手つかずの自然や素朴な街並みが残る沖縄県うるま市。さまざまな恵みを生かして作られた地域の産品があるが、事業規模が小さいために十分な発信ができていない。そこで、事業者たちがタッグを組み、うるまの魅力を一つに集めた「つむぐうるまセット」を販売することに。このセットが生まれたうるま市でものづくりに励む人たちの思いを聞いた。
沖縄県の那覇空港から1時間ほど車を走らせると、うるま市に到着する。“うるま”とは、沖縄の方言で「サンゴの島(ウルはサンゴ、マは島のこと)」という意味で、その名のとおり豊かな自然が広がる場所だ。本島の東海岸に面した勝連(かつれん)半島と8つの島々からなり、透明度の高い青い海はもちろんのこと、シーサーを屋根にのせた沖縄らしい平屋が並ぶ風景に、心が穏やかになってくる。
そんな素朴さが残る地域だからこそ、各産業の規模が小さかったり、世帯収入が沖縄のほかの地域と比べて低めだったりと地域で課題を抱えている一面も。事業の後継者問題なども含めて解決のための一歩を踏み出そうと、うるま市ではさまざまなことにチャレンジしている。
その一つが、うるま市で生産された商品を一つのカゴに詰め込んだ「つむぐうるまセット」の販売だ。ビーグと呼ばれる「い草」で編んだカゴの中にクラフトビール、カッティングボード、スイーツ、もずく、塩入りのお守りなどが入った、ピクニックをテーマにしたセットを企画。今年3月から販売する予定だ。
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小麦栽培を復活させて、未来をつくる事業に。
スイーツ、ビールの両方に使われているのが、勝連半島から海上の道路(海中道路)を渡って2つの島を経て、ようやくたどり着くことができる、周囲がおよそ7.5kmの伊計島で栽培された小麦。戦前の沖縄では少量ながらも各地で小麦栽培が行われていたが、戦後は伊江島だけとなって、沖縄本島では途絶えてしまった。しかし、今から15年前にうるま市で仲里正(なかざとただし)さんが再び栽培を始めたのに続いて少しずつ栽培農家が増えて、2015年には『沖縄県麦生産組合』が発足するまでに。
『伊計島自治会』会長の玉城正則(たまきまさのり)さんは、生産を増やそうと奮闘している一人だ。自身の故郷である伊計島の活性化のために早期退職をして沖縄市から戻り、観光客誘致のためにヒマワリを地域に植える活動などを行った後、小麦栽培に可能性を感じたという。
現在は3人のメンバーと共に、5か所、4000坪の土地で小麦を栽培している。収穫した麦に雑草の種が入り込むと品質が落ちてしまうため、雑草は除草剤を使わずに手で抜き取る。未来を担う子どもたちのために、体にいいものを作りたいと、無農薬・有機肥料栽培が鉄則だ。
小麦は製粉した後に沖縄そば、パスタ、乾麺、せんべいなどさまざまな製品に加工され、「島麦かなさん」というブランド名で販売されている。子どもが麦の穂を持つマークがとても愛らしい。
「自治会で製粉、加工ができる施設を持てないか、市に相談しています。製品化して付加価値がつけられれば、収入アップにもつながります。ここの小麦でサータアンダギー(沖縄のドーナツ)をつくると、ふわふわして風味がよく、しばらく経っても固くならないですよ」と玉城さんは自信にあふれた表情で話してくれた。
伊計島の豊かな自然を求めてドライブにやってくる人は多いが、飲食店や商店が少ないために、地域にお金が落ちずに帰路につくことになる。そこで、島民に日用品を売る共同売店で小麦の加工品を販売すれば、この島のお土産となって観光客にも喜んでもらえるはず。そんな期待を胸に、葉タバコの減反に伴って小麦栽培に転換するよう島内の農家に呼びかけたり、麦わらをも利用して帽子を手がけるなど新製品の開発を行ったりと、玉城さんは意欲的に取り組んでいる。
さらに、麦の芽が出た後に行う麦踏みや収穫時期の麦刈りの作業を、島の移住者を交えて行っているという。「この島の人も元々は他所から来た人。ここに住んでほかで働くのは“住民”だけれど、行事などにも一緒に取り組んで“区民”になって、この島の将来を守ってもらえたらという気持ちがあります。その始まりの一歩として、麦踏みや麦刈りの作業を通じて島の生業を理解し、馴染んでもらえたらと思っています」。玉城さんの小麦を軸にした活動は、島の未来につながっているのだ。
造船技術、い草栽培を知ってもらうために。
「つむぐうるまセット」には、小麦を使ったお菓子やビール以外にもさまざまなアイテムが詰まっている。
