落花生と大豆の種まきから始まった「藁ぼっちプロジェクト」もいよいよメインテーマに突入。連載第3回で取り上げるのは、収穫後に野積みにした落花生と大豆に被せる「藁笠(わらがさ)」のこと。本プロジェクトも、来る秋の収穫に備えて、藁笠の制作を進めています。今回は、昔ながらの手仕事や人々との触れ合いを大切にする農家の取材を通して、未来に残したい日本の風景について、考えてみたいと思います。
藁ぼっちとは?
秋が深まり、作物の収穫を終える頃、日本各地で見られる穏やかな実りの風景。10月の後半から11月にかけて、千葉市や佐倉市、八街市の田園には、地域の特産である落花生の「ぼっち」がいくつも畑に出現します。
「ぼっち」とは、収穫した作物を、十分に乾燥させるために、畑に山積みにしたもののこと。落花生や大豆のぼっちは、野積みの状態で1か月ほど放置しますが、昔の人は雨風を避けるために、稲わらで編んだ藁笠をぼっちの頭にのせていました。これが本プロジェクトの主人公である「藁ぼっち」。しかし最近は、落花生収穫期に千葉の畑を訪れても、藁笠を被った素朴な佇まいのぼっちに出会う機会はそう多くはありません。
ところで、藁ぼっちというと、脱穀後の稲わらを束にして円錐状に積んだものを指すことも多いようです。消費者である私たちは、お米のことは気になっても、稲わらのことまで意識する機会はあまりありませんが、農村の暮らしの中では古くから資源として活用されてきたことがうかがえます。
「藁ぼっちプロジェクト」を企画した理由
普段は通り過ぎてしまう景色も、立ち止まってみると、そこに宝物のような大切な何かが見つかることもあります。『一般社団法人フィールズ・フィールズ』代表の茂木さんは、ある日、ふと目に留まった何気ない風景にすっかり魅了されてしまいました。
「千葉市の方を車で走っていた時に、偶然、藁笠を被ったぼっちとブルーシートに覆われたぼっちが、半分ずつ並んでいる畑の横を通りがかりました。その時に藁笠のぼっちが、なんだかすごく素敵に見えたんです」
当時、茂木さんは千葉に移住して日が浅く、「ぼっち」が何かも知らなかったのだと言います。それから程なく、この地域では落花生をぼっちで乾燥させることが一般的だということを聞きますが、彼女は主に大豆を育てていることもあり、大豆作りの過程で藁ぼっちを試してみることに。自身の小さな大豆畑で、大豆ぼっちをつくり、ネットで調べて、見よう見まねで編んだ藁笠を被せてみたのが始まりでした。
「今は便利なブルーシートが主流ですが、昔の人はみんな当たり前のようにつくっていたのだろうなと。それで、自分でもつくってみたのですが、1個や2個じゃ仕方ないですよね。これを風景として残していくために、もっといろんな人と一緒にやれたらと考えるようになりました」
思いついたら即行動の茂木さん。周囲に熱い思いを話してみたところ、協力を申し出てくれる農家も出てきたため、本格的にプロジェクトを始動することにしました。こうして活動を支えてくれることになった仲間たちは、環境保全型農業を実践する農家の面々。「藁ぼっちプロジェクト」は景観保全という観点だけでなく、地域住民や子どもたちに未来の食や自然環境について考えてもらえる機会になるよう、作物の種まきから収穫、ぼっちづくりまでの一連の作業を体験するイベントを軸に展開することになりました。
人々が集う駅前で、昔の手仕事を体験するワークショップを開催
初夏に蒔いた落花生や大豆が、夏の日差しを受け逞しく生育する中、本プロジェクトも収穫期の“ぼっち積み”に向けて、準備を始めました。一般市民も巻き込んで、この小さな試みを盛り上げて行こうと、夏の終わりに千葉県佐倉市のユーカリが丘の駅前で開催されたイベントにも出店し、藁笠編みやわら細工の体験ワークショップを開催しました。
日中の暑さが落ち着く夕暮れ時から始まった宵のイベント「夜道(よりみち)」では、佐倉の地酒やお酒に合うおつまみ、エスニックな料理など、飲み物やフード類も充実し、偶然通りがかったお客さんたちも楽しそうに場内を回遊していました。中には、本プロジェクトの藁笠編みのデモンストレーションの前で、不思議そうに立ち止まる子どもも。駅前ビルに立ち寄ったら、稲わらの塊に出会う。なかなか見ることのない光景かもしれません。
イベントでは、藁笠編みの体験の他に、稲わらを使ったお月見リースづくりのワークショップも開催。リースづくりの過程で、わらを撚り合わせ縄をつくる「縄ない」の技術も学びました。
一見シンプルに見える作業も、実際にやってみると、綻びのない縄を作るのが想像よりずっと難しいことに気づきます。自然の素材が暮らしを彩るものに形を変える。めいめい、手先に集中し作業している姿を見ると、こうした日曜大工的なものづくりのプロセスに豊かな発見がある気がしてきます。硬い稲わらが手に馴染んでいく感覚、稲わらを捻り、撚ることで吸い付くように太い縄になっていく様子……、講師のアドバイスを受けながら、少しずつ縄ないのコツを体に覚えさせていきます。作業を終えて、自分のつくったものを大事そうに持ち帰る参加者の姿が印象的でした。
稲わらは簡単には手に入らない?
