このコロナ禍に、長いつき合いの友人と疎遠になった。最後は大きな喧嘩をするとかそういう派手なことはなくて、ただの穏便なLINEのやり取りで終わった。コロナ前に一度みんなで集まろうかという話になった時、「やめとくわ」みたいな返事が来て「了解」と返し、そこで何かが切れた。それ以来連絡をとっていない。
僕は網が左右から強引に引っ張られ続けた様を思い起こした。長い時間をかけ、知らず知らずに張力を強めていった僕らの間で、たくましかったはずの絆は少しずつ千切れてジリジリと毛羽立ち、とうとう細い繊維が数本つながっているだけになった。この数年はそれもついには耐え切れなくなり、最後はブチブチと一気に切れた。
どちらが悪いとかはおそらくないが、固い絆が切れた二人というのは、「ちょっともう、こいつが何を言ってるのか分からない」そう感じるのだと知った。僕はこの数年で、さっぱりあいつのことが理解できなくなった。最後にした喧嘩は去年だ。怒る僕の前であいつは苦笑いをして、「そんなこと言われても困るけど」とだけ言った。僕はハハハと言った。笑いが絶えない二人だったけど、それは苦笑いになった。
友達というのは「事情が合うか、価値観が合うか、志が合うか、気が合うか」だと僕は思っているけれど、この数年で僕らを取り囲む事情はまったく異なるものになり、相手の価値観に首をかしげることが増え、志はすっかり違う方向を向いて、とうとう気も合わなくなったのだと思う。こんな日がくるとは思わなかった。
まだあいつにゲイだと言っていなかった頃、二人で映画『ブロークバック・マウンテン』を見たことがある。夏の真夜中の暗い部屋で、無造作に敷かれた布団に並んで座り、僕らはそれを泣きながら観た。エンドロールが流れ始めた時、汗と涙でドロドロになった僕らは布団に倒れ込み、しばらく泣き続けた。僕の涙は鬱屈した一人のゲイの少年としてのものだったけど、あいつの涙は何だったのだろう、と今でもたまに思う。あの涙を辿った先の悲しみに自分は何かできたのか。それは分からないけど、こいつなら僕の痛みを分かってくれるのだ、あの時そう思った。それだけで僕は生きていける。そう真面目に思った。
だけど時が流れて「こいつ何言ってんだ」と、今思っている。あいつも僕に思ってる。無情なことだなと思う。あれから数々の事情が僕らに覆いかぶさってきたし、価値観を揺さぶられる感動的な出来事も、悲劇的な事件もあった。たとえば僕は今、ゲイでよかったと心の底から思うようになったけど、あいつは今何に喜びを感じているのだろう。それすら分からない。僕にとって、どちらも想像だにしなかった事態だ。
歳を取り、強固に育った価値観が、僕らの柔軟性を奪っていったのだろうか。人は自ら生み出した価値観に自ら呪われて、メリット・デメリットにうるさい生き物になっていく。「それってメリットあるの?」そんなことばかり腹の底で考えるのを、僕はやめられなくなった。コラムニストのジェーン・スーさんが「いつかそのまま、店内の空調ひとつにもうるさい女になる」と言っていてギョッとしたけど、僕らはそんな未来に向かってまっすぐ歩いているのかもしれない。
だけど先日、知り合いのかっこいいじいさんが「最後は、気が合うかどうかだよ」と言っていたんだ。価値観はそんな簡単に重なるものじゃないからと。互いの事情は互いにすっかり受け入れた日がくるからと。だからもっと簡単でいいんだよと、そう言っていた。じいさんは、友達とK-POPばかり聴いてる。だから僕らもまたいつか映画を観て、次の日のことも気にせず、だらしなく深夜に泣ける日がくればいいだけなのかもしれない。「気が合う」というのは「同じ映画を観て泣く」、きっとそれ程度のことだ。だからその日が来るまで、このややこしき成人の日々を、お互い乗り越えられたならいい。スロットの目が揃うのをじっと待つように、二人が泣ける映画を見つければいい。