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関係人口

特集 | 指出一正 オン・ザ・ロード

高雄で出合った台湾流の関係案内所と、そこから広がる新しいカルチャー、そしてクラフトミルクティー

指出一正

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目次

ホテルの1階にあるカフェが、僕の関係案内所に

20年ぶりに台湾を訪れました。2004年の新潟県中越地震が起きた日に東アジア最高峰と言われる標高3952メートルの玉山(ユイシャン)に登って以来です。今回、台湾に誘ってくださったのは、僕が尊敬する編集者、ツァイ・イーピン(蔡 奕屏)さん。イーピンさんは元々、千葉大学大学院で日本の地方創生、ローカルのライフスタイルやデザインなどを勉強され、日本のローカルデザインの素敵な事例をまとめた『地方設計 LOCAL DESIGN』という本を2021年に、地域を編集している編集者たちの活動をまとめた『地方編輯 LOCAL EDIT』を2023年に台湾で発刊されました。カラーで、すごくかっこよくて熱い本です。

その本の中で僕も取り上げていただいていて、関係人口の講座を開いていることや、「ライク・ア・バードokitama」という山形県・置賜地方を舞台にした映像プロジェクトの総合監修を務めていることなど、地域を編集するプロジェクトに関して何十ページにもわたって紹介してくださいました。ありがたい限りです。そのイーピンさんから「台湾に来ませんか」とお声がけいただいたのです。「今、地方創生で高雄市のプロジェクトが大きく動いていて、それに関連するトークセッションを開催したいので、指出さんに来てもらえたらうれしいです」と。開催日の翌日に大阪へ、翌々日には島根へ行くことになっていたので強行軍ではあったのですが、「大丈夫だろう」と考えて台湾に向かいました。台湾の皆さんにもぜひお会いしたかったですし。

実は『ソトコト』で2017年に「台湾のまちづくり」という特集号をつくっているんです。僕は編集長としてチームを組み、スタッフに取材と撮影に行ってもらい、できあがった記事を確認する役割だったので台湾には足を運べていないのですが、コミュニティデザイナーの山崎亮さんにナビゲーターとして立っていただいて、当時の最新の台湾のコミュニティデザインやリノベーションについて取材し、記事にしました。もちろんそれ以降も台湾のまちづくりは若い人たちを中心に進められてきていて、今あるものをよりいい形で未来に持っていくというリジェネレーションをすごく感じ取れたので、台湾に行くチャンスがあれば行きたいなと思っていたところ、イーピンさんからうれしいお誘いを受けたわけです。台湾との関わりでいうと、2年前にも台湾における地方創生の第一人者、リン・チェンイ(林 承毅)さんから依頼を受けて、「微住®︎」という活動を続けている田中佑典さんと一緒に中山大学のトークセッションに出たこともあります。日本からオンラインで参加したので、やはり台湾には行っていないのですが、台湾の皆さんの熱気と優しさを感じたトークセッションでした。

今回、念願かなって台湾に行ったのは2024年12月5日の夕方から7日の早朝まで、ほぼ一泊二日の旅でした。行き先は高雄。高雄に行くのは初めてで、せっかく台湾に行くのだから台北と高雄を結ぶ台湾高速鉄道(台湾新幹線)に乗りたいなという気持ちもあったのですが、帰国後すぐに大阪で仕事があったので、神戸から関西国際空港へ向かい、高雄へ飛ぶ直行便に乗りました。余談ですが、台湾高速鉄道は国有鉄道かと思いきや、台湾の企業などが出資する鉄道なんですね。日本もベンチャー企業がたくさん生まれているんだから、鉄道をテーマにしたベンチャー企業が現れて、廃線に追い込まれそうな地方のローカル線をクラウドファンディングで復活させるような動きがあってもおもしろいなと思いました。イーロン・マスクがロケットを飛ばすような時代ですからね。

関空から3時間半ほどで高雄国際空港に到着しました。空港を出ると気温が26度もあって、すぐに額や首が汗ばんできました。というのも帰国後、大阪の仕事に間に合うためには関空からすぐに移動しなければいけないスケジュールだったので、今回はスーツケースを持たずにリュックひとつで台湾へ行ったのです。空港でスーツケースを受け取る時間さえ節約したかったので。さらに、大阪から翌日に向かう島根の江津は雪が降るかもしれないと聞いていたので、暖かいウール100パーセントのジャケットを、本来ならスーツケースに入れるべきところを着たまま台湾へ向かったのです。なので、すぐに体が汗ばんだのです。

