息子の成長と家族時間の変化──台湾再訪を決めた理由
僕が思っているローカルには2種類あって、もう一種類をどう盛り上げていくかが大事だという話をしたいと思います。それは家族旅行で台湾に行ったこととも関わってくるので、そのときの経験を含めて話しますね。
昨年2024年は、高雄の若い皆さんにご招待いただいて、まちづくりや関係人口、二拠点生活などをテーマに講演をさせていただいたこともあって、「台湾っていいな」と強く感じるとともに、僕の中でとても思い入れのある地域にさらになりました。
そこで今年2025年の3月に、妻と息子と再び台湾を訪れることにしたのです。家族3人で一緒に旅行ができるタイミングも頻繁ではなくなってきていたのもありました。その理由は僕が二拠点生活を送っているからではなく、息子が成長するに伴って友達と遊ぶ機会が増えたり、テニスに邁進していたり、バンドを結成して練習やその成果をライブでお披露目するという時間を過ごしたりしているので、3人で過ごす日が以前よりも減ってきているのです。
おそらく高校1年生になると、息子はますます友達や、自身の活動に重きを置いていったりするのであれば、今のうちに家族で記念に残るような旅行をしてみたいなって、息子が春休みに入るタイミングで考え、妻と相談して旅行に行くことにしたのです。
僕は九州のあるエリアに行きたいなと思っていたのですが、妻は僕が台湾の高雄に行ったことを楽しそうに話したり、SNSに投稿したりしているのを見ていたのもあってか、「台湾もいいかも」って話になったのです。限りなく2泊2日に近い2泊3日ぐらいなら僕のスケジュールも取れそうだったので、「じゃあ、台湾行こうか。前回は高雄に行ったので台北に行ってみよう」と、息子の海外旅行への慣らしみたいな目的もあって台北に行くことにしました。
家族旅行なので安い宿やLCCを探してみたところ、かなりリーズナブルなパックツアーが見つかったので、ホテルがどこになるかもその時点ではわからなかったんですけど、一か八かでそのパックツアーを予約することにしました。実際、そのパックツアーではすごくいいLCCに乗れ、宿泊先のホテルも快適でした。
LCCで学んだ「プロのコメント」と機内誌の新しい価値
実は僕はLCCに乗るのはこの旅行が初めてだったんです。ローコストキャリアの仕組みはよくわかっていましたし、ローコストキャリアが乗り入れることで若い世代の人たちがその地域にやってくるという効力も知ってはいました。僕たちは明け方の空港を飛び立つLCCに乗りましたが、春休みということもあったのでしょう、ものすごい数の若い人たちが楽しそうに機内に乗り込んできました。大勢の人たちがLCCを利用して旅行をしていることがよくわかりました。
その飛行機に乗って、感銘を受けたことがあります。機材の設備についてはできるだけコストを削減しようとしているからでしょうか、座席には液晶モニターがついていませんでした。だから、救命胴衣の着け方もモニターで行うのではなく、客室乗務員の方が通路に立ってされているのも久々に見て、新鮮でした。
もう1つは、全部で数ページの機内誌があったのですが、開けてみると最初のページに機内における気構えみたいなことが書いてあるのです。どういうことかというと、この機内にはWi-Fiは飛んでいません、モニターもありません、向き合えるのはこの紙のメディアだけですと書いてあり、さらに、皆さんはスマートフォンを用意してメモ機能を使って、この特集を読んだ後に自分がどう思ったのかをメモしましょう。それが自分と旅の間に行われる対話ですみたいなことも書いてあって、すごいなと感心しました。
確かに、昔は飛行機の機内誌って数十万部も発行するものでしたが、それはWi-Fiという環境や映像のコンテンツがない時代だったからこそ成しえたもの。今もそれらのない時間をLCCの中で過ごせるのであれば、そういう受動的な仕組みの知覚の刺激ではなく、読むとか見るとか聞くみたいな能動的な形で頭によぎった思いをメモしたりするのは悪くない時間の使い方だと思いました。
