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地下水で作る絶品とうふ|二人三脚でつなぐ93年目の味。

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天然水と地元の大豆で作った豆腐の味は格別だ。北海道のほぼ中央に位置する東川町にある「宮崎豆腐店」は旭川空港から車で10分、大雪山国立公園の麓にある人口約8,300人の小さな町の中心地にある。ここでは、大雪山系の雪解け水を利用した地下水で豆腐を作る。この町は全国的にも珍しく、北海道では唯一上水道の無い町としても知られる。遠くからリピートする人も後を絶たない老舗豆腐店の魅了に迫る。

目次

水道をひねるとミネラルウォーター

全戸地下水利用、こんな贅沢な町が存在するのだ。おまけにこの町では上水道がなく、ポンプで地下から水を汲み上げているので生活水が無料と聞いて驚く。そんな豊かな水資源を保ちながら人々の暮らしを支える水は平成の名水百選にも選ばれた「大雪旭岳源水」だ。
 

旭岳源水
町内にある「大雪旭岳源水岩」の取水場では誰もが自由に水をくめる。

その水を贅沢に使って作るシンプルな豆腐がなんともおいしい。昔ながらの豆腐屋といった印象を与えるこの店は毎日の食卓を豊かにする、町にはなくてはならない存在だ。スーパーマーケットや小売店への流通経路をあえて持たず、この場所と近隣への配達だけで消費する量を毎日手作りしている。自分たちで作れる量にこだわる事で長年続けてこれたという。店は昭和2年創業以来、開拓130年の東川町と共に歩んできた。

豆腐店外観
東川町の中心地、道の駅の隣にある豆腐店は2020年11月で創業93年を迎えた。

 

命のバトンと豆腐作り

そんな町の豆腐屋存続には、深いエピソードがあった。まだ現役で豆腐作りをしていた3代目宮崎勲さんが60代の若さで病気で亡くなってしまったのだ。

当時は勲さんの横で接客したり、揚げ物をあげていた妻の明美さん。補佐をしてはいたものの、一からの豆腐作りはしてこなかった。それでも、地元の人の応援や店を存続させたい一心で夫の残したレシピをもとに豆腐作りを試行錯誤のなか始めたのだ。

現在は4代目になる息子の伸二さんと豆腐を作っている。伸二さんは次男で、社会人になった当時は長男が父と共に店に入っていた。しかし、その兄もまた30代の若さで急遽。
6年前までは会社勤めをしていた伸二さんだが、失意の中で店を存続したいと願った母が一人で店を切り盛りする様子を見て、東川に戻ることを決めたと当時を振り返る。
「90年以上続く店の歴史が途絶えなかったのは先代の努力と母のおかげです。だからこそ、100年を超えて守っていくのが自分の役割だと思って4代目になる決心をしました。」
平成27年に伸二さん加わり、親子二人三脚の豆腐作りが再び始まった。

伸二と明美
昔ながらの製造室。朝8時前、店に並ぶ前の木綿豆腐と共に3代目宮崎明美さん、4代目宮崎伸二さん。

 

豆腐を使った新メニュー続々と!

伸二さんは若い人にもお店の存在を知って欲しいと、大豆を使った新メニューを開発して話題を集めている。
店で人気の「豆乳とおからのドーナツ」「豆乳ソフトクリーム」、今年発売したばかりの「厚揚げ大豆まん」などが出来た事で豆腐店でありながら大豆を使ったスイーツや点心を楽しめる一面も好評に。

「厚揚げ大豆まん」は中華まんでありながらお肉不使用、原料に北海道産大豆ミートを使用している。
豆乳の水分だけで練り上げたもっちり生地に包まれた大豆ミートは、本物のお肉かと思うほどジューシーな旨みに溢れる。どれもヘルシーなので老若男女に定評がある。
「とはいえ、うちは豆腐屋です。地下水と道産大豆ユキホマレを使って作る、かみごたえと甘みのある木綿豆腐をまずは味わって欲しいです」と伸二さん。

おからドーナツ
子どもにも人気の豆乳とおからのドーナツは冷えてもモチモチ。5個入(250円)

 

ルーチンワークの中にある変化を楽しむ

豆腐作りの朝は早い。前夜に仕込んでおいた大豆に、まだ日が昇る前にニガリを入れて豆腐を固める。店で人気の厚揚げは一枚一枚早朝から手揚げ。
夏場は冷たい水の感触が気持ちよい製造室も冬場は手足が凍りつく。食品製造の都合上、暖房は効かせられないので身体が寒さで硬直する中での作業は続く。「そんな時、氷点下以上の水の中に手を入れると夏に冷たさを感じた水がホッとする温度に感じるから不思議だね。」と微笑む明美さん。
水温によっても変わる豆腐の固まり方、その微妙な加減を2人が調整する。

厚揚げ
豆腐を水抜きして一枚ずつ手揚げする厚揚げは、しっかりとした厚みが自慢の一品。煮ても焼いてもおいしい。(1枚250円)

 

幼少期の記憶がつなぐ未来。そして子どもたちへ

明美さんの祖父、繁次郎さんは開拓民として富山県から北海道の美瑛町に来て農業をしていた。その後、様々な転機を経て東川町で豆腐作りを始めたという。当時はまだ馬が田畑を耕して交通手段としても活躍していた時代。明美さんが幼い頃には町に電車が走り始めて、その定刻通りに聞こえてくるガッタンゴットンという音を聞いては時間がわかったという。昭和47年には廃線になった電車が走っていた当時の東川町の景色は今と大きく変わったが、その頃から続く豆腐作りを思うと、この店の歴史の深さを感じる。

大雪山系の山々を見ると、明美さんも伸二さんも心が落ち着くという。この気持ちは今も昔も変わらず、東川町に暮らす人々の共通項なのだろう。かくいう私も幼少期はこの町で育ち、東京で就職した後にこの地へUターンしてきた。自然豊かな町の背景にある、先住者の培ってきた大地に根付いた暮らしに憧れがあったからだ。この町の風土や人に魅了され、新たな生活の基盤を作ろうと移住してくる人は多い。

買い物風景
豆腐店のロゴには東川町のシンボルでもある旭岳をイメージした山のイラストが刻まれている。

「水が美味しいから豆腐もおいしくなる。家族の夢は子供が元気に育って、損しない商売をこの町でできればいいと思ったところから始まっている。私たちの作るものが人の健康に役立って美味しく食べてもらえれば何よりです。」
そう話す明美さんは3人の子供を育てあげ、伸二さんも現在2人の父となった。大豆と共に生きると決めた老舗豆腐店が守るのは、地元を愛する豊かな心と共に作られる「ここにしか無い味」だ。

明美さん
お客様とのちょっとした会話をいつも大切にしている明美さん。その笑顔に皆が会いたくなる。

木製看板

宮崎豆腐店

北海道上川郡東川町東町1丁目1−1−18
営業時間8:00〜19:00(なくなり次第終了)
定休日/月(祝日の場合営業)

宮崎豆腐店
Instagramはこちら

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