約30年間タウン誌、雑誌編集に携わり、2012年の定年後に福岡県・大木町に移住。現在は同町のかんけい案内所室長を務めるライターによるコラム。ローカルを見つめ続けてきた筆者による、自治体とそこに暮らす人たちの取り組みの模様を、精緻な筆致でお届けする。
そう、家中誠治さんに声をかけられた。
誠治さんが黒天狗を務めた「鍛治屋の天狗まわし」の写真を撮ったのは今からちょうど10年前。確実にあの時の天狗たちも、そして私自身も10歳年をとっている。本来、若者が天狗になって家々を回る祭りが、その時点ですでに多少“高齢化”していた。それよりも何よりも、このコロナ禍で祭りそのものがちゃんと続けられているのだろうか。
天狗まわしの現在が気になり、さらには天狗が回ってくるのを断る家も出てきていると聞いていたから、その後の変化も確かめたく、今回同行することにした。
「天狗まわし」とは「よど祭り(※1)」の一環として行なわれる神事で、赤天狗と黒天狗が露払いを先頭にむら(※2)の家々をまわり、「わ〜ぁ〜ぁ〜っ」と声をあげながら玄関から上がり込み、部屋中をお祓いして回り、最後に住人の頭上に天狗面をかざしてお祓いするものだ。天狗も、もちろんそれを持つ者も、この時は「神様」とされる。
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※1 「よど」は「夜都」とも「夜渡」とも書き、「夜通し」がなまったものだとも言われるが定説は不明。福岡県大木町のある地方でだいたい9月に行なわれる祭りのことです。
※2ここでいう「むら」とは、およそ大字(おおあざ)あるいは小字(こあざ)の集落単位で、なかにはもっと小さい「あざな」や「ほのけ」と呼ばれる集落もありますが、便宜的に祭り行事でまとまりのある集落のことを指しています。
とはいえ、家々で出されるお酒をほとめくうちに(もてなされるうちに)、赤天狗の持ち手である家中博行さんは、赤天狗と同じくらい赤ら顔になっていた。これは10年前と変わりない光景だ。
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※3本来は清めの海水を聖水として振りまきその場を清めるが、大木町では海から遠いため、お祓いを受けた水を用いて清めています。
10年ぶりに目にした「天狗まわし」は、確かにあのときお祓いを受ける家が40軒だったものが11軒に少なくはなっていた。けれども、天狗が訪れた家々で見る笑顔も、“赤天狗”になっていく博行さんも10年前と変わりがなかった。
この町には、大小50数カ所の神社がある。そのなかで、むらの中心として祭りを行なうお宮は30数カ所。もっとも、祭りとはいっても、宮総代をはじめとする地区の役員さんたちがお宮の本殿に集まり、神官がお祓いをするくらいで、神輿が練り歩いたり祭り装束をつけた氏子たちが踊ったりといった、見物客やカメラマニアが集まってくるような“派手な”演出を伴った芸能的要素のある祭りはほとんどない。あくまでも、自分たちと神様とだけの神事がメインなのだ。
だから、何らかの“シカケ”を伴っているここ鍛治屋の「天狗回し」は珍しい。とはいえ、町内の神社の本殿には同じように赤天狗と黒天狗が立てかけてあるのをよく目にするので、昔は、町内のあちこちで「天狗回し」がおこなわれていたと推測できる。現に天狗回しと同じように、赤獅子と黒獅子が各家々に上がり込んでお祓いして回る「獅子舞い」も同様。神殿に獅子頭があるところは、かつて村むらでお祓いの神事を行なっていたのだろう。
「子ども達がおらんくなったらワシらが代わりをせなならんなぁ」と言うおっちゃんも70代なかば。2014年、大木町の筏溝地区で今なお行なわれている「獅子ごま」の写真を撮っているときに耳にした言葉だ。ことほど左様に、町全体の高齢化に伴って、祭りの存続が危ぶまれている。いや、高齢化に加えてこのたびのコロナ禍が文字通り「禍(わざわい)」になっているように感じる。
「コロナで何でんでけんくなる(何でもできなくなる)。やっぱい、続けないかん」「回られんごとなったら、寂しゅうなるばい」
天狗まわしのお祓いが終わったあと、誰かがポツリとつぶやいた。
蛇足ながら、こうしてむらの家々を回り、家の隅々まで上がり込んで若い男性がお祓いをするというのは、かつての農村では一般的に行なわれていた「夜ばい」の下見を兼ねていたのではないかと“下種の勘繰り”をしてみた。そのことを鍛治屋のおっちゃんにたずねてみると「天狗は神様やけん、そげなことはない」と一蹴されたのだった。