高雄は台北に次ぐ台湾第二の都市で、港町でもあります。古い小さな店が軒を連ねる街並を眺めながら向かった宿泊先は、日本の統治下時代に東京の銀座から名前を取った「高雄銀座」と呼ばれていたアーケード街にありました。その一角に雑居ビルをリノベーションした『銀座聚場 House of Takao Ginza』があり、1階がおしゃれなカフェで、高雄のイケてる若者たちが集まる場所になっていました。その建物の3階から5階が一棟貸しの宿になっていて、僕はそこに泊まりました。

1階のカフェの女性マスターは大阪に住んでいたことがあり日本語を話せたので、僕は日本語と英語が混ざった言葉で会話をすることができました。宿に着いたのは木曜の夕方ごろで、翌日金曜の夜に僕が登壇させていただくトークセッションが開催されることになっていましたから、宿に着いた後も遠出はせず、僕を呼んでくださった台湾の皆さんとカフェでコーヒーを飲んだり、喋ったりして過ごしました。結局、滞在中は遠出はせず、皆さんと一緒にホテル近辺で食事や買い物をして過ごしたので、このカフェが僕にとっての関係案内所になりました。

イーピンさんは高雄初体験の僕が困らないようにと、朝ご飯におすすめの店を教えてくれたりもしました。それは、台湾おにぎりの店でした。超人気店で着いた時には行列になっていたので僕もそこに並びました。行列には椅子が置いてあって、腰をかけている男性がいたので、「ここ座ってもいいですか?」と英語で尋ねると、「どうぞどうぞ」と日本語で返してくれました。僕はそこに座り、順番を待ちました。台湾おにぎりはもち米をぎゅうぎゅうに詰めて四角にして、中に揚げパンや豆や煮卵などいろんな具材が入っているユニークなおにぎりだそうですが、その店の注文表はすべて中国語だったので僕には読めませんでした。ただ一つ、漢字で「総合」と書かれたメニューがあったので、「総合だから、おそらくいろんな具材が総合的に入っているんだろう」と勝手に想像して注文したら、その通りたくさんの具が入った「全部入り」のおにぎりが来ました。香辛料も利いていて、とってもおいしかったです。

その後も皆さんと散歩したり、ご飯を食べに行ったりしましたが、僕は日本からの出発がかなり慌ただしかったので、財布ではなく、20年前に使った台湾ドルが入ったままのジッパー付きビニール袋を財布がわりに使っていたのです。ジッパーを開いてお金を出して、透明だから判別しやすくていいやと思いながら。

話が前後しますが、台湾は20年の間に新札に変わっています。なので高雄国際空港で台湾銀行へ行き、20年前の紙幣が使えるかどうかを確認したのですが、全部使えるとのことでした。それでも行員は親切に新しい紙幣に交換してくれました。

おにぎり代をその紙幣で支払おうと財布代わりのジッパー付きビニール袋を開けていたら、皆さんが不思議というか、不憫に思ったのか、会計のときはやたら親切にしてくれました。「この紙幣とコインを何枚払えばいい」みたいに教えてくれて(笑)。

『地味手帖』の編集長とトークセッション

トークセッションのテーマが移住や、行政と民間が協働する地方創生プロジェクトについてだったので、参加者の若い皆さんと一緒に台湾のU・Iターン者が新しく仕事をつくっている現場を見に行くことにしました。まちめぐりのツアーの名前は「ミルクティーツアー」。台湾は今、ミルクティーがすごい人気で、高雄には「ミルクティーストリート」と呼ばれ、10数軒のミルクティー屋さんが並ぶ通りがあるんです。

週末にはとても混雑するくらいの人気ぶりですが、そういった店とはちょっと異なるタイプのクラフトミルクティー屋さんが、ストリートから少し外れたエリアに何軒か店を構えていました。たとえば、若い女性デザイナーさんとパートナーのバーテンダーの男性がクラフトミルクティーを、空き家をリノベーションしたような店で、モダンなバーカウンターをつくって新しいミルクティーを出したりしているのです。ミルクだけじゃなくて、山椒やカルダモンみたいなスパイスを加えたりして、おしゃれに味わうお客さんが増えているそうです。日本でいうと、クラフトビールとか、クラフトジンとかが流行っているような感覚で、台湾はクラフトミルクティーが注目を集めているのです。

