千葉県南房総市増間(ますま)地区で、毎年3月1日に行われてきた「御神的(おまと)神事」は、稲作の豊凶や天候を占う「歩射(ぶしゃ)神事※1」です。1300年前から代々伝えられ、県指定無形民俗文化財に指定されているもの。コロナ禍で休止していた御神的神事が、2024年3月1日、4年振りに行われました。当日を迎えるための準備、「的張りの行事」に参加したローカルライターがきょうがくした内容とは!? 華々しい御神的神事を陰で支え、受け継がれてきた準備の様子をお伝えします。
※1 馬に乗って矢を射る流鏑馬(やぶさめ)に対し、地上で矢を射ること。
神事で使用する道具はもちろん、その材料から手づくりする
増間は南房総市の旧三芳村にある、山に囲まれた地区です。毎年2月26日に行われる「的張りの行事」のため、8時半に増間地区の区長や区長代理、氏子総代や組長など、15人ほどが日枝神社に集まりました。社務所前には既に、マダケやツルなどの材料が用意されています。「誰が何をするとか役は決めていないので、みなさん適材適所やってください」と声がかかると、それぞれがあうんの呼吸で作業を開始しました。
長さを相談しながら木を切る人、竹を割る人や木の皮を剥ぐ人、社務所から運び出された的の掃除と修復をする人も。社務所の中では囲炉裏に火を起こし、稲わらで縄を編み始める人たちがいます。初めて訪れた私は、何をつくっているのかまったく見当がつかず、木を削っている人に尋ねてみました。
返ってきた答えは、「すりこぎ」。なぜすりこぎが必要なのか、余計に謎が深まります。
他方では、ヨシ(イネ科の多年草)で網代(あじろ)編みにした、直径約2メートルの的の表面に残っている紙を剥がしていました。この後、半紙を三重に貼り直し新たな的をつくるそうです。
外でつくっていたすりこぎは、的の表面に半紙を貼るときに使う道具のようで、傍らにあったお米は「のり」にするものでした。つまり、ここまで見てきた謎の工程は、「神事で使用する道具をつくる」ために必要な材料と道具を一から手づくりしていたのです。
道具の材料から、手間暇かけて手づくりする神事
すりこぎは神社の境内にあるマキノキの枝からつくります。のりにするお米は、昔は神社の鍵を預かる家である「鍵元」が所有する免田(めんでん)※2の米を使っていましたが、現在は地区で採れた米を使用しています。米をすり鉢ですって粉にし、水を加えた上澄みを鍋のお湯に少しずつ加え、囲炉裏で煮詰めてのりにします。
※2 国が課税を免除した田んぼのこと。
これ以外の道具も一から手づくり。かかる手間暇の量に驚かされます。
1回目に置いた半紙と角度を変えて半紙を置き、二重まで貼り終えたところでお昼を迎えました。
13時半から再び作業を開始。的に3回目の半紙を重ねたら、のりの鍋に焼いた稲わらを入れて的を描く墨をつくります。
真っ白な的に墨を塗るときは、「ドキドキしちゃうね」と少し緊張した様子でしたが、一度墨が入るとみんなどんどん墨を入れて的を完成させました。
社務所の中で作業をしていると、外から「トントントン」と音が聞こえてきました。直径2~3㎝ありそうな立派なフジツル※3 を手づくりの木槌で叩いている音です。
※3 藤の蔓で、強くねばりがある。
叩いてほぐし、皮を剥いだフジツルで縄を編みます。田舎で暮らしていると稲わらを編む姿は見ますが、フジツルを編むところはなかなか見ません。編み手と送り手のペアで作業をすると、フジツルが絡まらずに編みやすいようです。
次に的や材料を外に運び出し、みんなで仕上げ作業を行います。
鳥居と、御神的の上に飾るしめ縄と、飾りの「タレ」も稲わらでつくる。紙でつくる幣束(へいそく)※4 もつくります。
※4 神さまに捧げるもので、紙をたたんで切ってつくる。
ここまでの準備をし、的を定位置である社務所の天井にしまったときは、15時半を過ぎていました。
的のほかにもまだある準備。所作と弓具の手入れまで入念に
御神的神事の準備はまだ終わりません。
「的張りの行事」が行われた日の夜7時、増間コミュニティーセンターに集まった人たちがいます。地区から選ばれた若者の射手2人と、太鼓や笛を演奏する人たちです。
石野章浩さんが射手を務めるのは、今年で7回目。やはり事前に練習をするのか聞いてみると、「占いだから練習をしてはいけない」との返事が。的に当たるかどうかは神さまが決めることなので、ただ当たればいいという訳ではないのだそうです。石野さんは、初めて射手を務めるときまで弓に触れたこともなく、所作のみを教わって練習したのだとか。
もう一人の射手である川名祐也さんは、現在38歳。30歳のころに初めて射手を務めたといいます。御神的神事は、射手として参加するまで見たこともなかったそうです。毎年3月1日と月日が固定されているので、子どものときも御神的神事を見る機会がなかったようです。
弓矢の手入れをし、一通り所作を練習し、笛太鼓の音合わせもして、御神的神事の前準備がようやく終わりました。
いよいよ御神的神事の当日。本番前にもすることがたくさんある
3月1日、御神的神事当日の朝8時。射手の2人は、鍵元の家を訪れました。
鍵元の家には、滝の前で水垢離(みずごり)※5 をする射手の写真が飾られていました。これは、今年射手を務める川名さんのお父さまと、同じく射手を務める石野さんの義理のお父さまが射手を務めたときの写真でした。
※5 神仏に祈願するため、冷水を浴びて身を清めて清浄な身となること。
あれから40年経った今年、偶然彼らの息子たちが一緒に射手を務めることになったのです。
鍵元の家で一人ずつお風呂に入り、応接間で弓形の餅を食べ、水垢離を行う滝へと向かいます。滝つぼの側で服を脱ぎ、雄たけびを上げながら滝つぼに身を沈める2人。
その後増間コミュニティーセンターへ向かい、射手は袴に着替えます。床の間に弓を飾り、神主さんはサカキや幣束の準備を。お膳が配置され、区長、氏子総代などの役員たちが集まり、「弓取りの儀」が始まりました。しんと静まり返る中、三々九度を行い、その後食事をしてから御神的神事の会場である日枝神社へと向かいます。
時間と労力をかけ、準備に準備を重ね、1300年も受け継がれてきた「御神的神事」が、ようやく始まろうとしています。(後半へ続く)
取材協力:増間地区の皆さま
写真・文:鍋田ゆかり