僕は動物採集人が大好きで、ホーカーだけが汚名を着せられるのは見ていられない。
僕は動物採集人が大好きで、ホーカーだけが汚名を着せられるのは見ていられない。タイプ標本の写真を見ると、頭部が入った瓶の蓋には確かに「Yedo」と書かれている。しかしそこには同じ筆跡で「BM」から始まる標本番号とトーマスが与えた学名「Sorex hawkeri」が書かれている。この筆跡はホーカー本人ではなく、彼からの小さなプレゼントを博物館で整理した人のものだろう。つまりホーカーは「正しい採集地を伝えたが、博物館で間違って記録された」可能性もあるのだ。
このあたりを検証しようと思うのだが、ホーカーという人物、なかなか謎多き人。彼が日本をどのように旅したのかは不明とされる。そこでちょこっと標本から調べてみることにした。大英自然史博物館のデータベースで「hawker」を検索したところ、110点の標本が見つかったが、なんと日本産の標本はトウキョウトガリネズミ1つだけ。そのほかはスーダンやソマリアといったアフリカ北部の国で、彼は1897年から1902年にかけて何度か大規模な調査旅行を行ったことがわかる。1902年の旅行ではその採集品の鳥類解説とともに、短い紀行文が『IBIS』という雑誌に掲載されているが、鉄砲を担いでライオンや大型草食獣、さらにはアフリカゾウと対峙するといった派手な狩猟行だったようだ。そんな中でホーカーは、ちゃんと小哺乳類も採集したしっかり者だ。それらはトーマスに届けられて新種記載されている。
そんな人物が、その翌年にふらっと日本を訪れて、さらに当時開発が進んでいなかった北海道の奥地まで旅して、虫と見間違えるような小さな哺乳類を1匹だけ捕まえて帰り、そしてその採集地を間違えて伝えたとは、にわかには信じがたし。どうもホーカーが本当に日本に来たことさえ、怪しく思うのだがどうだろう。彼の名誉のためにも何とか明らかにしたいものだ。
題字・金澤翔子
illustration by Fumihiko Asano