台湾って、とあるコンビニエンスストアが100メートルに1軒と言ってもいいくらいたくさんあって、そこでもアイスティーを頼んで飲むことができるのですが、すごく甘い。でも、甘くないミルクティーが好きな若者たちは、U・Iターン者がつくったクラフトミルクティー屋さんに集まっていました。僕も店を起業した人に話を聞いたり、台湾のまちづくりに触れさせてもらったりする中で、クラフトミルクティー屋さんが若者たちの関係案内所として機能しているように思いました。

トークセッションは廃墟という意味の『廃墟Ruins』という、レンガ倉庫だった建物をリノベーションした多目的スペースを会場にして開催されました。登壇したのは、僕と『地味手帖』の編集長のドン・チンウェイ(董 淨瑋)さん。さらに、日本から招かれ、翌日のトークイベントに出演される徳谷柿次郎さんと『Hafh』をつくった大瀬良亮さんも合流してくれて、アットホームな雰囲気で話ができました。参加者は20代、30代の若い人が多く、50名くらいはいたでしょうか、満員でした。台湾のローカルムーブメントの盛り上がりを感じさせられましたね。

僕が話した内容は、日本と台湾の地方創生や移住、二拠点居住、それから関係案内所、リジェネラティブ、流域関係人口についてです。台湾も日本と同様で自然災害が多いので、流域の中で人と人との関係性が結び直されるということを日本も意識し始めているといったことを話したら、皆さん興味を持って聞いてくださいました。時間にして40分くらい、実際は通訳の方が入られるので20分くらいだったかな。この通訳の方はダイ・カイセイ(戴開成)さんといって、長く山崎亮さんの通訳をされていて、落語家みたいに日本語が上手。だから、関係案内所とか一般的な通訳者だと訳しづらい用語もうまく訳してくれました。そもそも関係人口というキーワードは台湾でも韓国でも、地方創生に携わっている人や学生の多くが知っているので、ゼロから説明する必要はなかったのですが、ダイさんは僕が話そうとしている内容をパーフェクトに理解してくれるので、台湾の若い人たちにも伝わったという実感があり、感謝しきりでした。二拠点居住に関しても同様で、先日上梓した『オン・ザ・ロード 二拠点思考』について話したら、皆さん頷きながら聞いてくれました。そういえば、ミルクティーツアーで訪ねたミルクティー屋さんも台中と高雄に店舗を構えていて、「1か月のうち4割は高雄、6割は台中で過ごす」と、二拠点居住をしていると話していましたね。

ドンさんが編集長を務める『地味手帖』はグラフィックが凝っていて、レイアウトも綺麗な素敵な雑誌です。僕も何度か出させてもらっています。今伝えたい、シェアしたいマインドというか、メッセージが『ソトコト』と通じる部分があり、人によっては台湾の『ソトコト』っていうふうに言ってくれて、『地味手帖』と『ソトコト』の関係性をつなげてくださる方々も多いです。そんな雑誌をつくっているドンさんに初めてリアルでお会いできて光栄でした。トークセッションは2人で1時間半くらい話しましたが、お互いに同意することばかり。たとえば、台湾で「移住」という言葉は、当初は高齢者、リタイアされた年配の方の別荘生活みたいなイメージしかなかったらしく、日本も田舎暮らしとか移住はリタイアされた方々の「第二の人生」的に捉えられている時期は長かったと思います。けれども、内面の幸せを求める若い世代が現れ、地域やローカルの豊かさにも気づき始めた中で、時代の流れというか、変化が起こったのも日本と同じようです。

台湾の東部って、人口が多い西側、台北や台中、高雄といった都市に比べると中山間地域と呼んでも間違いではない人口減少のエリアになっていて、地域づくりや地域の維持みたいな課題に焦点が当たるんですけど、開発されなかったからこそ残された東部のいい場所、いいものに若い世代が気づき始めているっていう意味では、日本の中山間地域の良さに若い人が気づき始めていることとシンクロしているなっていうふうに思いました。台湾と日本のローカルは共通点が多く、トークセッションもすごく盛り上がり、有意義な時間を過ごさせていただきました。