さて、この後、台北の話をするんですけど、先に帰りの飛行機の話をしますね。帰りの飛行機が本来だったら夕方の6時に台北の台湾桃園国際空港を出発するはずだったのですが、なんと5時間遅れという表示が出ていたのです。5時間は結構長かったです。結局、神戸の家に帰ってきたのは朝の3時か4時くらいになりましたが、その日はどうしても午前中の会議に間に合うように東京に戻らないといけなかったので、7時くらいの新幹線に乗って、S Work車両でオンライン会議をしながら対面の会議に間に合うように急いで移動するという慌ただしい朝を過ごすことになりました。
ただ、その機材が5時間遅れたということで、LCCの客室乗務員はすごくていねいに、「機材繰りが難しかったため、皆様にはご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした」と真摯な姿勢で謝罪を述べていました。ただ、その次に言った言葉に僕は驚かされたのです。「そのため、本来予定していた機材よりももっと広い機材が用意できましたので、快適な空の旅をお楽しみいただけたかと思います」と。5時間も遅れているのに、快適な空の旅をと。
それを聞いたとき僕は、「プロだな」と思いました。要は、謝るところは謝って、でもその結果、功を奏した部分もあり、それを乗客にサービスの一つとして提供できたことをちゃんと伝える姿勢っていうのは悪くないなと。隣に座っていた息子に、「今のアナウンス、聞いたか。これがプロのコメントだよ」と言いました。
謝ることも大事だけど、結果的に良かったこともあったのならそれを伝えられる航空会社は、立ち位置が乗客とニヤリーイコールで、乗っていてもすごくカジュアルな気分になれていいなと思ったのです。乗客の中には5時間待ちで疲労困憊している方もいたでしょうけれど、誰も怒鳴ったり、クレームを言ったりしないで、「大変だったね、みんな」みたいな感じで日本の飛行場に着陸したのです。「やっぱり言葉というのは大事だな」と再認識しながら、飛行機を降りる準備をする僕でした。
そして、これで終わりではなかったのです。このLCCはとてもユニークで、次のコメントは男性の客室乗務員で、台湾の人かな、優しさにあふれた日本語で、これよく許されているなくらいに思える言葉を発したのです。「台湾のお土産のパイナップルケーキなどをよくお忘れになる方がいらっしゃいますが、そうすると全部僕の胃袋に入っちゃいますから、お忘れにならないように。なんて、それは冗談です」みたいなことを言ったので、思わず笑いながら、昔あった飛行機での出来事を思い出しました。
僕は新婚旅行でパプアニューギニアを訪れたのですが、首都のポートモレスビーからニューギニア航空かPNGエアかな、国内の航空会社の飛行機を予約していて、フライ川という川の中州にある集落の村長のお宅にヴィレッジステイするという予定を組んでいました。ところが、予約をしていた飛行機が天候条件などの理由からか、その日に飛ばないことがわかったのです。
20年以上前はパプアニューギニアではそういうことが少なくなかったようです。当時はスマートフォンもないので、僕も妻も朝から空港に足を運んで、フライトの有無を確認しなければなりませんでした。初日は駄目で、日本の地方空港のような小さな空港のカウンターの係員に「明日また来てくれ」と言われました。仕方なく、その日はホテルへ戻り、また翌朝行ったら、「今日も飛ばない」と言われ、3日目にようやく時間がずれて飛ぶことになりました。
