福井県でやりたいことのある若者たちをサポートする、県庁・チャレンジ応援ディレクターの寺井優介さん。生まれ育った福井県がとても好きで「恋人」のような存在といいます。寺井さんがそう感じている理由とは。お話を伺いました。
福井県チャレンジ応援ディレクター。1983年、福井県敦賀市生まれ。大学卒業後、2006年に福井県庁に入庁。観光営業部ブランド営業課時代には、県公式恐竜ブランドキャラクター「ジュラチック」の誕生、PRなどに携わった。その後、危機対策・防災課を経て現職。趣味はサウナ、読書、登山など。福井市在住。
福井県から、出たかった
さらに小学1年生から6年生まで、ずっと学級委員長でした。中学に入ってからも、2年生の前半まで学級委員長に、そして2年生後半では先生に推薦されて生徒会の書記になりました。人と人との関係性を見て、どうみんなをまとめていくかに興味があったので、リーダー的な役割は好きでしたね。
高校は、地元の公立高校に進学。小中学校の時に真面目にがんばってきた反動からか、高校に入ったら、途端に無気力になってしまったんです。高校生だというのに、中二病を患ったみたいな気がしました。これまでずっとリーダー的な役割をやり過ぎて、知らないうちに、疲れている自分に気づいたんです。
なので高校では、いっさいリーダー的な役割はしなくなりました。部活もしていませんでしたね。放課後はアルバイトや友だちとカラオケ、たまに草バスケなどをして過ごしていました。
小中学生の時のように「これをしたい」というものが見つけられず、悶々としていました。心の底から面白いと思えることが見つからなかったんです。地元である福井県にも、何の感情も生まれず、むしろ面白味のない街だと感じていました。きっと東京に行けば、何か変わるはず。そんな想いから、進学は都内にある私立大学の法学部に決めました。
東京から福井をPR
加えて、好きなバンドができて、彼らの楽曲にもハマりましたね。歌詞を読んでいると、マイナスからプラスに捉え直す言葉が多かったので、自分も物事をポジティブに捉えられるようになりました。共感する楽曲ばかりで、生でも聴いてみたくなり、ライブにも足を運ぶように。高校生の頃は、悶々としたものを抱えながら過ごしていましたが、東京に来たことで、いろいろなことに好奇心が湧いてきて、活発だった頃の自分が蘇るのを感じました。
一方大学では、みんなが福井県に対してあまりに無知なことに、衝撃を受けました。「福井ってどこ?」「パスポートいるんだろう」などと、いじられましたね。なので福井県の特産物をはじめ、自然が多く、水もおいしく、近所の人との交流もあり、東京のような満員電車もなくて、すごく住みやすい街だということを、大学の友だちにPRたんです。友だちにプレゼンしているうちに、「あれ、めっちゃいいじゃん福井!」と思い始めて、どんどん福井県の良さに気づいていきました。
一人暮らしをして孤独を知ることで、故郷に残してきた両親や、祖父母の存在の大きさを改めて感じたことも、福井に対して特別な感情を抱いた理由かもしれません。
「もっと福井県の良さを、世の中に広めたい」という気持ちが強くなり、大学一年の時点で就職先は、福井県庁か敦賀市役所に的を絞りました。そのための準備として、大学のゼミでは行政法を選択。都内での就職活動は一切しなかったのですが、無事に福井県庁へ就職することができました。
行政なのに「営業職」?
その後、県の裁判に関する業務を担当する情報公開法制課に配属。県が訴えられた際に、顧問弁護士のような役割を担います。以前の部署とは、まったく違う仕事で驚きましたが、一つひとつの業務に丁寧に取り組んでいく中で、普段はあまり表に出てこない業務の重要さを知りました。
そして次には、観光営業部ブランド営業課に転属しました。ここでは、恐竜博物館を核にしたPRを行い、2014年に誕生した公式恐竜キャラクター「ジュラチック」の立ち上げに携わりました。行政なのに課の名前に「営業」と付く配属先です。待ちの姿勢ではなく前のめりな「福井県の営業」が求められました。
テレビ局に対してPR活動をしたり、「福井県を取り上げてください」と担当者に頼んだり、ドラマのロケーションハンティングを行ったりしました。恐竜関連のイベントでは、300回以上、MCもこなしたんです。
元々、しゃべるのは好きなほうでしたが、ただ話すだけでは、人は耳を傾けてくれませんでした。そのため、営業をする時は、一人ひとりに合わせてしゃべり方を変えるようにしていたんです。相手によってほしい情報は違うため、どういう内容が必要とされているか、話しながら探っていきました。MCやさまざまなPR活動をしていく中で、人に伝えることを意識した話し方が身についていきましたね。
PR活動をする際は、プレゼン用資料を100枚ほど用意し、会う人によってお渡しする内容を変えていました。最初は30枚ほどのプレゼン資料を、相手にお渡ししていたのですが、読んでいないことが、会話の中からわかりまして…。それ以来、相手と話して「これだな」と感じたものを、厳選してお渡しするようになりました。いろいろと気を使う部分の多い仕事ですが、観光系の業務がしたかったので、とてもやりがいがありましたよ。
