ある日、那覇市の国際通りを何げなく歩いていたら、一人の青年が路上に写真を広げているのが目に入り、気になって声を掛けてみると「写真を売りながら日本を旅している」とのこと。その自由さと大胆な行動に衝撃を受けた僕は、「ついていっていいですか?」としばらく青年と行動を共にすることに。
それからというもの、ソロ用の小さなテントにふたりで野宿をしながら沖縄の島を巡り、海の家の人と仲よくなったかと思えばそこでしばらく働かせてもらったり、やんばるの山奥で牧場を営んでいるナイスなおじいちゃんがいるからと、その人に会いに行ってみたり、とにかく刺激的な毎日だった。
僕ひとりでは躊躇してしまうようなことも、青年はあっけらかんとやってみせる。日常のなかでも、ちょっと勇気を出してみるだけで、「こんなにも違った景色が見えるんだ」ということを教えてくれた。
名古屋駅のほど近く、線路沿いに古民家が立ち並び、その一角にシェアハウスはあった。新旧が入り混じる、不思議なエリアだった。軒先で住民らしき人が何やら準備をしており、挨拶をして話を聞いてみると「今夜、近所の人も交えてバーベキューをする」とのことで、早速、僕もその準備を手伝うことに。やがて夜も更けて宴会が始まった。みんな、初めましての僕を自然と迎え入れてくれて、ほっとして目を上げると、名古屋のビルたちが煌々と光っていて、なんだかふと「こんな街に住めたらいいな」と思ったことを今でも覚えている。
その時の僕は、旅を続けることに少し疑問を持ち始めていて、「写真をきちんと学びたい」と思うようになっていた。もともと、現実から逃げるように始めた旅だったが、幸運にもカメラを通してたくさんの人や景色に出会うことができ、そこから多くの学びや優しさをもらった。でもだからこそ、いつまでもこうして自由気ままな旅を続けていていいのだろうか、と感じ始めていたのだ。きっとそろそろ現実と向き合わなくちゃいけない。
東京都内に拠点を移しフォトグラファーとして活動するようになった今でも、名古屋へは仕事や遊びで定期的に訪れている。シェアハウスにいたみんなは、もう引っ越して住んでいないが、今でもつながりは残っているからだ。名古屋へ来る度に当時のことを思い出しては、「あの時の気持ちを忘れないでいよう」と自分に言い聞かせている。