新潟・関屋浜にある「Sea Point NIIGATA」は、もともとは夏場だけオープンする、いわゆるふつうの海の家だった。それをオーナーから借り受け、新しいかたちの海の家としてリニューアルオープンさせた、鈴木博之さん。現在は共同経営者の星亜矢子さんと一緒に店を運営しながら、自身も東京からUターンしてきた経験をもとに移住支援の活動も行っている。カフェやバー、コワーキングスペースを併設するSea Point NIIGATAは、今では季節や地域を問わずさまざまな人が集い、新たな仕事や交流を生む拠点になっている。
そんな現在のSea Point NIIGATAは、発起人の鈴木博之さんが新潟市へUターンを決意するところから始まる。
働く意味を見失った、東京での生活。
大学進学のために上京し、卒業後もそのまま東京で就職したものの、初配属の地は地元の新潟市。それまで地元には「つまらない」というイメージがあった鈴木さんだが、社会人として地元で働き始めると、いつしか身近な人間関係のなかで仕事をするおもしろさや、地元に貢献できるやりがいを強く感じるようになっていた。しかし、新潟で5年間働いたあと東京への転勤が決まり、ふたたび新潟を離れることに。
東京での生活は、仕事に追われる毎日だった。次第に「なんのために仕事をしているんだろう?」という疑問が浮かぶようになる。「自分には新潟のほうが合っているのかも」。そんな思いが募りつつも、なかなか踏み出せないまま働くうちに、体調を崩して会社にも行けない状態になってしまった。
鈴木さん「新潟にいたときは、自分の仕事が地域に必要とされているのを感じる瞬間もありましたし、地元の友達や友達のお父さんと仕事する機会もあって、つながりが近いところで仕事をするおもしろさややりがいを感じていたんですよね。でも東京ではそういうことが感じられなくなってしまって。ただ、『新潟に帰りたい』と思っても、自分に合った仕事が見つからなかったり、お金の面もあって『やっぱり自分は帰れないや』と躊躇してたんです。それでずっとモヤモヤしながら仕事をしてたら、体を壊して会社に行けなくなってしまいました」
「自分も仕事で悩んだんだから、なんとかしたいと思った。」
そこでじっくりと自分自身の身体や気持ちに向き合った末、新潟へUターンすることを決意。「自分に合った仕事がない」と感じた実体験をもとに、もっと自由に仕事や交流が生み出せる場づくりを目指すことを決めた。
そうして移住を決めてから、とにかくまずは新潟の知り合いを増やそうと、東京や新潟で行われる県内出身者の集まりや、さまざまなイベントに顔を出すことから始めた。移住先が地元ということもあり、「準備らしい準備はそこまでしなかった」という鈴木さんだが、事前に地元の先輩や知り合いに相談するなど地域のつながりを活かしつつ、同時に新しい人脈も広げながら情報を集めていたのだそう。
鈴木さん「新潟市はけっこう大きいということもあって、本当にいろんな人がいるし、どこから入っても全然問題ない、という感じでした。だから、地域に入り込んでいく難しさみたいなのはそんなに感じなくて。地方の出会いは“一期一会”というよりも『まあ、また会うでしょ』みたいな、ずっとつながっている感覚があります。一度疎遠になった人がいても、どこかでタイミングが合って、また出会ったりする。そういうつながりの強さを感じています」
海の家、Sea Point NIIGATAとの出会い。
そんな鈴木さんとSea Point NIIGATAとの出会いもまた、多くの人とつながっていくなかで生まれた出会いだったのだそう。
新潟での起業を決め、具体的になにをしようか考えていたなかで、コワーキングスペースなら、利用する人と人がつながることで新たな仕事が生まれたり、複業といった新しい働き方を発信していく拠点になるのでは、と考えるようになった。じゃあ場所はどうするか? やっぱり新潟らしい場所が良いな、と思っていたとき、日本海に沈む美しい夕日と、シーズンオフで閉まったままの海の家が目に入った。
鈴木さん「新潟の関屋浜には海の家が年中建ち続けているのに、夏場しか使っていなかったんです。使ってない時期はきっと家賃も安いだろうし、しかも新潟駅から車で15分くらいの場所だったので、可能性があるんじゃないか?と思いました。ただ、つても何もなかったのでどうしようかなと考えて、とりあえず名刺に『海の家のオーナー探してます』って書いて探してみたり。全然なにも決まってないのに『関屋浜で海の家のコワーキングスペースやります』みたいなことを言う、ただの怪しい人でしたね(笑)」
