MENU

多様性

連載 | こといづ

やさしいのがよい

  • URLをコピーしました!

 お天気雨が続いた。すかっと晴れた青空に、もうすぐにでも雪になりそうな大粒の雨がきらきらと飛んでいる。こんな天気なら虹が懸かっているだろうと、こちらの山、あちらの空と、外を見渡してみても虹は見当たらなかった。

 この冬はいよいよ大きな仕事に取り掛かっていて、毎日毎日、ピアノに向かっては作曲を続けている。誰かから音楽を作ってほしいと頼まれるのは嬉しいけれど、やっぱり毎度、恐ろしい。依頼されて作るというのは、今まで考えたこともないような世界観と一気に向き合わなければいけなくなるので、急に独り大海に放り込まれたような、天も地もわからなくなることもやっぱりある。自分にできるのだろうかと怖くもなるけれど、誰かが本気で頼んでくれたということは、きっと自分にできる仕事なのだろう、僕がやり遂げられる仕事だから僕のところにやってきたのだと、心の奥底で信じるようにしている。

 どういう風に作曲を依頼されるかというと、音楽を言葉で表すのは難しいけれど、やっぱり言葉で伝え合って、一緒に同じ景色をつかもうとにじり寄っていく。きちんとした会議で言葉を交わす時もあれば、メールや電話で、または食事に向かう途中に歩きながら交わした言葉が、核になることだってあるので、取りこぼさないように、その時すぐに理解できなくても心に刻んでおくようにしている。僕の場合、なぜか、言葉がほんとうに大切だ。鍵になる言葉がいくつか集まってくれば、それで一気に扉が開かれる。不思議だけれど、言葉が扉を開いてくれる。扉が開かない時は、言葉が足りない、まだ言葉が見つかっていないとそういう風に感じる。例えば、なかなか正解にたどり着けなくて行き止まりに入ってしまったような時、「以前に『I am Water』という曲を作られましたよね。今回は『I am Wind』ということかもしれません」と、ただそれだけの言葉なのに、それまで何度も打ち合わせて築いてきた景色ががらりと変化して、あっという間に曲ができてしまった。それまでに「風」という言葉は打ち合わせで何度も聞いたはずだったのに、「風を表現してほしい」と何度も言われてはいたけれど、その言葉では進めなかった。「あなたが風になってほしい」と言われた瞬間にどっと溢れてくるものが、自分の中にあった。「わたしは風」、その言葉だけで自分がやるべきことがよく分かった。

 時に、「高木さんらしくやってもらえれば」と言われるのがとても難しい。「自分らしい」というのが、やはり一番分かりにくいものなのだといつも思う。この10年だけでもいろんな作風をやってきたし、世界への眼差しも想いも、その時々で変化している。過去を振り返ってしまうと、いろんな自分がいて、どれが「自分らしい」自分なのかよく分からなくなる。そこで、いま、新しいと思っていること、これから取り掛かってみたいこと、新鮮な気持ちを全面に出して曲を作ってみる。ところがそれはそれで、何か未来に片足を突っ込んでいるようで、音もぼんやりしているのだろうか、たいていはポカンとされてしまう。相手は余計に「高木さんらしく、いつもどおりにやってくれさえすればいいのに」と、どんどんよくない循環に入る。「自分らしい」というのを考えるのは嫌なものだけれど、いや待てよ、「自分らしい」というのもあるのかもしれない、と筆を休めて、頭の中を整理してみると、メロディやリズムといった曲調に「らしさ」があるのか、そういう難しいことは分からないけれど、自分の中で起こっていることなら共通している感覚がある。「いい曲がやってきた」と心から思える時は、毎回、同じ源から溢れてきたのだなと感じる。ありがとう~ありがとう~と拝みたくなるような、優しい空間に自分の心が入った時に、ほろっと、指を通じて、口を通じて、音楽が出てくる。これは僕の中で起こっていることなので、誰にも分からないことだけれど、僕が頼りにできる「自分らしさ」というのは、あの湧き水の泉のような、あの柔らかさに触れることができる感覚かもしれないと思った。信仰心に近いものなのか、自分がちっぽけに感じられるようなきな、生命の始まりのような、繋がっているような、そんなふわっとした空間で、いつもいつも入っていけるものではない、虹のふもとがあるなら、そんな時空だろう。とにかく、優しいのがよい。これだけは忘れずにいよう。

 「あんた、また気張って勉強しとるんかい」、ハマちゃんが仕事部屋の窓越しに中を覗き込んでいる。微笑みながら「そうやで、毎日、ああでもない、こうでもないって音を鳴らしてるんや。元気かい、どうしたん」「あんな、大根なんぞ炊いたんは、あんたはいらんやろ」と少し照れながらハマちゃんが尋ねてくれる。「欲しいで、食べたいで」「そうか、じゃあ取りに帰ってくるわ」と拳をぎゅっと握りしめて駆けっこのポーズを取ったので、「一緒に行こかい」とハマちゃんの家まで並んで歩いた。「ここからな、ほれな、あんたんとこが、ようやっと見えるようになってきた。葉が落ちてくれて、あんたの家が見える。見えるだけで嬉しいもんやで」。冬になると毎回してくれるこの話が僕は大好きだ。「大根のな、容れもんはこれでいいかい。よう見とみ。なんの形やい」と手渡してくれたのはハート型の器だった。「そういうこと」、にかっと笑うハマちゃんを背に、急な坂を上って家に戻る。ふと見上げると、家の上に虹が懸かっていて、笑う。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!

関連記事