僕はドンさんに神戸のチョコレートをお土産に渡して、ドンさんは『誌村鑑 LOOK for Village』っていう『1冊1地域』の小さな本をシリーズでつくり始めていたようで、その本と『地味手帖』の最新号を僕にプレゼントしてくれました。高雄国際空港から乗った帰りの飛行機の中で、その2冊をワクワクしながら眺めました。中国語は読めないのですが、なんとなく書かれていることはわかる気がしました。誌面に登場している人たちの生き生きとした表情も『ソトコト』とリンクしていて、今ここにいる幸せを感じている皆さんなんだろうなと想像できたし、台湾の若い人たちに向けて、こういう暮らしをしたいとか、生き方の選択肢っていろいろあっていいんだ、みたいなことを伝えているんだろうなと感じ取ることができました。

東京が若者の「るつぼ」でなくなっていることが心配

トークセッションの参加者から、いくつか質問が投げかけられました。印象に残ったのは、「日本の社会はこの後、何を変えていこうとしているのですか?」という大きな質問でした。僕は私見として、「地方創生ももちろん新しく進み直していますが、より変わろうとしているのは教育だと思います」と答えたら、とてもおもしろがってくれましたね。

実は日本の教育に関してはどこかで話したいと思っていました。それは、都市の大学生と地方の大学生は同じ年齢だけど、圧倒的に違う世界に住んでいるということ。どういうことかというと、僕は上智大学出身ですが、東京の四谷にあるキャンパスに現役の大学生として通っていたころは、大分の別府から来ているとか、兵庫の豊岡から来ているとか、青森から来ているとか、いろんな地域から学生が集まっていました。そして昨年、「All Sophians’ Festival 2024」の実行委員長を務めていたときに感じたのですが、学生の9割方が東京や埼玉など首都圏から通う人たちで、親御さんの多くは会社員です。

一方で、地方にある大学で講義をさせてもらうとき、学生たちと話すと「私の実家は山口のとある駅前で時計屋さんをやっています」というように自営業の家で育った学生が圧倒的に多いんです。だから、同い年だけど、東京の場合は小学生のときから同じ顔ぶれの人たちや、学歴の優劣は置いといて、ほとんど地理的な移動がないまま大人になってるんですよね。これって危ないことなんじゃないかなって心配しています。

東京は「コスモポリタンの都市」として「るつぼ」になってないといけないはず。いろんな人がぶつかり合うことでエネルギーが生まれる場所として東京があったはずなのに、単なる一つのローカルになっていきそうな気がするのです。同じような世界観、社会観のなかで、たくさんの10代が暮らしている。これは何も変革が生まれない社会じゃないかって。教育とはそういう意味で、同じ学生、同じ年代と言っても、地域で学んでいる大学生と首都圏で学んでいる大学生は、実は世界線が違うんじゃないのかなっていうくらいに、分離というか、分化が生まれているのが、ちょっとどうなんだろうと感じています。という話をしたら、参加者の皆さんは「なるほど」といった感じで聞いていました。

もう1つは、僕が東京と神戸の二拠点居住をしている理由を尋ねる質問も多かったですね。答えとして1番わかりやすいたとえは何かなと考えたら、台湾には台湾高速鉄道があるから、台北と高雄の交流や高雄に人が集まってプロジェクトが始まるといったことが起きています。僕にとっては東海道新幹線が山手線とほとんど変わらない間隔で東京―新大阪間を走っているというのは、二拠点居住を実践するにあたって驚異的な利便性になっているという話をしたら、「そんなスピードで走っているんですね」と驚いていました。そういう意味でも、日本の新幹線の仕組みは世界にアピールできる技術なんだなって改めて思いました。

高雄も高速鉄道があるおかげで、人の交流やまちづくりが盛んに行われています。台北から高雄まで1時間40分くらい、台湾は九州とほぼ同じ大きさなので、福岡から鹿児島に九州新幹線で行くような感覚。二拠点居住ができる距離ですよね。高雄ではLRTが走っていたり、港のリノベーションもおしゃれな感じで進められています。古い倉庫におしゃれな店が入ったりして。

台湾に到着した木曜の夕方、銀座聚場 House of Takao Ginza』の管理人のひとりであるローズさんという女性に、「港まではそう遠くないから、散歩がてら行ってみたら? まだ夕日に間に合うでしょうし」と言われて港まで歩いてみたら、台湾中からというのは大袈裟ですが、大勢の若い人たちが集まって、夕日を眺めたり、写真を撮ったりしていました。僕も写真を撮りましたが、港に沈む美しい夕日を見て、まちのたたずまいがどことなく神戸に似ている気がしました。

