あんたんとこの家に住んどったマスエさんがつくったんやで。わたしのちっちゃい畑のとこからな、すっと上まで。本当は変電所のところに抜けたかったけど、いばらが生えとって、どうしても刈れん。しゃあないからキウイのとこ抜けた。そのうち、ガードレールに頭ぶつけるで」。ひょいとガードレールをくぐって、にかっと笑う。「これであんたんとこに、すぐ来れる」。

今年は大雪が降ったりで、冬の間、村のみんなも家にぎゅっと閉じこもっているようだった。珍しく誰に会うでもなく、こつこつとCM音楽の仕事をしていた。映像に合うように音楽を考えるのだけれど、全く何もないところから自由に考える機会は、実はあまりない。それよりかは、若い頃につくった曲や、ちょっと前につくった自分の『代表曲』に似た音楽を作ってほしいという依頼がほとんどで、そう頼んでくれるのは嬉しいことだけれど、実現するのは本当に難しい。「いやいや、あの時に奇跡的にできた曲ですから。あらゆることをやり尽くして余計なものを省いた結晶みたいな曲ですから。あの曲の周りには草一本も残っていないですよ」と断ってしまいそうになる。ものは試しに、実際にピアノを弾いてみても、「こう考えて、こうやるから、こうなってる」と、うむ、全く同じ曲が出てきてしまう。同じ人間が、同じ考えで、同じピアノを弾くのだから、だいたい同じ曲になる。過去の自分の真似をしていても、すっかり面白くないし、何度試みても新しい曲なんて出てこないので、何をやってるんやあと諦めてしまいそうになるけれど、ふっと、力を抜いて、まだ見ぬ可能性があるに違いない、だからこそ依頼があったのだと踏んでみる。答えを探し出せるのは自分しかおらんと、そう強く思い込んでみる。

あの時、うまれた曲は、たくさんの先人たちからバトンを受け取って、そして自分の人生に起こったいろいろが、出逢った人々やものものと、ぎゅっとひとつに結び合って、曲がうまれた。なにより、自分がいたからこそ、自分が手を動かしたからこそ出てきた曲なのだ。その曲の続きを、自らの手であらためてみる。過去の自分を真似る、自己模倣というと、悪いように思うかもしれないけれど、自分がやってきたことを愛すること。心底大事なことだと思う。世に出ると、いろんな人が褒めてくれたり、励ましたりしてくれるけれど、一番根っこのところで、やっぱり自分をいたわってあげたい。よくやったなあ。よくぞ、こんな表現にたどり着いたなあ。続きは、僕こそが、僕こそが続きをやるわと覚悟を決めると、何もないように思えた大地に草や花が、ぽんぽんぽんと、芽が出てきたかと思ったら、一気ににょきにょきとまだ見ぬ世界がこんなにもあったかと懐かしく新鮮な歓びに包まれる。

新しくつくる、あらたに生み出すというのは、「あらためる」ということなんだと最近わかってきた。表現したいことは、昔から、子どもの頃から変わらない。言ってしまえば、内にある「かがやき」を、外に放出して感じられるようにしたいだけだと思う。たったそれだけのことなのに、毎年毎年、毎日毎日、あたらしく挑戦しないことには触れることができない。前と同じ方法で試みたところで、全くうまくいかないのだなあ。きっとあらゆることが、そうなのだ。試みは、道は、あらためなければならない。以前通った道には、いばらが生えている。

「長い芋もっとるかい?」。ハマちゃんがビニール袋片手にやって来た。「長い芋ってなに? ああ、メークインね。持っとらんなあ。男爵とか丸い芋やったらたくさんあるから、いっぱい持って帰って」。まだ畑に植えるには早いと思うけれど、早めにやってしまうのがハマちゃん。「畝の準備もしてあるでな、あとは種芋を入れるだけや。あんたんとこも早うしない」。んん~っと、久しぶりに鍬を担いで畑に降りる。大根や人参や白菜や、ようやく余るほどに実ってくれた嬉しい景色の中で、よしっ、ここにも畝をこしらえるか。ほっほっほっ。できるだけ、ふわっと空気を送り込むように、硬い土を崩してゆく。土を寄せてどんどん畝を高くしていくと、畝と畝の間にくぼんだ道ができた。平らだった地面が凸凹の迷路みたいになって、その姿は腸に似ている。凸凹することで、陽が当たる面積が倍以上に広がった。ちょっとずつやな、ちょっとずつや。豊かに実るは畝の上、わたしが歩むは谷の道。それでよい。踏みあらためる、わたしの道。踏みあらためる、魂と魂のちぎり。

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