ピクニックでチーズやハムを載せたり、カッティングボードとしてフルーツを切ったり。そんな楽しい時間が過ごせるよう、セットには「杉とヒバのカフェトレイ」が入っている。これに使われているのは、木造船をつくる際に出る端材だ。
うるま市には、戦前に交易船として活躍した「マーラン船」をはじめとする伝統的な木造船をつくる技術が一子相伝で受け継がれ、現在は3代目の越來治喜(ごえくなおき)さんと4代目の越來勇喜(ごえくゆうき)さんが製造している。
しかし、木造船の需要が少なくなってきた今、守り続けてきた技術や伝統をどう絶やさずにつないでいくかが大きな課題だ。そこで、勇喜さんは学生時代からの友人である仲里雄希(なかざとゆうき)さんと一緒に、造船の過程で出た端材を使って雑貨をつくり、ブランドを立ち上げた。このカッティングボードのほかに、アクセサリーや名刺入れなども手がけている。
「船の外側をつくる際にS字に曲がった材が必要なので、その分どうしても端材が出てしまいます。側で見ていると、3代目も4代目も船をさらによくするための方法を四六時中考えていて、出来上がった船も本当に素晴らしい。このすごさを絶やさないためにも、まずは知ってもらうことが必要だと考えて、その入り口として雑貨づくりを始めました」と仲里さん。他県から地元の船を復活して欲しいと依頼がくることもある。今でもその技術を受け継ぐ人たちがいることを知らせるツールとして、これらの雑貨がその役目を果たそうとしている。
また、うるまの恵みを丸ごと包み込んでいるアイテムが、い草で編んだかわいらしいカゴだ。い草は熊本県での生産が知られているが、沖縄でも180年前から栽培され、熊本産の約2倍の太さがある。『うるま市い草生産組合』の兼城賢信(かねしろけんしん)さんは「なるべく農薬を使わず、ほかの生き物と共存しながら栽培すると、丈夫ない草が育つんです」と話し、これで編んだ畳は耐久性や肌触りが優れている点から評判がいいという。
しかしながら、現在同市で生産している農家は12軒ほど。生産量が追いつかず、沖縄製の畳を熱望する声があっても応えられない状況にある。畳製作に適した長いい草は収穫量の約半分。残りの短くて使えない分を利用して製品をつくり、うるまのい草について知ってもらって生産する農家を増やせたらという思いから、今回のカゴが誕生した。
その製作を工芸作家で沖縄市在住の吉本梓(よしもとあずさ)さんに依頼した。い草に初めて触れた際、束にした時の弾力性や強度の高さ、使う際にその香りにいやされたことから、自然に生活に馴染むアイテムとなり得る素材として、その可能性を感じたという。「ワークショップなどを通じてつくり手を増やし、畳以外のプロダクトを生み出して地域のものづくりに貢献できたらと思っています」と吉本さん。
「つむぐうるまセット」では、このような生産者を“守る人”、素材を生かして新たなものづくりをする人を“つむぐ人”と称し、タッグを組み、魅力を発信しながら各産業の未来を確かなものにしていく。このコラボは、「珊瑚の島の焼きチョコ」、「早摘み生もずく」、「うるまさうし」(クラフトビール)、「勝ち守り」(塩入りのお守り)のほか、今後さまざまなアイテムが誕生予定だ。
事業者が一丸となってうるまの魅力を発信。
このようなセットが生まれた背景には、同市の事業者の生産性や世帯収入の課題があると冒頭に述べた。事業者は家族経営など小規模である場合が多く、日々の生産や製造で手いっぱいで、製品の見せ方や売り方などを考える余裕はない状況にある。
同市で商工振興を担う屋嘉比康希(やかびこうき)さんは「うるま市の人口は増加していますが、農水産業の担い手は減少しています。新規の担い手を増やしていくためにも、地元の農水産物(守る)と、ものづくり(つむぐ)の連携による新たな価値や魅力の創造にチャレンジしていきたい。さらに県内外への情報発信を強化することにより、製品の認知度や価値を高めていくことが、産業の強化や担い手の確保にもつながると期待しています」と説明する。
それぞれの事業者は小規模で発信力を持ちづらいが、「つむぐうるまセット」としてうるまの魅力を一つにして売り出せば、目に留まる可能性が高くなる。「ものづくりを通じてうるま市を知ってもらい、実際に足を運んでいただく。うるまの豊かな自然、歴史、文化、人に触れてほしいですね」と屋嘉比さん。守る人とつむぐ人が呼応して、この地域の美しい未来を願いながらものづくりに励んでいる。
photographs by Chika Fujii & Mari Kubota text by Mari Kubota