僕たちは村長のいる中洲の島に行くことができ、しばらくそこで滞在し、楽しい時間を過ごしました。そして、帰りは夕方から夜の便に乗りました。20人乗りくらいの双発機みたいな機材で、パイロットは女性の方でした。僕らの座席は前のほうだったので、操縦室はすぐ目の前。ドアを閉めて、飛行機は飛び立ちましたが、しばらくしたら、操縦室のドアがバーンと開いて、女性パイロットが、「見て、見て。月がとても綺麗よ!」と言って、乗客に教えてくれたのです。確かに、綺麗な満月が窓から見えたんですけど、その間、パイロットは操縦してなかったように見えました。「大丈夫なのかな」と思いながら月を見たり、心配げに操縦室に目をやったりしていたんですけど、パイナップルケーキの冗談はそれ以来の衝撃でした。
行列をスキップするQRコード──パックツアーで知った台北グルメの裏技
台湾の話に戻ります、台湾旅行は2泊2日ぐらいだったからノープランで行ったんです。おいしいものを食べようということになり、鼎泰豐(ディンタイフォン)の新生店に行くことにしました。ディンタイフォンは小籠包で有名で、日本にも支店がいっぱいあるんですけど、ディンタイフォンの本店から近いお店で、中で食事ができるところに行こうってなったんです。
ただ、ディンタイフォンは人気店なのですごい行列になると聞いていました。行列で待つのがデフォルトなんですけど、そのとき、ツアーに1人ついてくれている日本語が堪能な女性ガイドの方が、「もしディンタイフォンに行くんだったら、おすすめのコースがあります」と言うのです。「何ですか?」と尋ねたら、「ここでそれを注文しておくと、お店で並ばないですみますよ。ユニバーサルスタジオやディズニーランドにある特別会員が持てるエクスプレスパスみたいな、アトラクションの行列に並ばないですむ、ああいう扱いになるので」と言われ、ほんとかなと話半分に聞いていたんだけど、一応買っておいた方がいいんじゃないかと、その場で買って、QRコードをもらったんです。
そうして、妻と息子とホテルから30分くらい歩いていくと、途中、台北で盛んにつくられているリノベーションされた建物や、おしゃれなマルシェや新宿御苑で開催していたロハスデザイン大賞のようなああいうのどかな雰囲気のイベントがいっぱい行われていて、それを見ながらディンタイフォンへ向かいました。
お店に着いたら、やはり長い行列ができていました。「やっぱり並んでるな」と思って、僕なんかボロボロのTシャツにヨレヨレの長袖シャツを羽織っていたので、どう見ても富裕層に見えない家族づれ、まあ元々富裕層じゃないのでいつもの感じで並んでニコニコしてたら、すごいきちっとした身なりのスタッフが「そっちに並ばないで、こっちの列に並んでください」みたいなことを英語で言われ、僕も息子もやっぱり駄目かなみたいに話したんですけど、僕がQRコードを見せたらその途端、急にスタッフの態度が変わって、「すぐお通しします」と言われ、1分も待たないうちに店内へ案内されました。息子は「おとう、このQRコードマジすげえな」と驚いていました。
僕はどちらかというと旅行をするときにパッケージツアーに乗らないタイプで、1人で思うままにどこでも行くタイプなんですが、このときは、たまには旅行雑誌を見たり、旅行会社を訪ねたりして、リーズナブルなツアーに参加してみようと考えて、そうしたのです。
そしたら、旅行会社の添乗員が空港で待ってくれていて、台北のまちに入るまで空港から1時間ほど、2階建てのダブルデッカーのバスの中、僕ら以外にもそのツアーに参加した人たちが20人くらいいたんじゃないかな、その人たちに台北での過ごし方やおすすめのお店はここみたいに教えてくれたりしていました。
ツアーって、あるアライアンスの中で回すじゃないですか、経済を。バス会社とレストランとホテルが一緒に組んでいるから安くなりますよ、みたいな。お金を替える両替所も連携しているのかな、そういうところに連れて行ってもらって、レートはそんなに怪しくないですからみたいな前置きがあって、そこでお金を替えました。
