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連載 | こといづ

ぴよ

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高校生だった頃、近所に、霊媒師というのか、「みえる」人が住んでいて、よく家に遊びに来て母と楽しそうに喋っていた。リビングにふらっと立ち寄ると、「あんたも一回みてもらい」と言われ、半ば冗談のように彼女の前に座って目を閉じることになった。「あなたのね、周りにたくさんの、いろんな国の人がみえたよ。おもしろいね」とだけ言ってくれた。「そしたら、おばちゃんがね、切っといてあげるから、また目をつぶって」と言うので、もう一度目を閉じた。すると、シャカシャカ、シュッシュと激しく腕を動かした音がして、「これで大丈夫やわ。ありがとう」と、儀式のようなものが終わった。  はじめての体験で何も分からなかった僕は、「いま何をしたんですか」と尋ねると、「要らない線をね、切っといたんよ。おばちゃんにもね、正勝くんの未来はわからない。けれど、今までに繋がっているたくさんの線と、これから繋がっていくたくさんの線はみえる。だから、要らない線だけを切ったんよ。こうやってね、おもしろい未来をつくるのよ」と笑った。  嘘か本当かわからないけれど、僕は信じていいなと思った。過去があって現在があって未来につながっていくような、一本道の時間の流れではなく、大樹の、地面に広がる根っこと空に伸びる枝が、時の流れなんだなと思うようになった。

春が来て、いつもだったら、鳥の歌に、咲き乱れる花々に浮かれて踊り出したくなるような暖かい一日も、今年はコロナウイルスが猛威を振るっているので、ゆったり、こそこそと家で過ごしている。読みたかった本をまとめて読んだり、新しく音楽の勉強をはじめてみたり、20年振りに学生の頃に戻ったような静かな時の流れに、これはこれでありがたいと、大事にしなくてはと感じている。

この一年ほど、自分の中でゆっくりと変化していくものがあった。ぐっと固まっていくものと、ふっと緩んでいくものとが、自分の中にうごめいて、両極端に引き裂かれていくみたいで気持ち悪かった。40を過ぎて、どっちに進みたいかな、凝り固まってもおもしろくないな、やっぱり緩んでいくほうが性に合ってるなと、ふらふらしていたら、ちょっとした気づきがあって、一気に楽になった。 「何かを実現させたかったら、小さな可能性をたくさん増やしていけばいい」。 言葉にできているか謎だけれど、とても単純でいいなと思った。単純だけれど、実際に、本気でそのように取り組んでみると、実現してほしかったものが叶っていくのでおもしろい。

小さな可能性ってなんだろうと、書きながら改めて考えてみるけれど、可能性だからなんだっていいんだと思う。お酒をやめてみたり、早寝早起きをしてみたり、躰を動かしたり、漢方を飲んでみたり、根気よく続けてみたり。とにかく、たくさん、少しずつでいいから、たくさんのことを進めていくと、ある日、ドンッと、今まで押せなかった大きな扉が、ごごごごごっと開いていく。  ものごとを原因と結果で捉えないこと。これがあったから、こうなったと、単純な因果で捉えないようにしたい。何事も、たくさんの可能性が集まって、起こるべくして起こるものなんだと、そういう風に世の中を見ることができると、今までとは違ったやる気が湧いてくる。

烏骨鶏が卵を抱き続けていて、ようやく2羽、ひよこが孵ったけれど、まだ15個も卵を抱いている。次に孵るのはいつかなと首を長くして待っていると、割れた卵がひとつ巣の外にほっぽり出されていた。親鳥たちが自分たちで諦めて出したんだろう。生き物のやっていることなので、そっと見守っておく。なるようになるのだろう。全部孵るといいな。

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