原子力防災から、若者の応援に
福井県は、原子力発電所が日本で一番ある地域。何年かに一度開催する大きな防災訓練があるのですが、それを担当しました。自衛隊の船やヘリ、高機動車などに来てもらい、いざという時を想定して避難させるのです。住民1500人ぐらいを、実際にバスで避難させる訓練などをやっていました。
それとは別に、大雨や大雪があった際は、数日間泊まりがけで状況把握も行うことも。どれも人命に関わる仕事なので、失敗はできません。これまで以上に、慎重にやることの大切さを学びました。
そして2021年、「チャレンジ応援ディレクター」に任命されました。このチャレンジ応援ディレクターの役職は課長相当の権限が与えられていて、30代の県庁職員では異例のこと。驚きもありましたが、とても嬉しくワクワクした気持ちになりました。
福井県知事が若い人の発想を大切にしている方で、新たにポストを作られたんです。主な仕事は2つで「福井県で活躍する、もしくは今後活躍する予定の若者の応援」と「福井県の人、モノ、コトの発信」。知事からは、任命時に「これは寺井君自身のチャレンジでもある」と言っていただきました。
とにかく多くの人に福井県の魅力を知ってもらいたい。そのために、自分ができることとして、セルフブランディングを心掛けることにしました。たとえば「チャレンジ応援ディレクター」という役職を、チャレンジの「C」、応援の「O」、ディレクターの「D」で「COD」と名乗り始めることにしたんです。これは私が勝手に決めたもの。覚えてもらわないと、気にも止めてくれませんから。新聞やラジオなどに出演の際、繰り返し「COD」と発信することで、この言葉が浸透してきたように感じました。
ちなみに、自分のメガネは伊達メガネ。ワイシャツは公務員には珍しい水玉ストライプに、ベストも着用。とにかく、多くの人にこの活動を知ってもらうために、その姿で新聞などにも載るようにしました。その甲斐もあってか、街中で声を掛けられることもありましたよ。
福井県の良さを知ってもらいたい
だいたい、一人あたり2時間ほど、その人のやりたいことや、趣味趣向についてお話しを伺うんです。そして知ったことをもとに、県庁各課や県内のさまざまな場所で、「こんな人がいるんですよ」と紹介しているんです。
一人ひとりに会うだけではなく、必要があれば人と人とをつなぎます。たとえば、街づくりをしている方同士など、この人とこの人が出会ったら、何か面白いことが起きるのではないか。そんな気がしたら、接点を持ってもらうんです。ハブの役割ができたらと思っていますよ。
往復で3時間かかるような場所に、車で通うこともありますが、ストレスに感じたことはありません。会う人は「これがしたい」という強い志を持って邁進している、面白い人たちばかりなんです。そういう人たちからいただくパワーが、自分の原動力になっています。
この前は、ラジオに出演後「レギュラーをください」とラジオ番組の担当者に直談判しました。すると本当にレギュラーがもらえ、月に1回福井のFM局で、福井県に関わる面白い若者を紹介することになったんです。ブランド営業部で、積極的に福井県をアピールした経験が活きています。
行政だからといって営業しないのではなく、営業的マインドを持って、積極的に福井県の良さを知ってもらうことが大切だと思っています。
今後はYouTube番組の制作も視野に入れています。さらに福井県の発信を続け、自分がつないだ人たちが、楽しいモノやコトを作っていければ嬉しいですね。自分自身は小・中・高、大学と進み公務員となった、いわば“一般的な人生”を歩んできた人間。そんな自分が、面白い人たちを応援していく。そういうスタンスでありたいです。あくまでも自分自身が有名になりたいとか、偉くなりたいという欲求はありません。むしろ偉くなったら、今のように多くの人に会えなくなるので、偉くなりたくはないですね。
これまで、さまざまな部署で、幅広い業務を経験してきました。その都度、転職する気持ちで仕事に挑んできたのですが、その中で分かったことがあります。一見、県の観光やPRの仕事は華があると思われがちです。しかし、その仕事ができる環境は、予算担当者をはじめ、受付の人、守衛さんなど、さまざまな役割の人たちが、しっかりと仕事をしているからこそ成り立つものなんですよね。
それにあらためて気づいてからは「ほんまにありがとうな」と、日頃の感謝を口に出して伝えるようにしています。まわりの人に支えられて、今の自分がいる。みんなに成長させてもらっている日々です。
ある意味、自分にとって福井県は、恋人のような存在。とても好きで、なくてはならないもの。だから、いつまでも現場の人とふれ合って、人と人をつないで化学反応を起こし、福井県の関係人口を増やしていきたい。福井県の良さを発信し続けていきたいです。