一つのツアーの中に全部が組み込まれていて、終日フリーなんだけど、行きだけはそういう説明とおそらく連携している施設にもメリットがあるようにしているんじゃないでしょうか。そういうのが好きな人や、初めて台北に行く人なら全然いいと思います。1人で自分だけの台北を見つけたいみたいなタイプの人は最初から自分で計画して行った方が楽しいかもしれませんが、今回は家族旅行だし、なるべく安く行ってみたかったので、パックツアーに申し込みました。ちょっと新鮮で楽しかったです。
で、ダブルデッカーでアライアンスの施設を紹介してくれていた中で、食事をするならディンタイフォンがおすすめで、他にも小籠包のおすすめのお店はこことか、もらったリーフレットを見ながら説明を聞いていると、「ディンタイフォンは必ずといっていいほど行列になるから、このQRコードを買っておけば並ばずにすみますよ」と言われ、買ったわけです。なので、皆さんも台北に行ってディンタイフォンで食べるときは、そのエクスプレスチケットを買っておくと早いと思います。
しかも小籠包、めちゃめちゃおいしかったです。20年前に台湾の玉山(ユイシャン)に登ったときも台北にしばらく滞在して、オーダーメイドのシャツをつくったりしたんです。自分が着たいっていうよりも、「台北に行くんですけど、何がいちばん面白いでしょうか?」と名編集者の松山猛さんに尋ねたところ、「シャツつくったらいいよ。上手だし、安いし」と教えられたのでつくったのです。確かに、何枚かつくってもらったんですけど、いい仕上がり具合でした。そんな滞在の中で、晩御飯にカメラマンさんとディンタイフォンに行きました。当時は並ばなくても入れて、2人で小籠包と紹興酒を注文してすごい食べたり飲んだりしました。楽しい思い出です。
急場しのぎで買ったパーカーに宿る「表情」とサステナビリティ
そんな台北を旅するのは久しぶりで、さっそく中山というまちの近くをぶらぶらと歩きました。夜10時を過ぎてもまちが賑やかで、若い人たちも大勢繰り出していて、TSUTAYAがお手本にしたというおしゃれな誠品(チェンピン)生活があったりして、まるで原宿みたいな感じでした。ユニクロもあって、日本じゃないけど日本を感じるし、過去も感じるけど未来も感じるみたいな、そんな台湾の雰囲気が僕は変わらず好きで、心地よくまちを散策しました。
ただ、3月も下旬だから日本の5月くらいの暖かさだろうとたかを括って、Tシャツの上に薄手のシャツを羽織って歩いていたら意外と寒くて、着替えもそんなに用意していかなかったので、上着を買うことにしました。少し歩いて戻ってユニクロに入り、いちばんリーズナブルなUVのパーカーを買いました。パーカーはその後、台北のまちをぶらぶら歩いたりするときも、魚釣りをするときもずっと着ていて、今、日本の家に持ち帰ってきていますが肌寒い日には着たりして、とても愛着が湧いてきているのです。
何が言いたいかというと、「これを買いたいぞ」と思って買いに行くものよりも、急場をしのぐために買ったもののほうが僕の身の回りの中では長持ちして置いてあるものが多いということ。たとえば、東北へ行ったとき、スマートフォンの充電コードの接触が悪くなったので、慌てて量販店に飛び込んで充電器を買ったのですが、それを車の中で使って充電しているとなぜか大きい魚が釣れたりするので、愛着もひとしおになったりしています。
そんなにデザインがかっこいいわけじゃないんですけど、そういうもののほうが生活の中で自分に近い存在になっていくのが面白くて、旅に出かけたときも思い出として何かを買うというよりも、旅行中の日常を支えてくれるものとして買ったもののほうが、それがたとえ量販品で売っているアノニマスなものであっても、それに表情がつくことが面白いと思ったんです。
ユニクロはもうデザインとか哲学からして僕は尊敬してるんですけど、改めて台北の中山のユニクロでそのUVのパーカーを買って、それを息子や妻と台北のまちなかを歩くときにずっと着ていたっていうことが表情なんです。「どこで買っても同じものでしょ」ってよく言われますが、同じじゃないんですね。ものに表情がつくことで、ものって長持ちするんだろうなって、そのパーカーを買って気づいたんです。