さて、藁笠に限らず、しめ縄や土俵の俵、鍋敷きなどの日用品まで、日本の暮らしに馴染み深いわら細工。しかし、その素材となる稲わらは、いつでも簡単に手に入るものではありません。まず、第一に稲わらが出るのは米の収穫期であるということ。収穫期を過ぎて時間が経つほど手に入れるのが難しくなります。第二には収穫方法の問題。現在、コンバインなど大型の稲刈り機を使って米を収穫する農家が多いですが、一気に刈り取りから脱穀まで行うため、茎の部分は粉砕されてしまいます。つまり、このやり方ではわら1本の姿ではなくなってしまう。稲を根本から刈り取って、天日干しするやり方でないと、稲わらを手にいれるのは難しいということになります。そこで今回は、昔ながらの米の収穫風景を求めて、「藁ぼっちプロジェクト」の稲わらを提供する佐倉市の農家、『小出農園』を取材しました。
地域のにぎわいと共に、昔ながらの米づくりを実践する『小出農園』
日本100名城に数えられる佐倉城の下を流れる高崎川のほど近く、城南堤添いにある『小出農園』。小出一彦さん、まゆみさん夫妻は8年前に新規就農し、印旛沼流域と呼ばれるこの地域で米を育てるほか、年間を通して60〜70品目もの露地野菜を育てています。駅からのアクセスが良いこともあり、都会から田植えや稲刈りの農業体験に訪れる人も多く、この日も朝から馴染みのメンバーが稲刈りを手伝っていました。
稲刈りで主に使うのはバインダーという小型の機械。この機械は稲を刈って束にする作業までを一気に対応します。バインダーを使って稲を刈る人、機械が入りにくい箇所の稲を手で刈る人、稲の束を作る人、「オダ」と呼ばれる、稲を掛けて天日干しするための竹と支柱を組み立てる人、分担して作業を進めます。
オダは高さを揃えて、しっかりと立てないと、稲をのせた時に比重が偏り、竹が折れてしまったり、柱が倒れてしまうことも。農主が強度に問題ないことを確認すると、次はオダ掛けの作業です。日が暮れる前に目標分のオダ掛けをなんとか完成させた時には、皆の顔に清々しい笑顔が浮かびました。
土地の豊かさを生かして、天日干しでつくるお米
『小出農園』が実践しているのは、今ある自然の恩恵を生かした、昔ながらの農業。農薬や化学肥料を使わないだけでなく、米づくりには有機肥料も使いません。農主の小出一彦さんは、印旛沼流域と呼ばれるこの地で実際に米づくりを始めてみて、特に肥料を足すことなく、米を十分に収穫できることに気づいたのだと言います。
「今、田んぼに引いている水は高崎川から来ていますが、有機物が含まれていて栄養分が多いんです。実際にこれで十分な量の米ができるので、わざわざ余計に肥料を足さなくてもいいと考えています」
実は、一彦さんが米づくりを始めたのは21年前。就農するよりも前に、仲間と一緒に茨城県の水戸で田んぼを借り、自給用の米をつくっていました。現在の米づくりも基本的には当時と同じ。「そんなに比べてないから、実際はわからないけど」と前置きしながら、「やっぱり、天日干しのお米が美味しくて」とはにかみます。
みんなで和気藹々と農作業をしている風景を守りたい
労力を厭わず、皆で力を合わせて作業した後の達成感は格別です。小出夫妻は昔ながらのオダ掛けを大切にしていますが、それ以上に守りたい風景があるのだといいます。
「今日みたいに、みんなで農作業をしている風景。大人が農作業をしていて、親の目が届く範囲で、子どもたちはのびのびと好きなことして遊んでいる。子どもたちも手伝えることは手伝うし、遊びたかったら遊び優先。そういう風景を一番残したいと思っています」
そう話すまゆみさんは、今日の作業中も遊びをうまく取り入れながら農作業を手伝う子どもたちの姿に感心し、子どもたちもそんなまゆみさんを信頼し、自由な時間を過ごしていました。
小出夫妻が農園を始めて2年目に開始した「こめまめクラブ」という活動も、親子で農業体験ができる場をつくりたいと思って始めたこと。開始してまもなく、コロナ禍の影響で世間では人の交流や活動が制限されるようになりましたが、『小出農園』の無農薬のお米や野菜を購入する人たちの中には「子どもたちにもっとのびのび過ごしてもらいたい」と考える家庭が多く、「こめまめクラブ」にたくさんの親子が集まったのだそう。現在も人の入れ替わりはありつつも活動は途切れることなく続いています。
「日本では古くからお米づくりを続けているけれど、昔はもっと人が関わっていた作業が多かったと思うんです。(米づくりは)みんなでワイワイやる感じが合っている気がするんですよね」と話すまゆみさん。そして、農業をやっていて何より嬉しいと思うのは、「来てくれた人が喜んでくれること」なのだといいます。
子どもが心の赴くまま遊んでいる様子、普段なかなかできないことをやって楽しんでいる大人たち、にぎわいとともにある実りの風景こそが2人が大切にしたいこと。自分たちがつくったオダ掛けを大事そうに眺める参加者の表情に、小出夫妻の思いが着実に伝わっていることを想像することができました。
取材・文:中島文子 写真:中島良平