1 「罪を償いたい」と懇願し逆転有罪判決
「弁護士って有罪だと思ってても無罪だって言うんでしょ」と言われたことが何度もあります。弁護士が付くと黙秘させる、弁護士はいつも心神喪失や無罪と主張する、そんなイメージが弁護士にはあるのだろうなと思います。しかし、今回はそれとは真逆ともいえる弁護士の対応が注目された無罪事件について解説させていただきたいと思います。
群馬県前橋市で2018年1月、当時85歳の男性が運転する自動車が、自転車に乗った女子高生2人に衝突し、1人が死亡し、もう1人が重傷を負うという事故がありました。高齢者運転であることに加え上級国民だから逮捕されなかったなどとインターネット上で話題となった池袋暴走事故(2019年4月発生)よりも前に発生した事故だったため、事故直後の報道に対してはそこまで苛烈なネットバッシングはなかったように記憶しています。
しかしこの事故も、池袋暴走事故以降、俄かに社会的な注目を浴びることとなってしまいました。その理由は、検察官の主張と弁護人側の対応にありました。
検察官は
・被告人はしばしば低血圧等によるめまいや意識障害を起こしていたこと
・家族からも医師からも運転の危険性を指摘されていた
ことなどから、被告人には「運転を控えるべきなのに運転をした過失」があったと主張しました。これに対して、弁護人は運転を控える義務まではなかった、薬の副作用で血圧が下がったことが事故原因だとして無罪を主張しました。
そして、第一審の前橋地方裁判所は、被告人のかかりつけ医が、運転をやめるように明確には伝えていないと証言したことなどを踏まえて、「被告人は今回の事故を予測できなかった」と無罪判決を下しました。
この判決を不服として検察庁は控訴をしました。
これに対し、第一審で無罪である旨主張し、完全勝利の判決を取得した弁護側が驚くべき極めて異例の対応をしました。控訴審から新たに担当することになった弁護人から「被告人は高齢で、人生の最期を迎えるにあたり罪を償いたいと考えている」などとして、無罪を取り消して有罪とするように求めたのです。
そして東京高等裁判所は2020年11月、「被告人は低血圧によるめまいの症状があることを自覚し、事故の数日前にも2日続けて物損事故を起こすなど、運転中に意識障害の状態に陥ることは予測できた」「家族から運転をやめるよう繰り返し注意されていて、被告人は運転をやめる義務があった。」「身勝手な判断による過失で重大な事故を起こした」などとして、一審の無罪判決を覆し、禁錮3年の逆転有罪実刑判決を下しました。
この被告人の異例の対応は、池袋暴走事故の被告人と対比され、「暴走老人の手本」などとも報道されました。
2 弁護士の職務・裁判所の職務
もしかしたら、被告人が有罪になりたい、有罪でいいと言っているのだから、弁護士は悩む必要などない、裁判所も判決に迷う必要はない、と考えられる方もいるかもしれません。しかし、今回の件はそんな簡単な問題ではありません。
僕ら弁護士の職務は、被告人の弁護人・代弁者つまり被告人の剣となり盾となり被告人に寄り添い、被告人の利益を守ることだと思っています。そのため、もし有罪とする十分な証拠があると思っていたり、被告人の話している内容が一見荒唐無稽に思えても、被告人が「犯人は俺じゃない」「殺す気はなかった」「中身が薬物だとは知らなかった」と主張するなら、弁護士も無罪だと主張するのが通常です。
しかし今回の事件は、事情が違います。被告人が有罪でいいと言っているのだから弁護人もそれに従うべきという単純な問題ではありません。
被告人は第一審時点で弁護人と協議をして無罪主張をする方針に同意をして、自身の被告人質問でも、無罪を裏付ける供述をしていたはずです。そして、被告人の言い分が認められて無罪判決になっているのです。被告人にとって無罪判決を受けることが最大の利益であることは明らかです。今後控えている民事の損害賠償裁判においても、刑事で無罪判決を受けていることは相当有利な事情になります。弁護人の職務として、被告人の希望のままに有罪主張をすることが本当に正しかったのか、意見が大きく分かれているところです。なお、控訴審での有罪主張に対して、群馬県弁護士会は弁護士倫理上の問題があるのではないかとの異例の指摘をしていますし、日弁連も被告人の意思確認を慎重に行うよう弁護人に通達もしています。
一方、判決を下す裁判官は、証拠を検討して、有罪か無罪かを判断するのが職務です。被告人が有罪と言っているから裏付け証拠なく判決を書いてもよい、ということにはなりません。今回の判決においても、被告人が有罪主張に代わったことには特に触れずに、証拠を検討して有罪との判決に至っています。
とはいえ、被告人側が、検察官の控訴理由に対して徹底的に反論をして無罪主張を続けていれば、結論が変わった可能性もあるでしょう。
3 世論によって私刑が下されてしまうリスク
被告人が俄かに有罪主張をし始めた理由は何でしょうか。
これは僕の予想に過ぎませんが、第一審の無罪判決以降、被告人とその家族を取り巻く環境、世論、ネットでの誹謗中傷などで針のむしろに座る心地だったのではないでしょうか。第一審の判決の際、法廷では怒号が飛んだという話もあります。さらに、被告人のご家族が「家族としての責任を痛感している。無罪は受け止められない」などとコメントをしているようです。結果は非常に重大ですが、自身の肉親の有罪判決を願うという心理状態は察するに余りあります。被告人は、今後非難を受け続けるかもしれない子や孫の生活を守り、誹謗中傷を避ける目的で今回の有罪主張になったのかもしれません。
SNSなどにより個々人がメディア化していることは、表現の自由や知る権利の側面では非常に有益だと思います。しかし、その発言が、もしかしたら無罪になるべき人を有罪にしてしまった、無罪だという主張を制限してしまったのかもしれません。このようなインターネットによる「私刑」がなされてしまうリスクを、私たちは常に意識しなければならないかもしれません。