長野県北部、奥信濃と呼ばれるエリアには外湯のある温泉が点在します。外湯とは温泉地の人たちが日々の生活で利用する共同のお風呂のことで、有名な観光地でもある湯田中渋温泉郷や野沢温泉、信州山田温泉などには、こうした外湯がよく発達しています。
お風呂だけではなく地域の住人が洗濯に使う「洗濯湯」があったり、野沢菜の「お菜洗い」など野菜を茹でたり簡単な調理に使う熱湯の釜があったり。外湯の掃除は当番制で、地域の共有財産であるお湯を自分たちで管理することによって地域のまとまりがつくられています。
生活用のお湯と観光用のお湯が併存していることが象徴するように、こうした地域では源泉の管理から観光経営まで地域の組織で温泉が運営されています。そしてこの組織はもとを辿ると室町時代の自治の仕組みである「惣村」に源を発しているのです。「惣」には全体やすべてという意味があり、平等原則と全員参加を基本とした神社の祭礼を司る「宮座」が元となった民主的な仕組みで、武士たちの力が及んできた時代、理不尽な支配や盗賊などから村を守るために発展したものと考えられています。室町時代から戦国時代には最盛期を迎え、近畿地方ではいくつかの「惣村」が横に結合した「惣郷」や、さらには「惣国」にまで発達した地域もありました。
「惣村」は二重構造になっていて、村の決定権を持っている「乙名」と呼ばれる年長者たちの合議が村のさまざまなことを決定し、その息子たちである「若衆」が実際の農作業や戦時には戦闘をしたりなどの力仕事を担っていました。北信の温泉地ではこれが21世紀にも旅館組合やその息子たちによる「青年部」という形で今もなおそっくり機能しているのです。民俗学のフィールドとされるほど貴重な型を残した野沢温泉を筆頭に信州の山間部にはこの仕組みがよく残り、今でも地域のリーダーは「惣代」と呼ばれています。
こうした「惣村」の仕組みの痕跡が、農村よりも温泉という特殊な環境でよく保存されているのはとても興味深いところ。そして「惣」を成立させた重要な要素に村が共有で使う「入会地」という考え方があります。屋根を葺く茅などを刈る土地や森林など村の財産のような土地は共同で所有する「誰のものでもない」土地でした。こうした共有の村の資源を守るということが、温泉地ではお湯がその役割を果たしているのがよくわかります。
21世紀の今なお、信州の山の温泉のような地域に残っているのはおそらく山深い土地だからということよりもむしろ、お湯や森林という共有財産の存在が鍵になっているのではないでしょうか。温泉が日本の古い自治や民主主義のかたちを残す重要な鍵となっていることに、なんとも不思議な可能性を感じるのでした。