仕事柄、サステナビリティを語る側に回ることが多いんですけど、どういうことがサステナビリティかっていうと、たぶん表情をつけることなのかなと思うようになりました。1日に表情をつけるとか、ものに表情をつけるみたいなことはすごく大事で、そのときにあった出来事を思い返すとしみじみとするとか、ちょっと笑みが浮かぶとか、そのパーカーも僕の手を離れることなくたぶんこれからもずっとうちにあるんじゃないのかなと思います。
急場をしのぐために買ったもののほうが表情がつくのがなぜかというと、急場って思い出に残ることばかりだから。突然すごい雨が降ってきて、仕方がないからコンビニに入って折りたたみの傘を買ったとか。その出来事が、その1日の印象とともに表情を持つことになって、そうするとその傘が手放せなくなったりもするんですよ。いいものとか悪いものとかじゃなくて、急場をしのぐというか、そのときに出番があるとそこに表情が生まれるという。それは、サステナビリティな暮らしにとって大事なことかもしれませんね。
夜市で生まれた「ミッドナイトローカル」。「さわやかローカル」の先にある、もう一つの地域づくり
そんなふうに、僕は台湾の気候を見誤って寒かったんですけど、そのパーカーを手に入れたので俄然、夜のまちを出歩く体制が整ったのです。僕らは夜市に行きました。夜市の名前は寧夏夜市。ホテルからも近くまちなかにあって、日本では食べられないものを買ってみたりしながら楽しい夜を過ごしているとき、僕のなかで「ミッドナイトローカル」っていう言葉が生まれたんです。
考えてみると、たとえば地域の公園を活用するとか、休日の昼間にマルシェを開くとか、美しい芝生と樹木と青空にはためくフラッグみたいな理想的なまちづくりやコミュニティづくりといったことは『ソトコト』で取材をしてきました。確かにそれは美しいし、健全だし、老若男女が集まりやすく、多様性という言葉を含めやすい光景ですから、僕はそれを「さわやかローカル」と呼ぶことにしています。
さわやかローカルは先行していて、まちに彩りを与えてくれている一方で、ミッドナイトローカルはまだこれからだと思っています。ミッドナイトローカルは、どちらかというとアイコンがやんちゃな、たとえばテキーラが好きとか、ロックが好きとか、夜のまちのザラザラした感じが好きな男子が、「俺たちのまち、やばくね」みたいなことを言い出して、「ちょっと、盛り上げようぜ」みたいなノリで始まっていく、夜を基調にしたまちづくりが行われるような地域のこと。ミッドナイトローカルとさわやかローカルが月と太陽みたいな関係になると、地域にはもっと違うタイプの人もまちづくりやプレイスメイキングに参加するようになるんじゃないでしょうか。
僕はどちらかというと釣り人としての割合が大きいので朝型なんですけど、夜型の文化も大好きです。ミッドナイトローカルっていう言葉の響きもいいですよね。ナイトタイムエコノミーを広げていくためにも、ミッドナイトローカルを提唱していきたいなと思っています。
たとえば手塚治虫の異色作『ミッドナイト』(手塚プロダクション)。ミッドナイトっていう名前の男性の主人公はタクシーの運転手で、夜になると現れて、夜のまちに生きる人々の人生劇場を語り部となって語りながら展開していく漫画です。彼は、自分の好きな彼女を自身のやんちゃな運転で起こした事故の巻き添えにしてしまって、脳死状態に陥らせてしまったのです。生きているけど死んでいるみたいな状態が続き、その手術費用を稼ぐために相棒である改造タクシーに乗り、盛り場を流してお客さんを運ぶ仕事をしています。
手塚治虫さんっぽい設定だと思うのですが、ミッドナイトローカルのミッドナイトはこの漫画にも影響されています。あるいは、1980年代に活躍したロックバンド、THE STREET SLIDERSの「Boys Jump The Midnight」にも影響を受けています。まちで言うと、福生とか夜が元気なカルチャーエリアのイメージでしょうか。