関屋浜の海の家にコワーキングスペースを作る。まだなにも決まっていないなかで、その思いは確信に変わり、とにかく思いつくままに海の家のオーナー探しからスタート。そしてあるとき、高校時代の友人を通じて紹介してもらったのが、もともとSea Point NIIGATAを経営していた福井さんだった。
鈴木さん「福井さんに『夏場以外で、ここで地方活性化みたいなことをやりたいんです』と伝えたら『なにを言ってるのかよくわからない』と言われて(笑)。そのときちょうど夏前で人が足りなかったので『まず働けや』ということで、いきなり海の家で働くことになりました。働いてるうちに福井さんも『よくわかんねえけど、なんかお前良いやつそうだから、まあいいわ』みたいな感じになって。夏場もこれまで通り使えるならやってみてもいいよ、という感じでOKをもらえたんです」
そうして、海の家のコワーキングスペースを実現する拠点がいよいよ決定。新潟に戻ってきてから約半年後、2015年7月のことだった。
参加者は300人!DIYでつくる参加型の場づくり
みんなの場所は、みんなで作る。
そして、その年の海の家の営業が終了してから、DIYによる参加型の場づくりが始まる。それまで鈴木さんが作り上げてきた人脈や発信力を活かし、人手が必要な作業のときにはFacebookなどで呼びかけると、毎回多くの協力者が集結した。みんなで「どんな場所にしたいか?」という話し合いから始まり、それをもとにアイデアを出しながら設計図を作ったり、作業を進めるなかで出てきたアイデアをいきなり実行してみたり。計画にとらわれることなく、自由に考えながら手づくりの工事は進んだ。
この改装工事には、最終的に延べ300人もの人が参加し、約半年をかけて完成。日本海に面した大きな窓からは明るい光が差し込み、店内のところどころに見えるクラフト感に人の手の温もりを感じられる内装に仕上がった。作業が終了した2016年4月にリニューアルオープンを迎え、ついに鈴木さんが思い描いていた海の家のコワーキングスペースが動き出した。
共同経営者、星さんの存在。
そうしてオープンしてから今年5年目を迎えるSea Point NIIGATA。現在は東京からUターン移住した鈴木さんのほかにもうひとり、県外出身の星亜矢子さんが運営に携わっている。星さんは長野県出身。高校卒業後、新潟市の専門学校へ進学するため新潟に来てから、現在も同じ新潟市で暮らしている。転職のタイミングで長野に帰ることも思い浮かんだが、まちとしての暮らしやすさが新潟にとどまる決め手になったのだそう。
星さん「動物看護師の専門学校を卒業してから2年間働いた動物病院を退職するとき、長野に帰ることも考えました。でもすでに新潟の友人も多かったですし、新潟の人の温かさというか、人と人との距離が近いことに魅力を感じていて、とても居心地が良かったんですよね。ほかにも、ごはんがおいしいとか、長野にくらべて道路が凍らないとか、買い物もおしゃれな商業施設が揃っているし、もうちょっとここにいたいなという気持ちがつながって、今も新潟にいます」
そんな星さんは、その後のキャリアも多彩。動物病院に勤務したあとは事務の仕事に就き、途中からは副業として少しずつフリーライターの活動もスタート。その後、WEBに興味を持ったことがきっかけで、職業訓練所に通ってWEB制作を学び、実際にシステム会社で制作経験を積んだという経歴を持つ。現在は、Sea Point NIIGATAを運営する株式会社ニイガタ移住計画の共同経営者として、鈴木さんとともに店舗業務や広報、企画などを担う傍ら、フリーでWEB制作の仕事も続けている。
ひとつの仕事にとらわれず、柔軟に仕事や働き方を変えていく星さんは、「ただ、どうやったら生きていけるかを常に考えているだけなんですよね」となんでもないことのように話す。しかし、どんなときも新しいことを決断するのには勇気がいるもの。
