まちを歩けば、ふとした場所でラーメンの暖簾が目に入る。腹を満たすための大衆食であったラーメンは、今や日本人の食シーンになくてはならないものである。
まずはラーメンが大衆食として広まった経緯である。明治維新を境に世界中の食文化が流入し、日本中に麺料理が提供される土壌が広がった。さらに第2次世界大戦後、中国人や台湾人も流入し、ラーメン作りを伝承した。ラーメンは体力をつける労働者の食べ物として人気が広がったといわれる。

では、ラーメンの語源はなんであろうか。日本初のラーメンは1697年に水戸黄門が食べたという説があるが、これはうどんであったともいわれ、今では1488年の資料にある「経帯麺」が日本初のラーメンという説が有力だ。包丁を使わずに手だけで捏ねたり、引っ張ったりして細く延ばしていく「拉麺(ラアミエヌ)」や「老麺(ラオミエヌ)」「柳麺(リユミエヌ)」などとも呼ばれ、これがラーメンの語源ではないかといわれている。

一方で、当時の中華街(南京街)の中国料理店にある麺料理が「南京そば」と呼ばれ、いつしか中国を表す支那を冠した「支那そば」と呼ばれるようになり、中国の麺とスープに日本の蕎麦のかえしで調味したことより「中華そば」という名称となり、遂には「ラーメン」に辿り着いたという流れもある。
第1次ラーメンブームともいわれる1910年頃の横浜中華街では、どこからともなく「ラーメン」といわれ、浅草『来々軒』には堂々と「ラーメン」とメニュー札が掲げられていたという。また1922年頃の北海道『竹家食堂』では、中国人コックの「好了(ハオラー)」という声の、とりわけ「ラー」にアクセントがあることを発端に「ラーメン」と思いついた。麺の作り方を意味する「拉麺」を漢字にもあてることで、初めて「ラーメン」の名前ができたという説もある。
そして全国のご当地ラーメンが派生的に生まれたこの時代、「ラーメン」という名称は日本各地で自然発生したという説もある。もともと日本には蕎麦やうどんなど麺食習慣があり、ラーメンはどこで発生してもおかしくない土壌があった。ラーメンの正確な語源は未だ定かではないが、このロマンこそがラーメンを美和的な食べ物にしてくれているのではないだろうか。