世界中から旅行者がやって来る世界遺産・熊野古道。
その主要な参詣道の一つ、「中辺路」が市内を通る和歌山県田辺市では今、そこで暮らす人々と「出会う」という、新しい旅のスタイルや楽しみ方が生まれています。人や世界と出会い、その土地と「関われる」旅に出かけてみませんか。
世界遺産・熊野古道の新しい歩き方
紀伊半島の南西部にあり、近畿で一番広い面積を持つ和歌山県田辺市には、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(熊野古道)と、世界農業遺産「みなべ・田辺の梅システム」という、2つの世界遺産がある。どちらも地元の人々によって受け継がれ、守られてきた、今に「生きる」遺産だ。
田辺市内を通る熊野古道は、「中辺路」という道で、JR紀伊田辺駅がある市街地の「口熊野」から、熊野本宮大社がある「奥熊野」に至るまで、約58キロの道が続く。この道が今、国内の巡礼客だけでなく、旅慣れた欧米人たちの間で人気だ。その理由の一つは、土地の魅力を発信している地元の人々の存在。またここに帰ってきたくなる、「関わりたい」と思える人がいる楽しさがある。人との出会いが、田辺のファンを増やしている。現代の巡礼者気分で中辺路を歩いてみた。
即興で「地元のおばあちゃんに会いに行くツアー」をつくる。
『霧の郷たかはら』は、中辺路を「滝尻王子」から歩き始めて最初の上り坂を越えた人々が、バルコニーやカフェスペースで思い思いにくつろげる山間部の宿。その6割ほどが欧米系の外国人客だ。世界的な旅行検索サイト「トリップアドバイザー」では、日本の「人気の旅館・B&B・イン」ランキング(2018年)で3位に選出されている。
オーナーの小竹治安さんは、イギリスとスペインで暮らした経験があり、無国籍風で楽しげな雰囲気を漂わせている人物。宿泊客を心からもてなすことにいつも気を配っている。
「熊野は、『浄不浄を問わず、貴賤にかかわらず、男女を問わず』、昔から参拝者を広く受け入れてきたノーボーダーの場所。その精神を受け継いでいるんです」と話す。ありのままの熊野を体験してもらうため、「地元のおばあちゃんと出会うツアー」「山椒を採りに行くツアー」などを、即興でアレンジすることも。宿泊客が、次は友達を連れて戻ってくるのも頷ける。
次は、中辺路の宿場町として栄えた近露地区へ。里山風景の美しさと地元野菜のおいしさが旅人の心と体を癒す『カフェ朴』は、中辺路から少しだけ集落に入った場所にある。
オーナーの中峯幸美さんは、近露生まれ。一度は大阪で調理師の職に就いたものの故郷のよさを再認識し、築約100年の古民家を改装して店をオープン。「近露の心地よさを知ってもらい、都会からわざわざ訪れたいと思ってもらえる場所になる確信はありました」という中峯さんの思惑どおり、来店がきっかけで移住につながった人が何人もいる。イベント開催やジビエ普及など地域の活動も行い、「ここではこんなこともできると伝えたい」と中峯さん。
熊野本宮大社にほど近い場所にある『Vegan Cafe Bonheur(ボヌール)』の代表・中谷有利さんは、本宮町に移住し、店を営むうちに気づいたことがある。「本宮町の方々は、人の悪口を言いません。熊野詣では、神様の前で自分を大きく見せてはいけない、悪い言葉で人を咎めてはいけないなどの慣習が昔からありました。みなさん、地域に受け継がれてきた歴史を体現しながら生きているんです」。地元の人の生き方に感銘をうけた中谷さんは、「熊野の素晴らしさは、この場所に身をおいて、地元の人と触れ合い、営みの美しさを感じてもらうことで伝わる」と、カフェのほかに2軒の宿も始めた。
さらに、カフェや宿で提供する野菜と米も自らつくっている。宿に滞在してその思いに触れた人から手紙をもらうことも多い。ドイツ人の女の子からの手紙には「大人になって、また来たい」と書かれていた。
「彼女が大人になるまでこの場所を続けないといけないと、身が引き締まる思いでした。大切なことは、その風土と文化の本質に叶ったもてなしをすること。そうすることで、この地が1000年、2000年と続くものになると思っています」
ノープランでやって来る、外国人観光客をアシスト。
熊野古道で出会った地元の人々が口を揃えたのが、4年ほど前から一気に外国人観光客が増えたということ。その土壌をつくったのが2006年に設立された『田辺市熊野ツーリズムビューロー』。田辺市は05年に5つの市町村が合併してできたが、旧・市町村の観光協会によって生まれた半官半民の観光プロモーション団体だ。
基本方針は、「ブームよりルーツ」「乱開発より保全・保存」「マスより個人」「世界に開かれた観光地を目指す」。会長の多田稔子さんは「土地の人は、外国人を迎え入れることに慣れていなかったため、プロモーション事業部長のブラッド・トウルが何度も地域に出向き、ワークショップを実施。10年からは『熊野トラベル』という旅行会社の運営も始めたことで、旅行者数が増えました」という。
カナダ出身のブラッドさんは、「私たちがやってきたことは、意識づくりとシステムづくりです」という。「なにかを始めると、ひとつ問題ができる。そのたびに足を運んで話しては、問題や課題を解決してきました」。常に考えているのは、地域の人たちにとっていいか、望んでいることなのか。そうして地域に寄り添い、ひとつひとつ積み重ねてきたからこそ、受け入れる土壌ができた。
田辺ではさらにおもしろい動きも広がっている。JR紀伊田辺駅から徒歩4分に位置する『美吉屋旅館』の3代目代表・吉本健さんは「(駅前の観光案内センターが閉まる)18時以降の観光案内はうちが担う」という頼もしい人物。JR紀伊田辺駅にはノープランでやって来る外国人旅行者も少なくない。夕方以降、駅前で困っている外国人がいると、学生時代、カナダに留学経験があって英語が話せる吉本さんの元へ近所の人が連れてくるようになったのが始まりだ。だんだんと外国人旅行者が集まるようになった。「世界中の人と会話をするのが楽しいんです」と話す吉本さんは、一緒に旅行プランを考えたり、「日本で散髪がしたい」という人と一緒に理髪店へ行ったりと、さまざまな「案内」をしている。
吉本さんは、地域資源の活用と地域課題の解決に向けたビジネスモデルづくりの場として、田辺市が16年から開講している「たなべ未来創造塾」の1期生でもある。同塾の同期や後輩に、外国人観光客が何を求めているのかのレクチャーを行い、それをきっかけに「ビーガンメニューを考えてみる」というカフェや、「表具のワークショップはどうだろう?」という表具店など、外国人向けのプロジェクトも立ち上がり始めた。
田辺でしかできない体験、田辺でしか関われない人と出会うため、世界中から人がやって来ている。