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多様性

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ

おたのしみ権( 利 )。

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顔がいい人間と実家が“ 太い” 人間の「不幸」は、よくバカにされる。当人がどんな痛みや苦しみを抱えていようと、それらは絶対的安全圏をもった人間のセンチメンタリズムや贅沢の類だとして、取り合ってもらえない。子どもであるほど正直で、小学生なんかは「でもイケメンやん」「金持ちのくせに」、そういった言葉たちを、容赦無く当人に浴びせる。

僕はその頃、A君ととても仲がよかった。A君は町で見知らぬおばちゃんから「まあ」と声をかけられるほど端正な顔立ちをしていて、僕の父は実業家だった。小さな下町では事業の詳細は関係がなく、ただ「社長」という言葉のみが目立っていて、僕は同級生から「社長の子」として見られていた。

A君と僕は所属しているグループが違って、特段気が合うというわけでもなかった。だからそんなに話すこともなかったのだが、なぜかよく隣町まで自転車で出かけては、日がくれるまで河川敷で時間をつぶした。A君が器用に雑草を編むのを真似したり、ただ二人で淡々と、向こう岸の知らない町にむかって、小さな主張でもするかのように水切り石を投げた(書きながら気づいたが、あれが初恋だったような気がしないでもない)。

年に一度商店街で開催される大きなお祭りには、必ず一緒に出かけた。そのお祭りで使う「おたのしみ券」は、商店街で買い物をした分だけ配布される、という夢のないもので、頻繁に行われる取引先との宴会の準備が必要だった我が家には、束になったそれがあった。

お祭り当日は、町中の子どもたちが、親からもらったおたのしみ券を握り締めて集まった(おたのしみ券を買ってもらう子もいた)。その年は、A君とほかの友達もあわせて5人で回ることになっていて、ならば「おたのしみ券はみんなで分けよう」と僕は考えていた。この束を持つ人間は、いつも楽しそうでなくてはならなかったが、あまりに楽しそうでは「ズル」になるから、それもいけなかった。玄関で支度をしながら、下駄箱に置かれたおたのしみ券の束を見る。輪ゴムで縛られひっそりと佇むそれは、おたのしみ券の死骸みたいだった。

ここ2年くらい、仕事が変わった影響で運動不足になり、とうとうヘルニアになった。ただ幸いにも軽症で、「ストレッチをしながら治していきましょうね」と病院で言われたので、整体にでも通うかと近所の整体院に行った。当たりだった。とにかく腰痛が軽くなるのだ。

先生は体を触っているといろんなことを感じるそうで、ある日の施術中、「ストレスが大きすぎますね」と言われた。「受け入れることが大事ですよ」。僕は内心ムッとしたので、うつ伏せのまま「受け入れてますけどね」と言った。すると先生は、ちょっと、と言って座るよう促し、小さなホワイトボードを持ってきた。そしてそこに、陰と陽の模様を描いた。「人間の体内には陰と陽のエネルギー、それぞれが同じ大きさであります。どちらかだけが大きくなる、ということはないんですよ。太田さん、楽しいことはしていますか? 思いっきり心が安らぐような。今の太田さんだから感じられる喜びを、ちゃんと受け取っていますか? それを受け取ることが、ストレスを受け入れることでもあります」。

なるほど、自分のストレスを受け入れるとは、自分の幸福を噛み締めるということでもあるのだ。僕は自分で食えるようになった今も、手にした喜びを後ろめたく思うところがある。この程度の努力で、みんな認めてくれるのだろうか。おたのしみ券を握り締めた自分が、今もじっとこちらを見ている。

ちなみにお祭りの日、A君だけが僕を呼び止め、「お前が使いや」とおたのしみ券をこっそり返してきた。「そんなんする必要ないで」。やっぱり初恋は、彼だった気がしてきた。

文・太田尚樹 イラスト・井上 涼

おおた・なおき●1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。

記事は雑誌ソトコト2023年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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