こんにちは、ソトコト事業部です。
10月18日から19日の1泊2日にて、福島12市町村内でのフィールドワークに行ってきました!
今年度のテーマを「次の未来へ」と掲げていると前回もお伝えしましたが、まさに未来へつながるヒントがたくさんつまった、福島12市町村の過去の記憶と現在をめぐる旅になったのではないかと思います。その様子をお伝えします。
▽第1回の様子はこちら

持続可能な暮らしの先進地!飯舘村での「までいな」暮らし
1日目は、福島12市町村の中でも北部の山側に位置する飯舘村を訪問。東日本大震災が起きた2011年から2017年までの6年間、全村避難となった飯舘村ですが、避難先から帰還した方々や新しく移住してきた人々により、飯舘村に根づく「までいな(ていねいな)」暮らしが守り受け継がれていました。
はじめに伺ったのは、“村のお母さん”のような存在の細杉今朝代さんのお宅でした。食卓に並ぶ彩り豊かな食事と共に「ふくしま未来創造アカデミー」の一行を迎えてくださった今朝代さん。原発事故による避難生活に送っていた際に地元・飯舘村で食べていた野菜のおいしさに改めて気づき、同村での生活を再開してからは野菜の自家栽培や味噌づくりの販売などを通じて、村の食文化を伝えているそうです。今朝代さんと妹さん、そして栄養士として村の郷土料理などを研究している旗野梨恵子さんから、飯舘村ならではの食文化や地域内経済のあり方についてお話を伺いました。

飯舘村を含めた阿武隈高地では、本家から分家に分かれる際に土地を開拓して移り住んでいたことや「村での娯楽は自分たちでつくっていた」「野菜から味噌やキムチなどの加工品を作って村おこしをして、そうして稼いだお金で自分たちの欲しいものや子どもの学用品などを買っていた」など、震災以前からの生活の知恵が変わらず受け継がれているのが印象的でした。



次に向かったのは、えごまの栽培を行う『いいたて結い農園』。
農業体験として、収穫したえごまからごみを取り除く作業をお手伝いさせてもらいました。実際にやってみると、粒の細かなえごまの実と不要物との見極めが難しい作業だとわかります。ですが、この「までい(ていねい)な」作業がおいしくて健康な食品を作るのに欠かせないそう。

震災以前からえごまの栽培は行っていたものの、避難生活を終えて帰村したのを機に再開。栽培の他にも加工品の製造・販売へと事業を拡大し、5年前に『いいたて結い農園』として法人化しました。
えごまの栽培を再開した際、担い手は高齢の方が多く、大きな機械を使った作業が現実的でなかったことから、こうした「までいな」仕事を重視するようになったそう。現在は飯舘村内外の25名のサポートメンバーと共に日々の作業を行っています。
「少子高齢化は避けられないから、子供や孫に迷惑をかけないように自分たちでできることをやるコミュニティをつくりたかった。飯舘村に戻って来られても来られなくても、この地で集まるきっかけをつくることが目的。だから、えごまは目的ではなく手段なんです」と、『いいたて結い農園』代表の長正増夫さんはおっしゃいます。

飯舘村の皆さんのお話からは、誰かの基準ではなく自分たちで決めて行動していることが伝わってきました。こうした姿勢が持続可能なまちづくりや暮らしのあり方につながる一つの要素なのかもしれません。
こうした地域の人々の「生きた」お話を伺えたことは、これからのまちづくりを担う世代にとっても学ぶことが多くあったのではないでしょうか。

飯舘村での最後の訪問先として向かったのは、「虎捕山 山津見神社」。
日本でも珍しい、狼を信仰する神社です。


飯舘村に避難指示が出ていた2013年、拝殿で起きた火災により焼失してしまった「山津見神社」。再建後も例大祭を細々と続けていましたが、2025年12月に例大祭の復活プロジェクトを行うとのことで、プロジェクトのディレクションを行う矢野淳さんから、その構想を教えていただきました。

震災前までは3日間で2〜3万人がお参りに来ていたという例大祭の様子や、当時から参拝客の楽しみの一つであった茅葺の茶屋を今回のプロジェクトで復活させることなど、飯舘村の過去と現在をつなぐ壮大な計画にワクワクしながらお話を伺いました。
例大祭までの準備には人手が必要とのことで、受講生の「関わりしろ」にもなりそうです。