でもだからこそ、星さんは身のまわりで自分にできることを少しずつ始めながら、学びが必要なときには学びに行き、着実に技術や知識を得ながら進んでいるように見える。大きな決断をするとき、いきなり新しいことや初めてのことにゼロから挑戦することももちろんすばらしいが、身のまわりにある小さな決断やチャンスを掴んでいくことも、理想の暮らしを実現する近道になるのかもしれない。
そんな長野出身の星さんと、東京からのUターン経験者である鈴木さんのふたりを訪ねて、Sea Point NIIGATAまで移住や起業の相談に来る人もいるとか。それぞれ別々の経験をしているふたりだからこそ、「とりあえずSea Pointに行けばなんとかなるよ」と別のところから紹介を受けて来る人もいるのだそう。鈴木さんが移住を決めた当時、「同じように悩む人の助けになりたい」と考えて作られたこの場所は、まさに今、同じ思いを抱える人の背中を押す場所にもなっているようだ。
交流から生まれる、新たなプロジェクト。
そんなSea Point NIIGATAは、オープン当初からこんなコンセプトを掲げている。「人と人がつながり、新潟でしかできない新しい働き方・暮らし方・人との関わり方をつくりたい」。そのコンセプト通り、オープン以来、この場所からさまざまな仕事や活動が生まれてきた。
そのなかには、オープンして間もないころ、たまたま店内に居合わせた移住者や市の職員たちで「移住者同士が交流できる会があったほうがいいよね」と盛り上がり生まれた、『ミチシルベ』という市民団体もある。初めはSea Point NIIGATAでのイベント開催などからスタートし、今では新潟市が主導する活動になったが、今でも依頼があれば、鈴木さんや星さんが運営のお手伝いに行くこともあるのだとか。
ほかにも、コワーキングスペースの会員同士でお互いに仕事を回し合いながら、協力してひとつのプロジェクトや案件を進める、チームランスのような働き方も生まれている。これも運営の鈴木さんや星さんが主導してできた流れではなく、会員みんなで働くなかで自然に生まれた動きなのだそう。
もっと多くの人に関わってもらいたい。
このように、すでに多くの人が関わり合いながら、新たな活動が自然に生まれる空気があるなかで、鈴木さんも星さんも「さらに多くの人に関わってもらえるようにしたい」と口をそろえて話す。それは、Sea Point NIIGATAが単なるコワーキングスペースではなく、あくまで“交わる場所”を目指しているからだ。仕事も立場も違うさまざまな人が集まり、異なる考えや意見が交わることで、新しいものが生み出されてゆく。今のSea Point NIIGATAのコワーキングはフリーランスの利用者が多いというが、もっといろいろな業種、立場の人が集まれば、さらに新しい動きが生まれるかもしれない。ふたりが目指すところにたどり着くには、まだまだ、ということなのだろう。
そのためにこれからは、“遊び”のコンテンツやさまざまな人が関われる“余白”を作っていきたいと考えている。関係ないように見える“遊び”でも、まずはつながることが大事。まさに「仕事も遊びも一緒に」と考えるSea Point NIIGATAだからこそ、できることかもしれない。
星さん「経営者の方だと『ちょっとここでは仕事できないな』って言われちゃうんです。でも『遊びにくるのには最高だね』って言って来てくださるので。まずは遊びに来てもらってそこから接点を作れば、新しいものは自然に生まれていくかなと。そうやって、もっといろんな人が関われる余白を作りたいですね。会社の経営者もいれば、フリーランスや会社員の方、あと主婦の方もいるとか。全体的にいろんな人が関わって、もっといろんなものが生まれていったらいいなというのは、私たちがずっと目指していることです」
集まる人が、場をつくる。
この5年間、さまざまな人の力を借りながら成長し続けてきたこの場所は、今もなお、ここに集う人によって作られている空気感がある。その人たちが変われば、今のSea Point NIIGATAの姿もまた新たなかたちへどんどん変わっていくのかもしれない。ゴールや完成形がないからこそ、関わる人の数が増えれば増えるほど可能性は広がってゆくのだ。
そしてそれは、個人の生き方にも言えることかもしれない。ひとりで考えるよりも、みんなで考えたほうが多くのアイデアが生まれる。全部ひとりで抱えなくていい。困ったときはお互いさま。Sea Point NIIGATAは、そんなことを教えてくれる場所でもあるだろう。