最近、みんな夜が早くなっているから、そういった夜のカルチャーを広げていくのも面白いんじゃないかなと台北を旅して思いました。台湾はご存知のように沖縄よりも南に位置し、基本的には熱い気候なので、台湾の皆さんは夜型が多いようです。大体、夕方ぐらいからみんな元気に動き回り始めて、朝はそこまで早くありません。日本もこれだけ暑くなってくると、たぶん夜型の人が増えていく可能性があるし、台湾の夜市は子どもたちも遊んでいますから、老若男女が集うような夜型カルチャーをつくるのは悪くないかなって思っています。
冒頭に言った2種類のローカルとは、さわやかローカルとミッドナイトローカルのことですが、これに連なる感じでもう1つ、「アーリーモーニングローカル」があってもいいんじゃないでしょうか。日本人は特にそうですが、家でご飯を食べるっていうことを結構大事にするじゃないですか。家庭でご飯を食べる。それはそれで悪くないんですけど、なんかアンコンシャスバイアスがかかっていて、結局、お母さんと呼ばれる女性の側が家事をやったり、料理をつくったり、朝もお弁当を用意したりしているようで、これまでほどの圧倒的な均衡の破綻ではないけど、今でもやっぱり女性が朝の家事をつくるとか、晩御飯をつくるってことが結構多いんだろうなっていうふうに思うんです。
一方で、たとえばベトナムや台湾もそうですが、朝は屋台の台湾おにぎりを食べるとか、ビーフンを食べるとか、朝と夜は家族で屋台で食べる外食文化が進んでいます。大家族の場合は食材をいっぱい買い込んでそれを料理して7人、8人で食べればリーズナブルだと思うんですけど、僕は4年目に入っている二拠点生活で気がついたのですが、1人で晩御飯をつくるとものすごいコスト高なんですよ。これならおそらくコンビニのお弁当とか、スーパーのお惣菜を買って食べる方が経済的な気がします。
そうなると、大家族という生活スタイルがメインではなくなっている時代に、家でご飯を食べることの経済的なメリットというのは揺らいでくるんじゃないのかなって感じているところです。もちろんそれは台湾の屋台のような外食文化があればという前提ですけど。1杯180円とか、あるいは300円でお腹や心が温まるものが食べられたら、育児をしている女性も仕事に忙しい男性も、朝晩の食事を準備することに時間を割かなくてもよくなるんじゃないかなと思ったりもします。それも、ミッドナイトローカルからアーリーモーニングローカルへのシームレスなカルチャーです。
前橋の朝食店が示すホスト街との共生モデル
アーリーモーニングローカルをプレスメイキングの話に繋げていくと、たとえば、群馬県の前橋市。動いてるまちはどんどん動いていて、前橋もそうで、「『オン・ザ・ロード 二拠点思考』指出一正全国セミナーツアー」で訪れたときにマチスタントの田中隆太さんに案内してもらいました。連れて行ってもらったところは、朝7時から和定食が食べられる『円(まどか)』というお店。朝は和定食、夜は和食とお酒を提供しています。保育園の調理師をしていた女性が夢を実現してオープンさせたそうで、「朝の需要はどうですか?」って聞いたら、「あるんですよ、指出さん。見てください」と言って目の前の街路を指し示してくれました。元々は定食屋さんだったところをリノベーションしたそのお店の真正面に通りがあるのですが、実はそこはホストクラブなどが並ぶ夜の繁華街なんです。
「つまり、夜勤明けの人たちが朝ご飯を食べに来れる動線になってるんですよ」と田中さん。なるほど。夜の仕事で、ついつい偏った食生活をしている人も多かったりするかもしれないから、仕事の終わりにここで健康なものを食べていくみたいなことも考えてつくられているそうで、それがすごく評判らしいんです。もちろん、ホスト以外のお客さんも大勢おられます。これもミッドナイトローカルじゃないかと僕は思いました。