コミュニティづくりの達人・古谷かおりさんと行く、クラフト素材探し散歩!
2日目午前中の訪問先は、楢葉町にあるシェアハウスと食堂の「kashiwaya」さん。管理人である古谷かおりさんが立ち上げたコミュニティ「kashiwayaクラフトクラブ」の活動がこの日にあり、参加させていただきました。
もともと地域住民と移住者をつなぐことをコンセプトにしてきた「kashiwaya」ですが、地元の人とつながるには何かきっかけが必要と感じ、この「クラフトクラブ」を発足したとのこと。楢葉町内で採れた農作物やお宅に残された着物、道端に自生する植物などの素材を使い、クラフト作品をつくっています。
今回は、町内の『芦口石材店』でいただいた墓石用の御影石(花崗岩の通称)を使ってアクセサリーを作ってみようというのがテーマでした。大正13年に創業した『芦口石材店』に伺い、工場を見学しながら石材業の課題やこれからの会社の展望などをお聞きした後、お土産に御影石の端材をいただいてきました。


「kashiwaya」へ戻り、グループに分かれてワークショップを行います。いただいた御影石でアクセサリーを作る、楢葉町に自生している葛の葉の繊維で草木染めをする、獣害対策で使われていた電線を片づける、「kashiwaya」のオリジナルグッズを作るなど……参加者それぞれの特技に合わせて楽しく賑やかな時間を過ごしました。




一緒に参加していた「kashiwayaクラフトクラブ」のメンバーの皆さんともお話しする機会ができ、地域とつながる交流時間になったのではないかと思います。

富岡町、双葉町、浪江町……それぞれの復興の形と未来を垣間見る。
午後からは、富岡町の「とみおかワイナリー」に新しくできたレストラン『ラレス』で食事をした後、「とみおかワイナリー」の創業に至る経緯や思いを伺いました。


もともとは醸造所の少なかった浜通りに、世界で飲まれるワインで酒文化を作っていきたいという思いから始まった「とみおかワイナリー」。地元有志の皆さんがボランティアを巻き込んでワイン用の葡萄を栽培することから始まり、9年間にわたって地道な活動を続けて来られました。葡萄栽培のボランティアやフィールドワークなどで町内外から関わった人は2024年度で約2,600名、その中から直近3年間で富岡町に移住した人が15名いらっしゃるとのこと。

震災の復興から大きな歩みを進められてきた「とみおかワイナリー」ですが、今後は何が目標になるのでしょうか。マネージャーの細川順一郎さんは、
「このプロジェクトはやっとスタート地点に立ちました。今後は私たちの思いを受け継いでくれる若い世代を育てることが目標。何世代にもわたってタスキをつないだ先に『とみおかワイナリー』の完成形があると思っています。葡萄の木は大事に育てれば100年先まで葡萄を収穫することができる。100年先までタスキをつなぎ、このワイナリーを通じて富岡町を震災前以上の賑わい溢れるまちにしていきたい」
とおっしゃっていました。
今回のフィールドワークも終盤に差し掛かり、受講生の一行は双葉町へ。
『ふたばプロジェクト』の小泉良空(みく)さんより、双葉駅周辺をご案内いただきました。2022年8月に町内の一部地域の避難が解除され、町民が戻り始めた双葉町。2025年2月にはかつてブティックだったビルが商業施設に改装されてチャレンジショップやドリンクスタンドが入っていたり、8月には駅の目の前にスーパー『イオン』ができたりと、日々大きな動きのあるまちです。


震災当時の様子を物語る消防団旧屯所や取り壊される予定の図書館など、移り変わる景色を眺めながら町内を歩きました。避難を続けている住民の皆さんや、新しく移住してきた方々、いろいろな人の思いを想像した受講生もいた様子。まち歩きの終盤には、受講生と小泉さんとの間で質疑応答が活発に行われました。
そして、今回のフィールドワークでは最後となる訪問先へ。
浪江町にある若月さんのお宅に伺いました。東日本大震災が起きた翌日に避難指示が下りた浪江町。当時10歳だった若月さんもまた、ご自宅をそのまま離れて避難生活を送ってきました。
震災が起きた日や、避難指示を聞いた際に若月さんが感じたことを伺いながら、当時のままの姿で残るお宅を見学。3月11日以降の予定が書き込まれたまま残るカレンダーや、子供部屋の机、たくさんの書籍……当時の暮らしが鮮明に思い起こされるような、貴重な場にお邪魔させていただきました。
若月さんは現在、避難先で知り合った同級生の冨井さんや大学の仲間と一緒に、ご自宅を震災の記憶を残しながら地域に開かれた拠点として活用していく「『あの日』の家プロジェクト」を進めています。同世代の若者がどのような形でこの家の記憶を残していくのか、浪江町の復興とその先につながる大きなプロジェクトとなりそうです。

2日間で過去、現在、未来を一気にタイムトラベルしたような、濃密な時間となりました。福島12市町村全てとはいかないまでも、このエリアの“現在地”を肌で体感した受講生たち。
次回フィールドワークは、受講生がそれぞれの関心に合わせて訪問先を選び、より深く学び、考えていく回となります。受講生一人ひとりが、福島12市町村とどのような関わり方を見出していくのか、事務局としても楽しみです。
文・日本関係人口協会 ソトコト事業部
写真・鈴木穣蔵











