『もうひとつの地球の歩き方』という舞台を観た。劇作家・演出家の鴻上尚史さんが主宰する『虚構の劇団』による公演で、人工知能がテーマに据えられている。江戸初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆である「島原の乱」(1637〜38年)の総大将の天草四郎が人工知能で現代に蘇るというストーリーだ。
幕府軍を相手に戦った一揆の総大将が、カリスマ性を備えた16歳の少年で容姿も端麗。はたまた魔術の使い手で豊臣秀頼の落胤という噂まであるミステリアスな人物。天草四郎はテクノロジーによっては仮想しがいのある対象だ。劇中の試みを実現しようとした場合、入手し得る歴史上のデータをもとに人工知能を開発することになるので、基本的には史実の範疇の人物像に収まることになるだろう。人工知能をもってしても、現在に残されている情報以上の天草四郎を再現することは困難であるが、「仮想天草四郎」が時空を超えて再現されることで、彼自身及び周囲との相関において拡張と変容の余地を伴う。
たとえば、「仮想天草四郎」が現代日本の大企業の社長になったら、どのような経営を行い会社はどうなるのか。発展途上国の首脳になったら、どのような政治を行い国はどうなるのか。「仮想天草四郎」は与えられた環境の中で多くのことを自律的に学習し、「現実天草四郎」とは違う人物と化す可能性もある。
2015年11月、ロシアの人工知能企業『Luka Inc.』の共同創立者兼最高経営責任者であるユージニア・クダは、親友のローマン・マズレンコを突然の事故で失う。それから3か月後、クダは人工知能を活用した自動会話プログラムで彼を死から蘇らせた。
写真、記事、SNSのメッセージ等のデジタル記録を人工知能に叩き込み、亡き親友のチャットボットをつくり上げたのだ。彼をよく知る人は、驚くほど本人の会話と似ていると評す。精神的な癒しにつながると感じる人がいる一方で、不自然で不気味だと感じる人もいたようだ。
母親は「テクノロジーによる再生を幸運に思い、息子についてさらに知ることができた気がする」と語り、父親は「ほとんどの場合は息子のような返事をするが、間違った返事をした時に、息子が本当はいないという現実を思い知らされて辛い」と複雑な心境を吐露する。このプログラムを、自律成長する類いの人工知能に置き換えたとすればどうだろう。「仮想ローマン・マズレンコ」は「現実ローマン・マズレンコ」に近づき、生存しているかのように進化をする。その時、両親や友人は彼とどのように付き合い、過ごすことになるのだろうか。グーグルは、ロボットに特定の性格などを植え付けられるシステムの米国特許を取得しているが、これを活用すれば故人の性格をロボットで再現できる。クラウドから人格のデータをダウンロードし、亡くなった親族やお気に入りの著名人の性格を持つロボットをそばに置く社会を実現しようとしている。最愛の人や興味の対象を人工知能で再現する人間の欲は、倫理観や感情を揺さぶりながらも、簡単には歩みを止めないだろう。
仮想と現実は交錯を繰り返し、時に脳内で一体化する。人間の脳が仮想を現実と認識する事態に至れば、実際にはない事物だと切り捨て難くなる。バーチャルリアリティの技術は仮想を限りなく現実にすることを目指しているし、脳内で現実と受け止めたものを「それは仮想だから」と冷やかしたところで脳の勝手である。
舞台もまた、没頭の末に脳を占拠されている間は、ある種の仮想現実である。強固であるはずの仮想と現実の境界線は、思いのほか脆弱だ。脆弱ついでに、もうひとつの「仮想地球」を創造して歩きながら「現実地球」について考えてみる。そんな時、何げない呼吸ひとつを貴く思えるのは、ここが結局は現実だからだろうか。