ただやんちゃなだけとか、騒がしいだけじゃなくて、人が生活するなかで負担がかかっている部分をどう救おうかとか、どうサポートしようかみたいな視点で夜に注目しているのであれば、同じ視点で朝を捉えてもいいんじゃないかなって。ミッドナイトローカルを広げていく方法はこれからも考えていきたいですね。
2023年にクリエイターで参加させてもらった、神戸市の元町高架下を舞台にした「モトコーミュージアム」もそうだし、そこでイベント的に開催した「モトコーガード下酒場」も、あるいは「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館」っていう奈良県庁の芸術祭でキュレーターを務めたときに出店した「スナックミルキー」と「スナックよしの」と「スナックソニー」という3つのスナックをつくりましたが、そういうのもミッドナイトローカル。僕の中で、割とミッドナイトローカルも自分の手法っていうんでしょうか、プレイスメイキングの手法として大事にしたいなと考えています。
『頭文字D』が映し出す本当の日本のマジョリティ
もう一つ。ミッドナイトローカル絡みで話すと、僕の出身の群馬県高崎市に榛名山という自分のホームマウンテンみたいに感じている秀麗な山があって、その山上にある榛名湖にもよく遊びに行ったんですけど、ここを舞台にした『頭文字D』(講談社)っていうしげの秀一さんが描いた漫画があります。榛名山ではなく秋名山という名前で登場するのですが、いわゆる「走り屋」と呼ばれ、公道最速を目指す車愛にあふれる若者たちの物語です。
登場する車は主人公の藤原拓海が乗るトヨタのスプリンタートレノ・AE86型、通称ハチロクだったり、マツダRX-7のFCやFD、日産スカイラインGT-Rなど、ちょっと背伸びをすれば若者がローンを組んで買える国産車ばっかりなんですね。これ、たとえばフェラーリとかランボルギーニを登場させればもっと盛り上がるんじゃないかみたいなことを言う人がいるかもしれませんが、たぶん盛り上がらないでしょう。国産車だからこそ盛り上がるんです。
僕はリアルタイムで少し読んでいましたが、思い切って全巻を中古で買って、一気に読み通しました。そこで気づいたのは、これが本当の日本ではないかということ。僕は東京と神戸で暮らしていて、どちらも電車や地下鉄、バスが走っていて、どこへ移動するにも公共交通を利用できるとても便利な環境なのですが、東京や神戸のような都会ではない日本の多くの地域の移動手段といえば、車なんですよね。どちらかというと、電車よりも車を移動手段にして生活している人たちのほうが多いんじゃないのかな。
『頭文字D』は30年前に連載が始まった漫画で、カップルもファミレスでデートしたりしてるんですよ。今ならこじゃれたカフェや、ウェーブの来ているご飯屋さんに当たり前のように行ったりするだろうけど、本当のローカルっていうかマジョリティってどっちなんだろうって、群馬出身の僕は改めて疑問に思ったりするのです。東京は本当のマジョリティじゃないのかもって。
特に神戸に住んでいたり、日本の各地にお招きいただいてお話をさせてもらったりしていると、どちらかというと『頭文字D』の世界観のほうが実は変わってないんじゃないのかな。夜、みんなで峠に集まって、缶コーヒーなんかを飲みながら、未来の話よりも目の前にある漠然とした悩みみたいなものを喋ってるシチュエーションは等身大だし、僕にも当てはまるし、世の中変えるぞっていうイノベーションの世界が注目されがちですけど、その世界観のほうがおそらくマイノリティなんだろうなということは常に頭に置いておかないと独りよがりになっちゃうんじゃないのかなって。
交通が便利な都会に長く暮らしていると、それが当たり前になってしまったり、イノベーションの世界に身を置いていると自分が属するコミュニティやクラスターのなかで共有している価値観が世界中でも同じだろうという錯覚に陥ったりしがちですが、そうじゃないんだってことは、たとえば台湾に行っても日本の感じもあるけど台湾の感じだし、でもなんか未来の感じだし、過去の感じだしみたいな。