関係案内所に必要なもの。それは、「借時間」

高雄の港を訪れて感じたのは、台湾のリノベーションは古いものに敬意を払い、大切にしながら新しい息を吹き込むのがうまいということ。僕は関係案内所に必要なものの1つとして、隈研吾さんが教えてくれた「借時間」があると思っています。

僕が「ひろしま さとやま未来博2017」で総合監修を務めた際、廃校のリノベーションを手がけていただいた隈さんから、建築家につくれないものが2つあると聞きました。1つは「借景」。もう1つが「借時間」だと。借時間は古い建物に入ったときの何とも言えない感覚、敬意だったり、愛情だったり、ほっとする気持ちだったり、数百年という長い時間をかけてその空間をつくってきた人たちの思いや気持ちが形として、あるいは感覚として残っている。それを借時間と呼んでいて、建築家にはつくれないものだとおっしゃっていたのが印象的でした。関係案内所も、新しくつくるのももちろんいいのですが、借時間が感じられる要素が残っていた方が、より人と出会いやすくなったり、話が弾んだり、何かのきっかけをつくりやすいんじゃないかなって思ったりもします。台湾の人たちは期せずして、借時間を大事にしながらまちを未来に持っていこうとしているように僕には感じました。半分残して、半分持っていくみたいな感じ。それを繰り返しながら、台湾は未来をつくっている。リジェネラティブ・シティというか、これは誰にとっても優しいまちなんじゃないかなって思いました。今暮らしているまちが急速に知らない風景に変わってしまったら、多分寂しいですよね。

『ふくしま未来創造アカデミー』でも話していますが、帰還困難区域が発展していくのはもちろんとてもいいことなのですが、その発展を少し寂しく感じている地元住民もいることも現実です。自分の生まれ育った地域に、知らないうちに新しいものができて、新しい人が移り住んできて、まちが活気を取り戻していくのはうれしいことではあるけれど、同時に寂しさも感じる。自分が置いていかれている感覚、その複雑な気持ちは僕にもわかります。まちづくりは全員が幸せになるとは限らないと考えたら、台湾の半分残して、半分持っていくというやり方はすごくいいと思いました。トークセッションに集まってくださった皆さんもそうですが、関係案内所を空間としてもマインドとしても大切に思っていて、人と人との関係性が生まれる場所をつくっているという印象をすごく受けました。

『ソトコト』の2017年12月号「特集 台湾のまちづくり」でも紹介したチォウ・チョンハン(邱 承漢)さんが中心になってつくった『叁捌旅居(サンバーリュージュ)』(英語表記は『3080s apartment』)というスペースもそうです。都市でありながら人と人との距離が近くて人の息遣いが聞こえる感じ。高雄が港町だからかもしれませんが、通りや路地を歩いていて、人と会話を交わす中でも居心地のよさを感じました。『叁捌旅居』の皆さんのコミュニティのおしゃれさ、楽しさも素敵でした。僕が泊まった『銀座聚場 House of Takao Ginza』もチォウさんたちのプロジェクトです。そしてチォウさんたちだけではなく、今は違うチームや若い世代もプロジェクトを立ち上げ、まちづくりに取り組んでいます。

朝や昼は一般的な市場でありながら、夜になると若い人たちが小さなポップアップショップを出すスペースになる場所があるのですが、そこでごはん屋さんに立ち寄ったら、テーブルが生魚を置くのに使っていた板のようなもので出来ていて、那覇の牧志公設市場にかつてあったような水を流せるスリットが入った板って言えばわかるでしょうか? そういう古い素材でテーブルをつくっていたり、サーキュラーエコノミーを意識したお店も増えています。ミルクティーの店もそうですが、若い人たちが集まるよう工夫を凝らしたエリアリノベーションが進んでいっているように感じました。

そんなエリアにある一軒の雑貨屋さんで、僕は家族のお土産を買いました。それは、「金魚脳」と書かれた巾着です。金魚脳って台湾では「忘れっぽい人」という意味だそうですが、他意はありません(笑)。書体が可愛いので買いました。もう一つ、「高雄っ子」という意味の熟語が書かれた巾着も買いましたが、妻も息子も迷わず「金魚脳」の方を選んでいました。

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