そんな多様な見方や感じ方ができるようになるためには、勉強的に使われがちだけど越境という言葉、暮らしのなかで場所や立場を越境するという経験はしたほうがいいんじゃないのかなと改めて『頭文字D』を全巻読んだ後に感じつつ、僕もハチロクがほしいなと思ったりするのでした。
ガリガリくんに学ぶ「くだらないことを絶対に成し遂げる」精神
もう1冊、本の話を。これです、『ガリガリくんの秘密 赤城乳業・躍進を支える「言える化」』(日本経済新聞出版)。群馬県高崎市で荻原貴男さんが経営する『REBEL BOOKS』でトークセッションをさせてもらったのですが、そのときに本棚で見つけた素敵な本を何冊か買いました。その1冊です。僕は1981年のデビューの頃からガリガリくんを知っています。中学生でした。この本はビジネス本ですけど、僕はガリガリくんの初期のあのキャラクターがすごいリアルでちょっと怖い頃から知ってるので、本に書かれているガリガリくんの躍進ぶりをとても興味深く読めました。
ガリガリくんって、今はコンビニで買える人気のアイスです。これ、2013年発行の本ですが、年間の販売総数が4億3000万本と書かれています。驚異的な数ですよね。この驚異的な数の達成に僕も息子も関与しているというのがなんか面白く感じたし、赤城乳業はビジネスかもしれないけれど、大きなローカルプロジェクトだなと思いました。
赤城乳業ってユニークな会社で、強くて小さい「強小カンパニー」とうたっていて、くだらないことを絶対に成し遂げるという変わった社風があります。みうらじゅんさんとかの世界に似てるんですが、僕は1990年代の頭に『Outdoor』っていう雑誌の編集部にいたときに、埼玉県深谷市にある『工房西岡』っていうウッドクラフトの第一人者の西岡忠司さんの連載を担当していたんです。西岡さんは美しく優しいデザインで、世代を超えて愛される木工品をつくられる方で、毎月工房にお邪魔していました。
同じく深谷市に本拠地を置く赤城乳業の幹部の方と西岡さんはお互いによく知っていたようで、ある日、赤城乳業の企画のトップの方が遊びに来られて、「こちらは編集部の指出さん」って西岡さんが紹介してくださったら、「『Outdoor』、よく知ってますよ。いい雑誌ですよね」みたいな会話から盛り上がっていって、近しくさせてもらっていたんですけど、あるとき、その方が「新しいアイスができたんでお土産に持ってきました」ってアイスを持ってきてくれたんです。
深谷といえば、暑くて有名な熊谷の隣のまちで、その日も39度とかの猛暑日だった気がします。保冷バッグを開けてアイスを取り出してくれたら、パッケージに「イクラ丼アイス」って書いてあったのです(現在は販売終了)。開けると、白飯をイメージしたバニラアイスの上に、つぶつぶのイクラを模したオレンジゼリーがのっかっていました。「この会社、凄すぎる」って感心しながらいただきました。
こんなアイスを開発するなんて、社員が目一杯遊ばないとお客様に対して失礼だっていうマインドがあるからこそでしょうけれど、僕の中では赤城乳業の独特なキャラクターを「イクラ丼アイス」を見たときに感じ取りました。僕が『ソトコト』をつくる中で、「『ソトコト』は真面目であってほしい」って外の人が言ったり、中のメンバーたちも「『ソトコト』は真面目でないと」って言い続けて20年以上が経ってるんですけど、最初は結構ハチャメチャな雑誌だったんで、またその頃のハチャメチャに戻りたいなって気持ちも『ガリガリくんの秘密』を読んで沸々と湧いてきました。
ちなみに、台湾でもガリガリくんが売っていました。でも、台湾の氷菓子もたくさんあったので、台湾の氷菓子を食べました。寧夏夜市では、僕はオーギョーチーが好きなので、本場のオーギョーチーを食べました。ツルンとしてのどごしもいいし、華やかな気分になれて、とても満足しました。